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謹告

最近,某身柄事件を中心に余りに多忙となり…いっぺんに新件が来過ぎて,パンクしました。
私の処理能力の限界に達したため,当分の間,新規受任を制限いたします。
具体的には,民事は,法テラスや相談センターに出向くのを当分の間中止し(交代済),紹介案件のみに絞ります。
刑事は,3月下旬まで,特別なルートでない限り身柄事件を全て停止します。在宅や被害者側はお受けします。

今朝起きたら,布団から上体を起こしただけで猛烈な立ちくらみがして,その後も何とか出勤はしたものの若干ふらついている。いよいよ命の危険を感じてきた。短期的な売上は犠牲になるものの,命がなくなっては元も子もないので。
工事業者だって引っ越し業者だって,繁忙期は受任を断ることは幾らでもある。たとえ,その依頼者が従順で金もきちんと出せるとしても。弁護士はそれが許されないということはあり得ないし,実際,ひまわり基金の先生の記事を見ていると,やはりお断りせざるを得ないくらい事件を抱えていらっしゃるようだ。
ということで,当面は,今ある仕事を何とか進めることに専念する所存です。

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弁護士ももはや6年目に突入。県によっては,来年くらいから修習生の指導担当になり得ることになる。まだ全然そんな境地に達してないや(笑) 何しろ,著名な実績がない。本も出してない。アピールできるものがないのである(だからこそ,某市の情報公開審査会の末席にもぐり込んだことを殊更に喧伝するわけである。肩書病w)。
だが,それを強弁する方法はある。たとえ無名の仕事でも,草の根できちんと信頼を得ていけば,食うには困らないという事実主張がw
ブログで公開するには守秘義務の問題があるので限度があるが,先日担当した少年に関し,大雑把に言えば家裁が否定したこちらの見立てを少年院が独立に採用したという連絡が来た(このくらいなら大丈夫・・・よね。)。私が提示して一蹴された見立てを,矯正の専門家が受け入れたようなものだ。といっても,私が受け入れさせたんじゃなくて,付添人だった時期にやり取りした関係者各位の御尽力によってそうなっただけで,私の手柄ではないんだけどw しかし,裁判所相手の局地戦では負けたが,トータルで考えれば勝ったようなものだ。これで後は当該少年が立ち直ってくれれば,実質的には弁護活動の成功と言える。それは,著名ではないが立派な実績の一つである。現場で地べたをはいずり回って向き合った者が,司法研修所の起案だけの司法官僚に負けてなるものか!
とはいえ,普通の民民の訴訟では,おおむね落ち着くべきところに落ち着いているようだ。これまで自分が控訴理由書を作成した控訴審の戦績を振り返ってみると,(杆郢龍遒噂个靴了,ある家裁の審判をひっくり返した(細かくいうと(即時)抗告だけど。)。これは,審判後の特殊事情によるもので,単なるビギナーズラックであったが,高裁は何とかなるという甘い考えをしばらくの間持つことになってしまった。∩阿了務所の3年のうち,途中から事務所事件の控訴理由書をほぼ全件書かされた。地裁からの控訴により逆転勝訴となったのが1回,1審より有利(絶対的に良い解決とは限らないが。)な和解が確か2件はある。簡裁からの控訴により逆転勝訴となったのは2回ある。
こちらに戻ってからは,自分の事件で,新証拠を出したことによるが1審より有利な和解が1回(高裁),(新しい)ボスから引き継いだ事件で1審より有利な和解が1回(地裁)というところか。1審よりは有利になったのが都合8回ということになる。
顕著な特徴は,別の先生が一審担当だった事件では,多分半分くらいは1審より有利にできた一方,自分が一審を担当した事件は,事務所事件も個人事件も合わせて1度しかいい結果を出せず,逆転判決はないということである。ちなみに,控訴審で逆転判決となる割合は約4分の1といわれるが,和解については分からない。
控訴に関して,一審の準備書面の焼き直しではほとんど逆転は見込めないと言われる。恐らく正しい。特に,同じ弁護士が担当すると,よほど説得力のある一審判決で,いやがおうにも新しい理屈を考えなければならない場合でない限りは一審の準備書面の焼き直しとなってしまう。私も,別の先生の担当事件については,従前の準備書面の主張を入れつつもできる限り独自の視点を書き加えた。しかし,自分の担当事件ではそれはできない。控訴に関しては,思い切って別の弁護士に任せ,新機軸を探してもらう方が控訴人のためになるのかもしれない。

