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 高校生向けの雑誌『ジュ パンス』(我思う)を初め教育書、教養書を幅広く手掛ける出版社−「高文研」の代表取締役社長、梅田正己さんが、書き下ろしの自著『「市民の時代」の教育を求めて』を自社から出版しました。黒子役の出版社主自ら、あえて今日の教育に問題提起する大きな著作を発表した、その心意気を聞きました。

自分で本が書きたくなった

―社長さん自ら、自社で著作をお出しになるのは珍しいですね。
梅田 執筆者や編集者を下支えする立場の人間が、表舞台に出てきて生意気だと思われるかもしれませんね(笑い)。実は、これが初めてじゃなくて、以前にも性教育についての著作(『新編・愛と性の十字路』)など何冊か出しています。長年、高校生たちと向き合って仕事してきて、いろいろ企画が浮かぶんだけど、なかなか狙いどおりに書いて下さる執筆者が見つからない。それなら自分で書こうとなるわけ(笑い)。教育という分野は一億総評論家で、どなたにも意見がある。梅田個人の意見も出してみてもいいだろう、と試みています。教育書というのはね、今あまり売れないんですよ。専門家の場合、どうしてもテーマが細分化されて、総合的な視点が欠けるうらみがあります。ハウツーものは売れるんだけど、やっぱり底の浅いものになってしまう。多少とも教育の現場、子どもたちのことを知っている人間が、できるだけ視野を広く取って、総合的に問題を掘り下げる必要があると痛感しています。

「プロ」任せでは 危ない教育

―まさに梅田さんのような教育ジャーナリストの役割が必要なのですね。

梅田 そう持ち上げられると、ちょっと恥ずかしいな(笑い)。この本の冒頭で、現場教師の河上亮一さんという人のベストセラーになった『学校崩壊』という著作を批判しています。この人の学校観、指導観がものすごい。「授業は面白くなくて当たり前」「学校はもともと生徒を抑圧するところ」「怖い教師が必要だ」「マスコミの学校たたきが教育を悪くする」というような文章が並んでいるんです。つまり、生徒はまだ一人前の人間じゃないのだから、自由だの人権だの配慮する必要はない、生徒がいやがろうと何だろうと頭から強権的に教えるべきことを教えればいいんだ、反抗するやつは力で抑えつけろという主張なんです。

―まるで軍国教育ですね。

梅田 この人は「プロ教師の会」という団体を主宰し、小渕・森内閣当時の「教育改革国民会議」に、ただ一人の現役教師のメンバーとして加えられています。非常に守旧的な教育観の持ち主で、こういう「プロ教師」をもてはやす風潮が今、広がってきています。明らかに国家主義教育の確立を狙う動きですね。こんな「プロ」に教育を任していてはいけないと思います。私はむしろ国家主義教育は終わりを告げる時代だと考えています。

国民意識とずれる国家主義

―教育勅語の廃止、教育基本法制定で国家主義教育は終わったのではないのですか。

梅田 制度上はそのとおりです。しかし、日の丸を国旗、君が代を国歌として教育の現場に強制し、天皇制と結びついた国家への忠誠をたたきこもうとする動きは最近とみに露骨になっています。「危ない教科書」の動きもその一つでしょう。日本の近代教育一三〇年を貫いてきた国家主義は、もう一つの柱である学歴による立身出世主義(これも結局は国家主義の支えなのですが)がぐらついている今だからこそ、かえってよけいに強調される。偏ったナショナリズムをあおるわけですね。ところが、実際の国民意識はむしろナショナリズムを空洞化させる動きを示しています。特に若い世代では、他国に対する優越意識や対抗意識、外国人に対する抵抗感がどんどん薄くなっている。だから、いっそう国家主義を強調する教育観が出てくるのだけれども、国民意識とはずれている。

―社会の国際化ですか。

梅田 単に国際化というよりも、ナショナリズムの枠にとらわれない普遍的な価値観の広がりですね。個人の尊厳、真理、平和などどの国の人であろうと共通して求めている価値を追求しようとする。国家の優劣を競うよりも、はるかにだいじな人間的価値です。その価値を共有することで生まれる連帯感が、これからの国際社会を支えると思います。だから「国民」ではなく、個人が地域社会、国際社会と直結する「市民」という概念で物事をとらえていきたい。教育も「国家」ではなく、「市民社会」という枠組みで考えるときがきていると思います。

山は高ければ高いほどいい

―でも、「市民」という言葉は、ちょっとなじみにくい。

梅田 西欧生まれの言葉ですからね。労働組合や政党の運動でも、市民運動というのは格が一段低い扱いを受けてきたようです(笑い)。単純化すると、「市民」とは自由と平等の原則の上で個人の尊厳を守るとともに、社会の自治に全員が参加し、全員が責任を引き受ける人間たちのことです。そういう「市民」を育てるのがこれからの教育。「市民」として必要な教養、徳性をしっかり育てる教育です。自分の権利に対する自覚、他者と討論し、協力を実現する能力や技術・態度を育て、そのために必要な教養を培う教育を確立していくことだと思います。その確立の過程そのものが、まさに子どもたちに限らず、大人も含めて「市民社会」を築き上げていく過程になるでしょう。

―「お国のため」はもう古い、「市民のため」の教育ですね。

梅田 狭い「日本人の優越性」や「日本人としての誇り」にこだわるよりも、日本人があげて人類普遍の価値の実現に努力していってこそ、国際社会で誇りが持てる、尊敬されるはずです。例のテロ事件でアメリカに「旗を見せろ」なんて言われて、妙なところに日の丸を立てるんじゃなくてね(笑い)。「市民社会」を築くのは容易なことじゃありませんが、私は本の末尾に書いたんですよ、「生涯をかけて挑戦する山であるならば、山は高ければ高いほどいい」って(笑い)。

―梅田さんの心意気に共感します。ありがとうございました。

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