高倉勝子美術館

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高倉勝子美術館

登米「高倉勝子美術館」に工房釜神の釜神様がディスプレイ展示されています。
http://takakuraart.blog.fc2.com/blog-entry-471.html
この美術館は高倉さんが自費で建て、ご自分の作品と共に市に贈られたものです。
プレオープンという事で行って参りましたが、作品は懐かしい日本の原風景、奥の細道、仏像を題材としたものの絵画や、墨画、童話などなど中々見ごたえがありました。

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【H21,9/19 河北新報より】

○登米「高倉勝子美術館」来月オープン
○古里の文化活動拠点に
○日本画と水墨画51点
○「原爆の図」など代表作も

登米市出身で仙台市在住の日本画家高倉勝子さん(85)の作品を展示する「登米市高倉勝子美術館」(愛称・桜小路)が10月4日、登米市登米町に開館する。9月19〜30日はプレオープンとして入場を無料にする。
美術館は高倉さんが私費で建て、市に贈った。施設の管理を担う市教委は、地域の芸術文化活動の拠点となるよう期待している。
 展示するのは、高倉さんの日本画と水墨画計51点。河北美術展で文部大臣賞を受けた「黄衣」や結婚で移り住んだ広島での被爆体験を基にした原爆の図」などの代表作も含まれる。
建物は蔵造り風の木造平屋。延べ床面積は約340平方メートル。常設展示室と収蔵庫、多目的室、ギャラリーを設けた。総事業費は約1億円。
 美術館の場所は、旧水沢県庁や武家屋敷「春蘭亭』が建ち並ぶ一角。旧仙台法務局登米支局があった1080平方メートルの市有地に建てられた。
 高倉さんは17日、「古里の文化活動の活性化のために役立ててもらいたい」と、美術館のほか、作品93点を市に贈った。
 高倉さんは女子美術大日本画部卒。2008年度、地域文化功労者文部科学大臣表彰を受けた。現在は河北美術展参与を務める。
 美術館の斎藤壮寿館長は「多くの地域住民が芸術活動に取り組む拠点にしたい」と話している。
 休館は年末年始のみ。開館時問は午前9時〜午後4時半。10月4日以降
の入場料は一般200円、高校生150円、小中学生100円。連絡先は美術館0220(52)2755

【高倉勝子さん年譜】
大正12年 宮城県登米郡登米町東針田122に長女とて出生。
昭和11年 登米尋常高等小学校卒業。
昭和11年 宮城県立登米高等女学校に入学。
昭和15年 同校卒業(修業年限4年)。
昭和15年 女子美術大学日本画部に入学。
昭和17年 同校卒業(修業年限3年)。くり上げ卒業。
昭和19年 宮城県立登米高等女学校教諭に任命される(宮城県)。
昭和20年 依願退職(婚姻のため)。
昭和20年 広島で原子爆弾をうけ全身負傷し奇跡的に助かる。
      当時陸軍中尉であった夫とともに広島の任地で被爆。
昭和20年 原爆症の不安と失意の身体を引きずって、長男である夫の生家登米郡登米町に無一物で帰り、細々と農業をしながら希望のない将来の生き方を模索する日々が続いた。
昭和23年 宮城県登米郡登米中学校教諭に任命される(宮城県)。
昭和23年 任地方教官、叙一級官中学校教諭という辞令をもらい、長男である夫とともに、大家族10人      の家事一切の世話と農事をしながら、教師の道をまた歩み始める。
昭和26年 刈田郡大鷹沢中学校教諭に任命される。
      夫、勤務のため、一時期白石市に居住する。
昭和27年 宮城県利府中学校教諭に任命される(宮教委)。
      原爆症の不安とたたかいながらすこしずつ、絵が描きたい、描かなければ、と切実に苦しむ毎日が続いた。子育て、教職と多忙な毎日の中から本気になって写生帖を広げる気分になる。
昭和31年 「少女」河北美術展入選。
昭和32年 宮城県多賀城中学校教諭に任命される(宮教委)。
      「稽古」河北美術展入選。
昭和33年 第22回河北美術展出品作「黄衣」文部大臣賞を受賞。
      第20回の「少女」、第21回の「稽古」に引き続きの出品作は筆舌に尽くせぬ感激を味わわせていただいた。
昭和37年 第26回河北美術展出品作「漁婦」東北放送賞を受賞。
昭和39年 第28回河北美術展出品作「漁婦」F氏賞を受賞。
昭和39年 宮城県芸術協会展に「観」を出品。
昭和41年 第30回河北美術展出品作「彼岸詣り」仙台市教委賞を受賞。
昭和41年 宮城県芸術協会展出品作「母子の像」芸術祭奨励賞を受賞。
昭和42年 宮城県芸術協会展出品作「春子」後援会長賞を受賞。
昭和42年 宮城県多賀城市より永年勤続で表彰される(多教委)。
昭和43年 宮城県塩釜市立第三中学校教諭に任命される(県教委)。
昭和43年 宮城県芸術祭出品作「猫と少女」芸術祭賞を受賞。
昭和44年 文教図書出版中学校美術教科書編集委員に委嘱される。
昭和44年 塩釜市美術教科指導員に任命される。
昭和46年 第35回河北美術展出品作「母子像」宮城県知事賞を受賞。
昭和46年 宮城県芸術祭出品作「鏡」仙台市長賞を受賞。
昭和48年 第37回河北美術展出品作「昔ぱなし」東北放送賞を受賞。
昭和49年 宮城県芸術祭出品作「星まつり」仙台市長賞を受賞。
昭和50年 第38回河北美術展出品作「餅花祀」東北放送賞を受賞。
昭和51年 第40回河北美術展出品作「離農」宮城県知事賞を受賞。
昭和52年 仙台市立三条中学校教諭に任命される(県教委)。
昭和52年 永年教育功労者として宮城県教育委員会から表彰される。
昭和53年 河北美術展招待作家に委嘱される。
昭和54年 仙台市立三条中学校を退職。
昭和58年 河北美術展顧問に推薦される。
平成元年  宮城県文化功労者として表彰される。
平成元年  登米町町制施行百周年記念行事として日本画展を開催。
平成元年  雄勝町が、日本画水墨画特別展を開催。
平成5年  仙台市市政功労者として表彰される。
平成7年  高倉勝子画集「悠一祈り・いのち・風流・大地−」出版
平成16年 高倉勝子画集「悠一祈り・いのち・風流・大地−」その2 出版
平成18年 「原爆図3」発表 「保呂羽跡」「平和の祈り」
平成20年 河北美術展参与に推薦される。
平成20年 文部科学大臣より地域文化功労賞を受賞。

◎主な出版物
昭和49年 「古げたのおぱけ」(塩釜市教委)
昭和54年 「墨絵の楽しさ」
昭和54年 「つつみのひなつこ」
昭和54年 「宮城の歴史ものがたり」の編集委員と挿絵を担当
平成7年   高倉勝子画集「悠一祈り・いのち・風流・大地−」
平成16年  高倉勝子画集「悠一祈り・いのち・風流・大地−」その2

◎主な役職
 ○河北美術展参与
 ○宮城県芸術協会参事
 ○河北カルチャー教室講師(水墨画)〜H20
 ○石巻市雄勝町「硯絵」「硯工芸」審査員(指導)
 ○仙台社会保険センター 水墨画教室講師
 ○墨泉会・水平会(水墨画)、緑扇会(日本画)を主宰

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