弁護士事務所もお世話になっているアスクルの倉庫火災,鎮火しませんな。この手の火災の燃え続け最長記録はどのくらいなのか・・・一応,天災による場合は結構長い場合もあるようだし,炭鉱が50年燃え続けなんて話もあった。しかし,このような人災の家事で既に5日以上燃え続けるというのは,余り例がなさそうである。

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2.15

今日は在宅勤務。ちょっとは休みたかったが,結局起案が山積。どうすれば説得力が増すか,どうすれば感情を抑えて書けるかが難しいところである。
 
相変わらず,政治には絶望というか,共謀罪をテロ等準備罪に変えただけで,一気に賛成派が増えたらしい。http://onsen-kabumasa.cocolog-nifty.com/okirakunikki/2017/02/nhk-7f31.html
>記事の冒頭からもう国民騙し、洗脳丸出しで「政府が、組織的なテロや犯罪を防ぐため」とくる。そら、ナイーブで法律の中身など詮索もしない幸せな国民ばかりの日本だから、テロを防ぐためとされると「そら当然に必要だね」となるのは当たり前か。
「テロ等準備罪」の「等」が官僚や警察の思い通りに解釈できる余地満載で、戦前の治安維持法と遜色ないほどの国民の自由と命を奪う可能性大の極悪法なんだが、名前だけ変えるとまんまと騙されちゃう素直馬鹿な日本人。

感想はこれと同じであり,ほえづらかいても弁護しないよ(その前に,私が投獄されるかもね。)。

治安維持法下に近似する状況になればそうはいかないかもしれないが・・・
最近は,余り検察批判をしていない。いや,陸山会事件とか,小渕や甘利を捜査しないとか,政治的な偏向があること自体は批判せざるを得ない。しかし,そういう政治的背景のない普通の個人の刑事事件においては,そればかりでは始まらないというか。どうしても,捜査官ないし訴追官ということで,本質的に相手方当事者である以上,その立場は割り引かざるを得ないし,そうすべきである。幾ら「公益の代表者」とはいえ,当事者主義である以上,立場の違いは考慮しておかないと始まらない。こちらから見ると不必要に見える勾留請求も,しかるべき手続の中でその旨主張する必要はあるが,検察官の立場を考えればそこまで腹は立たないというか。また,実際上の問題として,被疑者被告人の事件内容以外の扱い(押収物還付,被害者の連絡先の教示など)では,検察官に協力してもらわないといけない場面も多い。そうでありながら見境なく検察非難をしていると,やはり自分も言いづらくなって首を絞めてしまうんだよね。和睦の話ではないけど,争うべきところは正しく争うものの,何でもかんでもたたくのではないやり方はあると,最近思う。検察修習可だった恨みは忘れませんがw

どちらかというと,そうやって立場による割引ができない裁判所こそ,批判の対象となるべきである。最近は,2号3号の反論に関して弁護人も工夫しているからなのか,強引に1号の住所不定を持ち出す傾向がある。数年前は,2号3号は当たり前であったものの,ホームレスでもない限り1号はなかったが・・・。今後は,人定質問で,住所の存在を徹底的に争う機会が増えそうである。何でそんなくだらないことをしないといけないのか分からないが,裁判所の「新しい判断」なのであろう。付き合わされる方はただの迷惑です。
行政(自治体)のやり方についても,住民監査請求とか審査請求とか,裁判所を使わず判断者にできるだけ弁護士がいるような手続を活用している。訴訟に踏み切っても何も期待できないので。行政内の手続であれば,答申の中で何かしらの付言をしてもらえて,実質的には目的を達成することができるが,裁判所はそういう発想はなく,ただ行政を追認するだけである。大体,沖縄で,判決に従わないと司法の威厳が損なわれるなどと発言した裁判長がいるようだが,家庭内で「俺に従わないと俺の威厳がなくなる。」などと発言したら,現在の社会通念ではただのモラハラ夫である。力で強引に従わせるという姿勢は,制度上の正統性は一応あるが,正当性はない。こういう人間が,司法研修所の起案はできたのかもしれないが,権力のよろいを着て大上段にいるということ自体が危機的な事態である。そりゃあ裁判所に期待しないよね。個人的には,たとえ社交辞令でも「期待してるぞ。」と言われた方が気持ち良く働けるとは思うが・・・。
ただし,政治的背景のない民間人同士の事件であれば,ある程度期待はある。これまでの事件を振り返っても,無理ゲーの事件のほかは,多くはこれでは立証が足りないからやむを得ないか・・・という思いもある。これが裁判所に期待できる限界ではあるが。

