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万葉集7 1411・1412・1413・1414・1415・1416・1417 (巻7完)

7 1411;挽歌,亡妻歌

[題詞]

福  何有人香   黒髪之 白成左右  妹之音乎聞

幸はひの いかなる人か 黒髪の 白くなるまで 妹が声を聞く 

さきはひの いかなるひとか くろかみの しろくなるまで いもがこゑをきく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幸なとは如何なる人をいうか

黒髪が白くなるまでも妻の声を聞く人だろう

あのお二人はなんと幸せな方々だろう
髪が白くなるまで夫婦の声を聞けるとは
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<早くに妻を亡くした老人のものだと言われており、共に白髪になるまで、連れ添っている夫婦を羨ましく思い、詠んだものであろう。>


7 1412;挽歌,後悔,枕詞

[題詞]

吾背子乎  何處行目跡  辟竹之  背向尓宿之久  今思悔裳

我が背子を いづち行かめと さき竹の そがひに寝しく 今し悔しも 

わがせこを いづちゆかめと [さきたけの] そがひにねしく いましくやしも
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夫が亡くなるとは思いもよらず

生前つれなく後ろを向いて寝たりして

今となっては悔しくてならない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
* 「いづち」は「いづ」何処」。「ち」は(接尾)場所をあらわす。
* 愛(かな)し妹を いづち行かめと 山菅(やますげ)の そがひに寝(ね)しく 今し悔しも     作者不詳 巻14‐3577

かわいい妻よ
お前はどこへ行くもんか行きっこないと
たかをくくっていた俺だった
ほんとにささいなことでけんかして
山菅の葉みたいに背中を向け合って寝たね
そのことがいましきりに悔やまれる



7 1413;挽歌,枕詞

[題詞]

庭津鳥  <可>鷄乃垂尾乃  乱尾乃  長心毛  不所念鴨

庭つ鳥 鶏の垂り尾の 乱れ尾の 長き心も 思ほえぬかも 

[にはつとり] かけのたりをの [みだれをの] ながきこころも おもほえぬかも
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鶏の長い尾のように

長く思いを持ち続けることは

できないのでしょうね

ニワトリの垂れ尾が乱れているように
長くゆったりした心にはなれなくなった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
* 「かけ」はニワトリ。「庭つ鳥」が転化して「ニワトリ」に。
  「カケカッカー」と古代人は聞いた。



7 1414;挽歌,枕詞

[題詞]

薦枕  相巻之兒毛  在者社  夜乃深良久毛  吾惜責

薦枕 相枕きし子も あらばこそ 夜の更くらくも 我が惜しみせめ 

[こもまくら] あひまきしこも あらばこそ よのふくらくも わがをしみせめ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
薦(こも)で作った質素な枕を共にして寝た

あの子がこの世にいたならば

夜の更けることを惜しみもしようが
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




7 1415;挽歌,亡妻歌,枕詞

[題詞]

玉梓能  妹者珠氈  足氷木乃  清山邊  蒔散<と>

玉梓の 妹は玉かも あしひきの 清き山辺に 撒けば散りぬる 

[たまづさの] いもはたまかも [あしひきの] きよきやまへに まけばちりぬる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛しき人は玉になった

この清い山辺に撒いたら

何処へともなく散っていったよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
* 「あしひき」はここでは「離別の」の意味で、足を重く引きずるの意味も含まれる。
* [たまづさの]はふつう手紙を運ぶ「使ひ」にかかるが、ここでは「恋文(たまずさ)」を贈る相手である「妹」にかけたとみられる。
* 撒いたのは、火葬の後の灰。



7 1416;挽歌,亡妻歌,枕詞

[題詞]或本歌曰

玉梓之  妹者花可毛  足日木乃  此山影尓  麻氣者失留

玉梓の 妹は花かも あしひきの この山蔭に 撒けば失せぬる 

[たまづさの] いもははなかも [あしひきの] このやまかげに まけばうせぬる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
愛しい妻は花になってしまったのか 

この山影に蒔けば消えてゆく
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




サ7 1417;挽歌,大阪

[題詞]羈旅歌

名兒乃海乎  朝榜来者  海中尓  鹿子曽鳴成  A怜其水手

名児の海を 朝漕ぎ来れば 海中に 鹿子ぞ鳴くなる あはれそのかこ 

なこのうみを あさこぎくれば わたなかに かこぞなくなる あはれそのかこ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
名児の海を朝漕ぎ来れば

海を鹿が鳴いて渡っていく 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
* <以下[関根聡『時の記憶』]より記事転載。>
……名兒乃海乎朝榜来者海中尓鹿子曽鳴成・怜其水手

一般的な訓読は、
……名児の海を朝漕ぎ来れば海中に鹿子そ鳴くなるあはれその鹿子

原文中に「鹿子」「水手」があり、訓読は両方とも「鹿子」になっている。
作者は、最初に「鹿子」と書き、文末に「水手」と記した。
その意図は、無視されている。

問題は、文章の意味。
澤潟久孝は、次のように【口譯】している。
……名児の海を朝漕いで来ると、海の中で鹿子が鳴いている。ああその鹿よ。
※『萬葉集注解』(中央公論社1960-67)P-386

澤潟の解釈では、原文「水手」は単なる動物の「鹿」になる。
小豆島のシカ狩りを報ずる朝日新聞の記事を持ち出し、その意を長々と解説している。
作者が、原文で「水手」と書いた語を誰かが「鹿子」と解釈。
現代の大家は、ただの「鹿」だという。

澤潟が「ああ」と意訳した原文表記は、「{立心偏+可}怜」。
過去に「あはれ」と訓まれ、澤潟は「ああ」と解す。
字義には、何の配慮もなされない。
それでよいのか?

漢字{怜}の《解字》は、
会意兼形声。令は、澄みきって清らかな神の命令。冷(つめたく澄んださま)・霊(澄みきった神のお告げ)・玲(レイ)(清らかに澄んだ玉)などと同系。怜は「心+音符令」で、心が澄みきったさま。
形容詞として、“さとい(さとし)。心が澄んでいて賢い。悟りがよい”という意味がある。

漢字{可}には、
動詞として“きく”。助動詞として“べし”の意味がある。
作者は、その{可}に立心偏をつけて、わざわざ「{立心偏+可}怜」と書いている。
その意は、“心して聞くべし”ではなかろうか。
つまり本来の意味は、
……心して聞くべし、澄み切った水手(の声)
と考えられる。

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