あづまもぐらのブログ

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金太郎飴ディア

大阪府豊中市の私立小学校新設の件で国会ではフェイクナショナリティ野党が排他的経済水域へのミサイル打ち込まれも問題とせずに騒ぎ、尻馬に乗り遅れてならじとフェイクニュースメディア各社も金太郎飴の如く同じ切り口からの報道に明け暮れして辟易とする。

事の発端は、8億ナンボの国有地が1億程で払い下げられたとかであった。
ディスカウントの率が盛んに論じられているが、8億ナンボの妥当性の検証は数多の記者が現地に詰めているにも拘わらず為されていない。
航空騒音に加え、多量のゴミ投棄の事実は伝えるもののその他の立地条件には一瞥もくれぬ姿勢が果してメディアに相応しいものか甚だ疑問である。

斯様な思いにある中、たまたま友人が興味に任せたか暇に任せたかは知らぬが現地見聞の様子を以下のブログに載せていた。

http://blog.livedoor.jp/nekomiyatorao/archives/14707354.html


むべなるかな。

己は都心の一等地を格安で払い下げを受けておきながら、それには頬被りして非難を浴びせる姿勢は、フェイクニュースメディアたる面目躍如ではある。

その動機を探れば、己と異なるイデオロギーへの敵対心からと容易に察せられて余りにも稚拙である。未だ嘯(うそぶ)くクアラルンプールでの暗殺主体と一脈もニ脈も通じて見えるのは私だけであろうか。

件(くだん)の森友学園の教育方針に関して傘下の塚本幼稚園での教育勅語が引き合いに出される。
昭和40年代の話になるが、父が訪台の折りに現地の方から「日本ではどうして修身教育を止めたのか、あれはとてもよかったのに」と問われたと聞かされた事であった。修身教育が教育勅語を以て為されていたのは云う迄もなかろう。

進駐軍によって戦後教育勅語に代わり教育基本法が制定され、今ではwebで検索すればどちらも容易に読める。
特定のイデオロギー信奉の方々は教育勅語が大戦を引き起こした一因とするが、内容を読めば判る様に極めて普遍的な事柄しか書かれていない。包丁も道具とするか凶器とするかは使い手に依るだけの事である。勿論、日本の成り立ちを反映した表現もあるが、要旨は愛国心を謳っているに過ぎない。愛国心も万国共通であり、それを否定すると云うならWBCゲームでの勝利に歓びを感じる資格もない事となる。
一方で教育基本法の内容も大差はないと私には思える。
違いは、教育勅語が被教育者への直接的な語り掛けなのに対して、教育基本法は施政者乃至教育者への指針を示している点である。従って間接的となる後者は、仲介者の意志が入り込む危険性を孕んでいて、実際に特定の思想集団の影響を目にしたものである。
この直接的と間接的の違いを心得るなら、教育勅語と教育基本法が背反する事ではないのは自明であり、日本との戦に手こずった米国のナンデモ戦前否定に毒されたままの己の姿に疑問を持つべきが、鰯の頭よろしく大戦直後の進駐軍政策を未だ信心する愚かさを金太郎飴の如く一様に晒す事こそ異様である。逆にそれは教育基本法の理念にも反しているではないか。

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歳と共に進む老眼の事ではない。
築地〜豊洲問題である。
百条委員会を開き、豊洲の土地購入の経緯と責任を明らかにすると云う。

そもそもの発端は、豊洲に出来上がった建家の化学的安全性と使い勝手の悪さの問題であった。
埋め立て地など不要物を使って作られて来た訳で、過去には現在の科学知識に照らせば有害な物も投棄されていた事は察するに難くなく、大なり小なり汚染されていても不思議ではない。
況してや永年に亘りガスプラントがあったのなら当然である。
問題はその対策が不充分であり、折角広い敷地となったにも拘らず建家は一軒当たりの店舗面積が現行より狭くなり、運搬車輌ターレの操縦性への配慮も為されていない事であった。
一言で云うなら、関わった役所から設計業者まで全てが「いい加減な仕事をした」結果が今の形となって現れた訳である。

私は元都知事らを擁護する気はないが、都心に纏まった敷地を確保するには、汚染されていようがいまいが埋め立て地以外無いのであり、その決定過程などどうでもよく、誰が関わろうとも同じ事になった筈なのだ。
問題は、汚染土壌対策の杜撰さと使い勝手の悪い建家の設計への責任の有りかなのであるが、フェイクニュースメディア各位も本領を発揮して、そんなものは吹っ飛んだ現状である。
げに気の毒なのは市場を仕事場とする関係者である。

責任追及と善処策は並行して行う事も可能ではないか。

現状をほったらかしにしてナントカ委員会に傾注するなら、とっとと建家を解体して除染から始めて真に使い勝手のよい建家を作り直せ!(極論とは承知の上)

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Premium Fridayねぇ?