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多重税務者

8万アクセスを超えた。10年くらい前から始めたので,年間8000,一日約22。細々とやっております(笑)
2月9日は,肉の日というかブックの日というか。29年2月9日でしたね。切りが良い。

さて,少しずつ確定申告のための検証作業を進めていった結果,今年は,今日のうちに申告書の9割方が完成した。後は証ひょうや附属書類の補充くらいか。それはいいんだけど,今年からは税金地獄である。これまでは,給与所得で源泉徴収が大分なされていたことなどから,源泉徴収過多で全て還付金を得ていた。これを住民税の原資に充てることもできた。しかし,これからはそうはいかない。かなりの所得税を食らった。
更に悪いことには,売上が中途半端に僅かに免税点を超えてしまい,そのうち消費税まで払わなければならないという現実。
独立当初,暇過ぎて,所得マイナス,臨時福祉給付金をもらうなどと息巻いていたが,別の意味でお恵みが欲しいです(笑) 単価の低い仕事ばかりで,ワーキングプアというか。移動も多いとはいえ,月100時間くらい残業してるんだけどなぁ。国道旅行も制限が必要だ。
そのくせ,税務調査が今年辺りは来そうでならない。別に暮らし向きは全く向上していないし,新車も買えないので,チンコロされることはないと思うが・・・。雑費と接待交際費は控えめにしてるしね。だが分からん。税理士業務の届出はしているものの,何も税理士プロパーの仕事はしていない。というか,単価が低くて事務員を雇えないので,労働集約的な仕事はできない。自分で税務調査を経験してアピールするという逆説か。

ーーーーーーーーーー
小田原市では,ジャンパーだけでなく,マグカップやらボールペンやら,さながらキャラクターグッズのノリで,そういう製品を作っていたらしい。そこまでやるなら,受給世帯全てに1個ずつ頒布でもしてあげたらどうだw 若干の現物給付になるやろ。
まあ,市役所内で「生活保護受給者ヘイトスピーチ同好会」でもアングラで作ってこっそりやっているだけなら,公務員といえども思想良心の自由があるから別に良かったのだが,業務中まではみ出してしまったのが駄目だね。場末の居酒屋で管巻いているのとは全く次元が異なってくる。

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本当はこんな時間に書いている余裕はないはずなんだが,時機を逸しないように走り書きで。

表現の自由が憲法で認められている,そのことは自明であり,わいせつ表現とか犯罪予告とかヘイトスピーチのような表現以外は認められるのが大原則である。この手の表現も「表現」ないし「言論」といえばいえるのであるが,そのような表現まで野放しにすることはかえって公共の福祉に反するということで規制される(その細かい理論構成は,いろいろ考え方がある。)。
さて,ここまでの時点で,「ヘイトスピーチを禁止することが言論の自由の弾圧である」というのは,詭弁ということになる。ただ,わいせつもそうだが,何をもってわいせつなのか,何をもってヘイトスピーチなのかということをきちんと議論しなければ,過度の規制,すなわち言論弾圧となるのも事実である。拙稿では,その各論には立ち入らない。
また,細かくいえば,報道の場合は,放送法による内容の制約があるところであるが,結局は自分の立場と異なる報道は全て偏向しているように見えるものであるから,余り客観的な歯止めにはならない。

