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万葉集巻第十一 2506・2507・2508・2509・2510・2511・2512・2513・2514・2515・2516

2506 作者:柿本人麻呂歌集,占い

[題詞](寄物陳思)

事霊  八十衢  夕占問  占正謂  妹相依

言霊の 八十の街に 夕占問ふ 占まさに告る 妹は相寄らむ 

[ことだまの やそのちまたに ゆふけとふ] うらまさにのる いもはあひよらむ
・・・・・・・・・・
夕占の辻占いで問うと

占いは本当に云った

貴女も同じように思いあなたに寄り添うと
・・・・・・・・・・
辻占いで、好きな人が靡いてくると言われて、その通りになる。
事代主は言代主ともされていることでわかるように、「コトシロ」とは言柄を知るの意味だが、神の言葉を伝えることと同義でもある。
言霊信仰は古代から現代に至るまで存在する。



2507 作者:柿本人麻呂歌集,枕詞,占い

[題詞](寄物陳思)

玉桙  路徃占  占相  妹逢  我謂

玉桙の 道行き占に 占なへば 妹に逢はむと 我れに告りつも 

[たまほこの] みちゆきうらに うらなへば いもにあはむと われにのりつも
・・・・・・・・・・
美しい立派な道に出て行き辻占を占うと

きっと貴女に逢えると私に告げた
・・・・・・・・・・



問答




2508 作者:柿本人麻呂歌集,序詞

[題詞]問答

皇祖乃  神御門乎  懼見等  侍従時尓  相流公鴨

すめろぎの 神の御門を 畏みと さもらふ時に 逢へる君かも 

[すめろぎの かみのみかどを かしこみと] さもらふときに あへるきみかも
・・・・・・・・・・
皇祖の神の御門を恐れ多いと思いながら

その傍らで侍従している貴方

その時に逢えるのですね
・・・・・・・・・・
* 大王から天皇への天武天皇時代の宮人にとって「皇祖乃 神御門乎」とは天武天皇のことですから、女は宮中の奥にいるのです。そして、女は宮中で宮中儀式のときに人麻呂を見ることが出来る立場にあります。また、肥後、隼人の宮中警護の人達の所作を歌に織り込んでいることから宮中の日常行事に親しいことがわかります。



2509 作者:柿本人麻呂歌集,枕詞

[題詞](問答)

真祖鏡  雖見言哉  玉限  石垣淵乃  隠而在○

まそ鏡 見とも言はめや 玉かぎる 岩垣淵の 隠りたる妻 

[まそかがみ] みともいはめや [たまかぎる] いはがきふちの こもりたるつま
・・・・・・・・・・
見たい姿を見せると云う真澄鏡よ

その姿を見せよとわたしは言っている

美しい岩を積み上げた中にこもっている私の妻を
・・・・・・・・・・



2510 作者:柿本人麻呂歌集,通い

[題詞](問答)

赤駒之  足我枳速者  雲居尓毛  隠徃序  袖巻吾妹

赤駒が 足掻速けば 雲居にも 隠り行かむぞ 袖まけ我妹 

[あかごまが あがきはやけば くもゐにも] かくりゆかむぞ そでまけわぎも
・・・・・・・・・・
赤駒の歩みが速いので

雲の間からあっという間に現われるように

行きますよ貴女のもとへ

袖まけ床を用意して待っていてください 
・・・・・・・・・・



2511 作者:柿本人麻呂歌集,枕詞,女歌,奈良

[題詞](問答)

隠口乃  豊泊瀬道者  常<滑>乃  恐道曽  戀由眼

こもりくの 豊泊瀬道は 常滑の かしこき道ぞ 恋ふらくはゆめ 

[こもりくの] とよはつせぢは とこなめの かしこきみちぞ こふらくはゆめ
・・・・・・・・・・
谷深く人が亡くなると隠れるという隠口の

立派な泊瀬道は滑りやすい恐ろしい道です

恋する貴方

油断しないでねゆめゆめ
・・・・・・・・・・



2512 作者:柿本人麻呂歌集,女歌,枕詞,三輪山,奈良

[題詞](問答)

味酒之  三毛侶乃山尓  立月之  見我欲君我  馬之<音>曽為

味酒の みもろの山に 立つ月の 見が欲し君が 馬の音ぞする 

[うまさけの みもろのやまに たつつきの] みがほしきみが うまのおとぞする
・・・・・・・・・・
三室の三輪山に光輝いて出る月のように

君が姿を早く見たい

貴方の馬の蹄の音が近づいてくる
・・・・・・・・・・
<[万葉集柿本人麻呂と高市皇子・人麻呂と隠れ妻の恋の行方 その弐]より記事転載。>
集歌2510〜2512で、「味酒の三諸の山に立つ月の見が欲しき」や「隠口の豊泊瀬道は」とあるように男は海石榴(泊瀬・三輪山)方向から「上つ道」を使って通ったようで、恋人から見ると男の住む方向の三輪山に月が出ています。先に見たように恋人の里は、三輪、泊瀬方面の可能性が高いので、「上つ道」は恋人にとって見知った道です。
 集歌2510〜2512の歌が歌われた時、恋人は海石榴から見て西に住んでいます。また、恋人は宮廷の官女です。これらの地理的関知から、この歌の詠われた時代は飛鳥浄御原宮時代(六七三〜六九一年)でしょう。藤原遷都は持統天皇五年(六九一年)であり、二人は近江朝時代からの仲であるから飛鳥浄御原宮の時代の相聞と思われます。