毎月の最終金曜日の仕事を早目に切り上げ消費促進に資せとの施策と今更私が説明する迄もない。
来月は3月31日だと云う。

商いに於いては、売上を回収して初めて行為の一応の終了となる。
月の〆は五十日(ごとうび)と云われる様に、五の日や十の日(末日も含む)で企業間で定めて取引が行われる。
15日や末日、10日や20日或いは25日〆とかとなり道路も混むのは周知である。
一般的な25日の給料日も、15日で〆て10日間での事務処理に由来している。

政府としては給料日直後に狙いを定めての最終金曜日とした事は容易に察っせられる。
誠に「天から金が降って来る」感覚の者の浅はかさが滲み出ている。

取引には相手との取り決めがあり、一方の都合で勝手に変えられない。
支払の他にも営業的には、月次目標の追い込みも月末近くには為されるのであって慌ただしさに追われるのは、普通の事である。

どうせ定めるなら月初の金曜日とするのが給料日からも近く、5日〆も少なく、追い込みからもまだ遠い点から妥当と思える。
月初の第一月曜日の始業を遅らせ、日曜日の夜更かしを助長する代案も無くはないが、週の始めから締まりが無くなり士気を削ぐ懸念がある。

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個人的な古い記憶

ヒトは誕生から数年間は、母の胎内での記憶を残しているとの説がある。それらは聴覚主体の記憶であって、軈て視覚や触覚をも伴う強い記憶に置き換えられせいぜい潜在化して残るだけになる事は容易に察しがつく。
その強い記憶すらより強く刺激的な記憶に淘汰され続ける。

人に因り最古の顕在記憶は異なるが、私の場合は2歳の時に母に抱かれて幼稚園に通う兄を応接間の窓越しに見送るもので、屋外でのものは多分3歳の時に母に連れられて何度か訪ねた鶴見の獅子ヶ谷の藁葺き屋根の家がある。そうそうな山の中に思えたもので、頼まれての地代の集金だったとは大人になって聞いた。

その家にはいつも縁側で日向ぼっこをしている老婆がいて、母が「あのお婆さんは102歳なんだよ」と話したの鮮明に憶えている。
今にして思えばその老婆は1854年生まれであり、明治維新を14〜5歳の娘盛りで迎えたバリバリの江戸時代の人であった事になる。
1854年は邦歴では嘉永7年、後に安政元年とされ、前年に来航したペリーが返事を求めて二度目の来航をし、ロシアからはプチャーチンも来航、日米和親条約が結ばれ、吉田松陰が密航に失敗して捕縛され、日章旗が日本国惣船印と国際的に制定され、安政の東海東南海地震が連発した年である。
米国では共和党が結成され、クリミア戦争が起きてナイチンゲールが博愛の下に看護し、数年前に証明されたポアンカレ予想の数学者ポアンカレが産まれた年でもある。

既に歴史上のむかしむかしの話に思える事が、実はその時代に生きた人と実際にまみえていたとは我ながら驚くものである。

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誰にも等しくやって来る誕生日ではあるが、誕生日が来たと嬉しかったのは何歳迄であったろうか?
誰もその日が間違いなく自分の誕生日であるかを確認しようもないが、一応戸籍に記されている日を信じるしかない。
私の場合は、母子手帳に予定日も2月3日と記されていた憶えもあって、難産の末の9日遅れと聞かされて来た。

まだ数え年の名残を残していた戦前には、歳末に産まれると数日で2歳となる為、届けでは新年にする場合もあったそうで、叔母の一人も戸籍上は昭和12年1月2日であるが実は12月29日辺りの者がいる。流石に元旦とまで偽るのは祖父母も気が引けた事を長女であり顛末を知る母の話であった。

私の幼稚園から高校迄同窓であった友人に兄と年子の者がいる。
実は彼等は双子であったのだが、育てるのに少しでも負担を減らす為に一人を一年遅く届け出しての年子であり、運のよい事に二卵性で顔形も異なっており、本人達も知らぬままである。
母は彼等の母から多分幼稚園か小学校低学年の頃に聞いたらしく、私は母からその話を中学生の頃(分別出来る年齢と判断してくれたのであろう)に聞いたが、勿論本人達には話していないし、話す気もない。

結構世の中の誕生日なんていい加減な人も多いのかも知れない。
無事に社会生活が営めるならばそれでいいのだ。

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