日盡郷、日盡里、日尽郷、日尽里
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===== 日盡(ひつくし) ===== |
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地名のルーツ〜高橋〜読みは、(たかはし)
{{{ むかし、日盡里と言ったが、後に高橋氏の所領となってこの町の名前がついたと言う。 『長浜の「歴史」』昭和49年1月10日発行 長浜北高等学校 歴史部 }}} === 「高橋」地名の所在地 === {{{ 北海道紋別郡 遠軽町 高橋沢川(たかはしさわがわ) 北海道蛇田郡 豊浦町 高橋沢川(たかはしざわがわ) 北海道勇払郡 占冠村 穂高橋(ほたかばし)
2009/12/19(土) 午前 10:48 [ 自然体で、興味を持ったことを・・・ ]
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日盡に関しては、和歌だったか漢詩だったかに謂れが合ったような記憶があるのですが。
2008/6/10(火) 午後 5:50
レイラインとの関係、太陽との関係はどうだろうか。
2008/6/10(火) 午後 7:50 [ sup*on*oi*hi*ei ]
まさかヒンズークシではないだろうが。
2008/6/10(火) 午後 7:51 [ sup*on*oi*hi*ei ]
20年程前に和歌か漢詩かなにかに由来すると聞いたことはあるのですが、肝心のその歌が判らないのです。
一日何かをして時が経つ意味だと思うので太陽には関係あると思います。
横山を挟んでほぼ東西になるので、何らかの謂れはありそうです。坂田郡山東、山西部双方にまたがる唯一の存在ですから。
2008/6/11(水) 午前 9:14
山東町史 資料編 P.24
日尽郷旧社古跡留書
江州坂田郡日尽郷
一、薬師如来 釣屋敷
春日御作
一、沫倉四社大明神 当屋敷
左 天照皇大神宮
右 権現宮
一、十一面観世音 岩山
伝教大師御作
一、虚空蔵菩薩 野神山
右之旧社所々古跡在之候
応仁二丙戊年正月九日
浄泉坊 記之 (北方寺村文書)
2008/6/16(月) 午後 4:18
細々とした記憶を辿ると、北方の日向(小字に在り)で日の出を拝んで高橋で機を織るといったような話が何かの本に載っていて図書館で読んだんだが。
今日は図書館が休みなのでいずれ改めて探してみよう。
2008/6/17(火) 午前 11:07
山東昔はなしに北方の日尽郷は行基由来らしいことが書いてあるらしい。
確かめておきたい。
国語辞典によっては、方言で宮崎県西杵築郡とあるものもある。日向由来か。
2008/6/17(火) 午後 3:19
山東昔ばなし 山東町史談会編
P.62
瓢箪山の伝説
瓢箪山は北方の南方、小字年吉(としお)の西側にあって、西方何れの方角から眺めても、形が瓢箪に似て見えることからこの名があるといいます。
昔行基菩薩がこの地に巡行された時、ちょうど日が暮れたからこのあたりを「日尽しの里」とよばれたと言い伝えられています。
その後金光山道照寺というお寺が建立されていたから堂山(どやま)とも言われ、大字北方はこの堂山の北の方にあるから北方と名付けられたと言われています。
堂山には大鹿中野の秋葉さんがまつってあります。北方に対して大鹿を南方とも呼んだようですし、堂山の前を中野と呼んでいます。
お寺の御本尊虚空蔵菩薩は岐阜の赤坂へうつされたと伝えられていますが、くわしいことは判りません。
山東町史 資料編 p.24 日尽郷旧社古跡留書 にある「虚空蔵菩薩 野神山」が、この金光山道照寺の虚空蔵菩薩かと。
また、沫倉四社大明神は今は他の宮と合祀され志賀谷の志賀神社となっています。
このことから、北方は志賀谷から分かれたものではないかと思われる。
2008/6/18(水) 午後 4:06