2513 作者:柿本人麻呂歌集,女歌,後朝

[題詞](問答)

雷神  小動  刺雲  雨零耶  君将留

鳴る神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ 

なるかみの すこしとよみて さしくもり あめもふらぬか きみをとどめむ
・・・・・・・・・・
雷神の音がかすかに響いて

空も曇って雨も降ってこないかしら

そうすれば貴方のお帰りを引き留めましょうに
・・・・・・・・・・



2514 作者:柿本人麻呂歌集,後朝

[題詞](問答)

雷神  小動  雖不零  吾将留  妹留者

鳴る神の 少し響みて 降らずとも 吾は留まらむ 妹し留めば 

なるかみの すこしとよみて ふらずとも わはとどまらむ, いもしとどめば
・・・・・・・・・・
雷神の音も雨も降らなくても

私はこのまま留まります

貴女が引き留めるのなら
・・・・・・・・・・
* 「吾」(吾、阿、和、言)は「自分」や「私」を表す名詞で、「我」は助詞。2514では、入道雲が出ているようだが、それは遠くにあり、雷鳴も遠雷である。夕立も近辺では降ってはいない。歌では「貴女が引き止めるなら私は居残ります。」と夕立や遠雷に関係なく詠っている。さらに、キーワードの「留」の字を二度も連続して使っている。 2513の歌の情景は、雷鳴は遠雷でながら、雷雲はこちらに向かって近づく様子が想像され、この状況なら恋人が彼氏に向かって雨が降りそうだから帰らないでとする雰囲気が出る。天候と二人の会話が関連する。2513は2514より歌の深みがまったく違う。




2515 作者:柿本人麻呂歌集,枕詞

[題詞](問答)

布細布  枕動  夜不寐  思人  後相物

敷栲の 枕響みて 夜も寝ず 思ふ人には 後も逢ふものを 

[しきたへの] まくらとよみて よるもねず おもふひとには のちもあふものを
・・・・・・・・・・
夜に敷く貴方の枕が気になって眠れない

恋いしい貴方には後できっと逢えるのに
・・・・・・・・・・



2516 作者:柿本人麻呂歌集,枕詞,答歌

[題詞](問答)

敷細布  枕人  事問哉  其枕  苔生負為

敷栲の 枕は人に 言とへや その枕には 苔生しにたり 

[しきたへの] まくらはひとに こととへや そのまくらには こけむしにたり
・・・・・・・・・・
夜に敷き添える枕は私に聞くでしょう

貴方が使うその枕には苔が生えていると
・・・・・・・・・・
* 時間の長さを表現するのに「苔生(む)す」という言葉が使わる。

・・・・・・・・・
<番外>
藤花は日本固有の植物で、中国にはありません。つまり、漢字の世界では、「藤」の字には藤花の「花」を中心とするイメージでなく、蔦(つた)や蔓(つる)のイメージなのです。つまり、中国では「葛」は蔓植物の「花」などをイメージしますが、「藤」は蔓(つる)などのからまったり、地を這っている状態をイメージします。このため、中国で古代に日本の藤花に似た花を咲かす紫藤をもって藤花のイメージとしたようで、多花紫藤、日本紫藤と記して日本の藤花を示しています。
 この背景から、古代の日本では中国に日本の「藤花」を示す適当な漢字が無いために、日本で藤花を示す場合、「葛(フヂは当字)」や「風散(フヂ)」と示していました。おおよそ、万葉集の時代にはまだ、「藤花」や「藤」の字は無かったと思われます。この典型が、大阪府藤井寺市の地名の由来です。この地名は、葛井寺(ふじいてら)が由来になっています。葛井寺は神亀二年(七二五年)に聖武天皇の勅願により建立されていますから、天平時代はまだ公文書では「フヂ」を「葛」の字を使用して示していたと思われます。また、日本各地の天平時代以前に、建立されたと思われる由緒ある神社仏閣は、「葛」の字をもって、「フヂ」の漢字にしているようです。

唐の李白の五言詩に
紫藤掛雲木 花蔓宜陽春 密葉隱歌鳥 香風留美人
があります。この詩は、桃源洞和双女伝説から題材を採っていますが、双女伝説の内容からは、紫藤は天女が誘う桃源郷への道なのです。つまり、漢詩世界では紫色の蔦藤の花蔓は、桃源郷で応接する薄衣の美女のイメージになっているのです。この故事を知る懐風藻に代表される漢詩の宴を披く漢字文化圏の世界では、高級官僚に「藤原」姓を下賜したことは、逆の意味で一種の驚きではなかったでしょうか。それとも、藤原氏の何かに因んで「藤」の字を選定したのでしょうか。
 なお、天智天皇時代には、中国や朝鮮半島からの帰化人が多く住む土地の地名に「藤原」なる漢字の地名は無かったと思います。飛鳥藤原は、多くの帰化人や留学僧が住む土地です。そこは、藤原(ふじわら)では無く、葛原(ふぢはら)だったと思います。つまり、「藤原」姓は地名に因るものではないと思います。可能性のあるのは、采女と中臣鎌足に因むのではないでしょうか。
<[万葉集柿本人麻呂と高市皇子]より記事転載。>

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