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自宅室内がメチャメチャで、本などの下敷きになっていたパソコンも動かずでしたが、昨日やっと修理ができました。何を掲載したらいいのかも分からないんですが、被災者の一人として、この度に起きた現状を皆様にご報告できれば幸いです。
3月11日に発生致しました東北関東大震災では、多数の皆様方からお見舞いのお言葉を頂戴いたしました。この場をお借りいたしまして感謝申し上げます。
3月11日午後2時45分、朝から肌寒い日でした。いつも通り鑿を叩いて釜神様を彫っているとなんとも不気味な地鳴り音が響いて来る。これは来るな!と思った瞬間岩盤で撥ねるような小刻みの縦揺れ。まあすぐ治まるだろうと思いつつ何はともあれすぐさまストーブを消化。ところが揺れは治まるどころかだんだん激しさを増してきます。ポットや飾り台、道具類が飛び跳ねたり、落下したり、倒れたり。縦揺れから今度は横にグラリグラリと揺れ始めました。横揺れの振幅が強烈になって、もう自力で立っている事ができなくなりました。すぐさま入口サッシ引き戸にすがり付きました。建物は軋み音を立てながら大きく南北方向に揺れ壁やら天井から埃りやら粉塵が落ちてきます。道路向かいの建物ではガラスが次々と砕けて落下。そちらこちらで悲鳴。激しい揺れでこの場から動くこともままなりません。サッシ戸にすがり付いているだけが精一杯でした。経験した30数年前の宮城県沖地震どころの揺れではない。これは大変な事になる。この揺れではこの辺の建築物は皆倒壊するだろう。そしてこの世の終わりだあ〜。心の中で早く止め!早く止め!と必死に祈ってました。長い長い時間でした。本当に長い恐怖でした。やっと揺れが治まって道路に飛び出すと近所の人達も飛び出してきました。揺れてる間は皆、私と同じ様に建物の中から逃げ出せずにいた様でした。
やっと揺れが止んだと一安心して近所の人々と無事を確認しあっている間もなく、又も強い余震が頻繁に発生。工房内の被害を確認しようと中に入るとグラグラ。又、飛び出しを繰り返す。近所の人々も津波という事が頭に無いのか、建物被害のチェックをしている様子。私も工房の建物が隣地に崩れていないかどうかのチェック。本当はすぐにでも高台にでも逃げなくてはならないのに、誰も避難をする様子が無い。今考えると本当に恐ろしい事です。何故誰も避難をしないのか。かつてこの地区は津波の被害を受けたことが無いからか?過去幾度となく地震がありましたが、その際、津波注意報が出てもせいぜい数cmの波でしかなかった経験からか、歩行者は普通に歩いているし、車も普通に往来しているし、皆で集まって地震の話をしていたり、壊れて落下したガラスの掃除したり、壊れた箇所に板を張り付けたりの作業をもくもくと始めている。私の頭の中には津波という二文字はありましたが、皆のそれらの様子を見ているうちにこの二文字は段々消えかかり敷地内の点検を始めていました。今回の災害で膨大な被害者が出たのは恐らくこの様な行動・経験に原因があったのは間違いがないと実感できます。
役場の放送がさかんに何かを語っていましたが、音が反響して全く聞き取れず。一通りチェックを終え、義母が心配なので潰れかかった車庫からかろうじて車を出し高台にある義母宅へ向かった。義母が無事なのを確認し壊れ物を片付けてから再度工房方面に向かうと、今度は町内放送が聞き取れた。スピーカーは高城川堤防決壊のおそれを盛んに叫んでいた。高城川に架かる橋を通って愕然とした。水位は堤防すれすれまでに増水していた。堤防が決壊すれば間違いなく我が工房のある高城町内は全滅である。早くこの場を離れなくてはと焦るが、車は既に大渋滞で全く身動きは出来ない。余震は一向に治まらず、揺れる度に町内放送は「非難!避難!」と叫んでいました。
尺取虫の様にしか進まない渋滞にいらいらしながらも何とか危険地帯から脱出する事ができました。停電で街明かりは全て消え去りまさに暗黒の世界。いつも何気無しに走っている道が不気味でした。その上雪まで降り始め、吹雪になってフロントガラスに叩きつける。気温もどんどん下がり始めて道路は凍結し始めました。なんか大地の怒りと、海の怒りと、天の怒りとを二重に受けている気がしました。いつもは20分程の通勤時間ですが、この日ばかりは4時間以上もかかっての帰宅でした。
後日の情報によると、宮城県の海岸部は全て津波に襲われました。もちろん松島も。高城町に隣接する瑞巌寺のある松島海岸も全て被害を受けました。わが工房のある高城町商店街だけは高城川が決壊せずに奇跡的に助かりました。
今回の大地震の被害は既に皆様ご承知の通りですが、地震と津波は地上にある全てのものを容赦無く破壊し、そして奪い取って行きました。膨大な数の命が失われそれと共に数限りない家屋が崩壊いたしました。消え去った家屋と運命を共にした釜神様もかなりの数にのぼったと思われます。心が痛む次第です。