以上のような,内容の時点で表現が制約されるものではない場合を考える。
表現者にとって,表現することにまつわる不利益は,大きく分けて2つのフェースがある。一つは,表現行為をする機会自体が与えられないことであり,もう一つは,表現した内容に批判が殺到することである。おおむね,左派は前者の不利益を,右派は後者の不利益を受けている。
表現の自由というのは,本来は,表現行為をすることを(国家から)妨げられないということである。一方,「自分の表現したことが批判されない権利」ではないし,そのような権利を認めることは,表現の自由の根拠である言論の自由市場を否認することであり,およそ許されない。要するに,批判されたくなければ表現すべきでないし,表現するからには批判される可能性を避けては通れないということである。
ブログの場合,コメントを拒否することで直接的な批判を封じることはできるが,ネット上で転載されるなどして批判を招くことはあり得るし,それと完全に無縁でいることは,何人も不可能である。ちなみに,拙ブログは,ネットウヨも含めコメントの拒否はしていないし,真面目に?回答している。余りに炎上するなら考えるが,炎上するほどの表現はしていないつもりであるし,零細ブログなので,ネット民も,炎上させるに値しないブログと思っているであろう(笑)
さて,デモを禁圧したり(ヘイトデモは別論。先述),集会会場を使わせなかったり,著書を本屋が置かせなかったりするのは,表現行為をする機会自体が与えられないことを意味するから,本来の意味の言論弾圧である(厳密には,本屋は民間人であるから直接弾圧の主体にはなり得ないが,拙稿では,仮に民間人による制約も含むものとする。)。したがって,護憲を訴える集会が政治的だからといって不許可にしたり,安保法制に批判的な本のフェアをさせないのは,言論弾圧である(表現の時・場所・方法による制約の問題はあるが。)。他方,「マスコミを懲らしめる」という発言や,南京大虐殺を否定する書籍のホテル客室への設置,あるいはニュース女子の報道内容を(猛烈に)批判するのは,既にその表現活動はなされておりそれを批判しているだけであるから,言論弾圧には当たらない。そもそも表現自体をさせないことと,なされた表現を批判することは全く次元の異なる問題であり,その次元を無視して「言論弾圧」と叫び続ける,これが,ネットウヨ系が主張する「言論弾圧」論のうろんさである(「ろん」ばっかりだ。麻雀ならかなり勝ってるねw)。
もう一つ,ネットウヨが「言論弾圧」を主張することに違和感がある理由は,普段,この人たちは,人権を軽んじるような論調だからである。それほど人権が嫌いで,もっと義務を盛り込めと主張しているにもかかわらず,自分に都合が悪くなると結局は人権を持ち出すのである。よく,「左翼は警察批判ばかりしているが,自分の都合が悪くなれば警察に助けを求めるじゃないか。」という主張がなされる。その詭弁性の説明は省略するとして,ある意味同型の議論である。
さて,そうやって人権を持ち出すのは良いとしても,その実質は,「俺が左翼を批判するのはいいが,左翼が俺を批判するのは言論弾圧」という,ただの自分勝手である。私も大変自分勝手な人間で恥ずかしい限りなのであるが,ここまで落ちぶれてはいないなと自負している。
ちなみに,パヨク側は,「中国が攻めてきたらどうするんだ。」とか,「権利ばかり主張してけしからん。」などと幾ら言われても,それを「言論弾圧だ。」と言って逃げることはせず,何かしら(その説得力はともかく)正当性を主張する。子供でも,自分の言うことを批判されたら,「だって・・・だもん(だってだってなんだもんw)。」と言って,何かしら正当化根拠を考えるのであり,「先生,○○君に言論弾圧されました。」などとは言わない。百田氏も,長谷川解説委員も,沖縄の反対派の正しい現実を,批判に反論する形で主張すればよいのに,そうではなく,「言論弾圧」と言うだけである。そうとしか言えないのは,(屁理屈すら立てられず)反論できないからとみなされても仕方ないであろう。
ちなみに,弁護士会でも,左翼的と思料される決議について,政治的であるからということで,決議を出す機会自体を否定する(弁護士会は強制加入団体であるから政治的な意見は出すべきでない論)主義の先生は少なくない。これを言論弾圧と評するかはともかく,決議を出すこと自体を否定するばかりで,その内容については全然反論してくださらない。だから議論が深まらない。表現の機会自体を封じることのデメリットは,こういうところにあるのである。

では,はすみとしこ氏のサイン会?が中止になったということはどうか。中止に至った背景はよく分からないが,サイン会自体は表現活動の場であるから,それを制約するのは,これまで述べてきた定義上は言論弾圧と解さざるを得ない。さもないと,「俺が左翼を批判するのはいいが,左翼が俺を批判するのは言論弾圧」と同じレベルになってしまう。個人的には,サイン会をさせるだけさせて,あとはどのくらい人が集まるかというところで判断すればよいのではないかと考える。アパホテルの書籍設置も同じである。

幾ら敬けんなYMCA教徒としての人類愛(隣人愛)があるとしても,別にネットウヨにその隣人愛を与えたいとは思わないけど。ただ,ヘイトスピーチレベルでない限り,お互い発言はさせるだけさせて,後は双方の説得力につき人々の判断に任せるというのが,護憲のコロラリーであると考える。

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