4 人々は“地名の移封”を分からない
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私は1988年3月から「古事記のリアルな解明1〜28」を達成し、1990年12月に東京神田神保町1−8の日本文芸社から佐藤寿哉・著「わかりやすい古事記入門」として出版が実現になった。
私は、それなりに評判になるだろうと思って、期待していた。だが、ほとんど評判にはならなかった。ほぼ沈黙された。だが私は、そのうちに「わかりやすい古事記入門」(古事記のリアルな解明1〜28)の価値を分かる人が現われてくるだろうと思っていた。しかし実際には、ほとんど誰も私の解明を分かる人はいなかったのだった。
私は、2000年10月から札幌で「古事記語り部コンサート」を始めた。それは年一度くらいのペースで2005年まで続いた。それは、ヤフー・ブログ「古事記語り部コンサート」(05年7月〜10月)に記録された。
そして私は、2002年5月からインターネット・ヤフー日本史掲示板に「古事記のリアルな解明」トピを開設した。私は私が直接に人々に“古事記のリアルな解明1〜28”を説明すれば、それが日本古代史の真の解明であることを分かる人たちが現われるだと思っていた。
ところが、なんと、誰も「古事記のリアルな解明」を分からない。そのうち価値を分かる人が現われてくるだろうと思っていたが、04年10月〜05年2月には“古事記リアル解明講義”も成されたが、結局誰も「古事記のリアルな解明1〜28」を分かる人はいなかった。
その結果、なぜ誰も「古事記のリアルな解明1〜28」を分からないのか、やっと私に分かってきた。単純に言えば、人々は誰もが「古事記」「日本書紀」に、倭・大和とあればそれは=奈良県であり、出雲とあればそれは=島根県であり、日向とあればそれは=宮崎県だということから、絶対に動けない。
それを別の言い方で言えば、人々は誰もが、“地名の移封”ということを分からない。誰も、”地名の移封”を認めない、認めることができないのだ。地名が移動するのは、特に日本列島の良い場所にあった地名が山陰や南九州の辺地に移動するのは、もちろん地名が勝手に足が生えて移動して行ったのではない。良い場所にいた人々が政変などによって辺地に追われたり流罪・移封されたりした結果、地名もまた辺地に移動してしまう、ということを、なんと人々は誰も分からない、誰も認めないのだ。
特に「倭・大和」「出雲」「日向」という、非常に重要な決定的な地名が、奈良県・島根県・宮崎県を意味することになったのは、地名の移封・移動の結果なのだということ、非常に大きな権力の交代・変化の結果によるのだということを、人々は誰も分からないのだ、誰も認めない、認めることができないのだ。
「元倭」「元出雲」「元日向」が全て九州北部・九州北東部にあったなんてことを、分かる人、認めることができる人は誰もいないのだ。私以外には。
倭(大和)=奈良県、出雲=島根県、日向=宮崎県ということが日本古代史の過去の過去からそうなんだと無条件・絶対的に思い込んでいる人々にとっては、私の「古事記のリアルな解明1〜28」の日本古代史の真実の解明は、逆に、奇異な珍説・奇説の類い、とんでもない説にしか見えないのだ。 |