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貴殿の無事を祈り、連絡を試みましたが、何日もだめでした。
ようやく連絡が取れたことに感謝しています。
送っていただいた釜神さま、どことなく悲しげに見えるのです。
犠牲者の方々の供養は欠かしませんが、とりあえず釜神職人さんの無事を確認できてうれしかった。
これからです。足りないものがあったら教えてください。

2011/3/30(水) 午後 10:04 [ pok**hino*324 ] 返信する

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ご無事でいらっしゃるという連絡を知人から受け取り、とても嬉しかったです。
まだまだ大変な毎日だとおもいますが、どうぞ、ご無理をなさいませぬように・・・。

2011/3/31(木) 午後 1:00 梨木平の桜 返信する

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pok**hino*324 様
いろいろと心配をお掛けしたり、お心遣いまで頂きましてありがとうございます。少しずつではありますが、物資も復旧してきた様な雰囲気です。

2011/3/31(木) 午後 7:45 [ kamamenko ] 返信する

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でるでる様
生きてましたヨー!!お心遣いありがとうございます。
工房は結構破損しましたが、津波が来ないだけでもラッキーでしたヨー。住居は多賀城市にありまして、こちらはほとんど被害らしい被害はありませんでした。近くまで津波は来ましたが.....。

2011/3/31(木) 午後 7:50 [ kamamenko ] 返信する

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梨木平の桜 様
結構身近に死者・行方不明者の方・家が流された方・危機一髪の方がいらっしゃいます。そんな中でkamamenko並びに親族は全く無傷で幸いでした。

2011/3/31(木) 午後 7:56 [ kamamenko ] 返信する

ご無事で良かった!
しかし・・・多数のお亡くなりになられた方、行方不明者、非難されている皆さま方の事を思うと・・・心が痛みます。。。
復興まで長くかかるかとは思いますが、西日本からも応援してますよ〜〜!
こちらも大きな地震がいつ来るか・・分からないので他人ごとではありません!
僕は大工をしているので、機会があれば復興のお役に立てることがあれば東北に飛んで行きたいぐらいですよ!

2011/4/2(土) 午前 8:57 [ ピッコロ ] 返信する

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ピッコロ 様
身近に親・兄弟・親戚等を亡くされた方が多数います。何とも慰めの言葉も出ません。1000年に一度とは言いますが、そんな事は分かりはしません。次は明日かもしれません。東北だけとは限りません。余震がある毎に今度こそ終わりか〜!と思う位に皆さんはいまだに動揺しています。

2011/4/2(土) 午後 8:43 [ kamamenko ] 返信する

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鑿 砥石類がちゃんとあるということですね。 安心いたしました。

人の心に 勇気を与える 釜神様を いちはやく 彫り始めてあげてください。 地域の守りとして 復興のシンボルとして。

2011/4/3(日) 午前 6:33 [ でるでる ] 返信する

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でるでる様
お力強いお言葉をありがとうございます。鑿も落下してめちゃめちゃになりましたが、いち早くチェックしたところ何とか無事でした。
私の場合はとりあえず鑿さえあれば何とかなります。先日購入したばっかりのチェンソーも丸太の下敷きになりさらにその上にコンクリートが落下しまして、もう駄目かーと諦めていましたが、先日バラしてコンクリートのかけらなどを取り除いたら、うれしい事に動きました。助かりましたー!!

2011/4/3(日) 午後 8:04 [ kamamenko ] 返信する

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