黒田
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真偽はともかく、湖北において「黒田」と称される地域は旧伊香郡の黒田村(現、長浜市木之本町黒田)と旧坂田郡の西黒田村(長浜市西黒田地区)と東黒田村(米原市東黒田地区)の二地区(厳密には三地区か)がある。 これら双方とも黒田家の祖であると主張されている(論調では99:1位で木之本の黒田の方が声高ではあるが)。 ただ個人的感想では、伊香郡の黒田より坂田郡の黒田の方が佐々木一族の縁が寄り古く強くあるのではと思う。 黒田と言う漢字は後世つけられたものなのか、他の当て字はないのか、意味はどうなのかと考えてみるにこの二つの黒田は共通した地形にあったように思われる。 伊香郡の黒田は余呉川が余呉湖から流出し琵琶湖に流れ出るまでの初めの狭隘地の出口にある。現在は賤ヶ岳山麓にそって流れているが、その昔はまっすぐ南に流れていても不思議ではない。 太古の昔には湿地であった可能性が高い。 坂田郡の両黒田とも現在は横山を境にした山麓の地域であるが、西黒田は琵琶湖の湖水と姉川から流れ出る現、山路川の氾濫により湿地であったであろうと想像できる。また東黒田は伊吹山観音寺付近を水源とする黒田川流域で地区の南で本川である天野川に合流しており芦原ではなかったかと推測できる。 これら湿地には畔(くろ)で囲まれた田があり、また堆積した肥料は穀物を育てる黒い土になり、これらから「くろだ」の名が起こったのではないかと。 鉄を「くろがね」と呼ぶことから黒に鉄のイメージもあるが、鉄を産したとの記述は見受けられない。 但し、ここは伊吹山麓。伊吹の神は産鉄の風の神。砂鉄を産せずとも鍛冶が行われていた可能性は否定できない。 以上、悪魔でも裏付けのない私見であり、信用するしないはあなた次第。
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