リバーの命日
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今日は、盲導犬リバーの命日。 リタイヤ犬として我が家に来たのが、2001年の3月。 その後、およそ2年間我が家で余生を過ごした・・・。 たった2年間ではあったが、我が家の子どもたちの成長と重なり、 本当の家族のように過ごしていた。 他界して、もう4年目になる。 当時、小6と幼稚園年長だった子どもたちも、今は高1と小4。 昨年の夏休みに、息子が「手紙作文コンクール」に応募したリバーへの手紙。 拙い文章で恥ずかしいのだが、この機会にUP(^^ゞ 「リバーへ」 まっ黒い大きな犬、それがリバー。 13才まで、盲導犬として仕事をしていた。仕事を引退して、普通の犬として生活するため、ぼくの家にやってきてくれた。 ぼくは、まだ幼稚園児だったので、リバーがかなり年をとっている事も、どういう仕事をしてきたか、という事も理解できなかった。 リバーのやさしい大きな目、やわらかい耳、しめった鼻、長いした、白髪まじりの固い毛、みんな、みんな大好きだった。足の肉球は、たくさん仕事をして、ユーザーの目となって暑い夏のアスファルトの上も、冬の凍った道も歩いていたので、ボロボロだったけど、さわっているだけで、あたたかくて安心できて、ウトウト眠くなっちゃったよ。 リバーの布団に、ぼくが強引に昼ねしたら、リバーはだまって、はじの方によけてくれてずっと起きて、ぼくを見守ってくれていたんだってね。ぼくが目をさまして、どいたらやっと手足をのばして安心して眠りはじめたんだ。 一度だって「ワン!」とほえた事がない。「カム」で必ずそばに来てくれる。「ワン、ツー」と外で声をかけた時しか、おしっこやうんちをしない。「ステイ」といえば、一時間でも二時間でもふせの姿勢でぼくを待っている。 リバーが15才になり、ぼくの家が転きんする事になった時、「体力が落ちているリバーを飛行機に乗せて連れて行くのは、かわいそうだね。」「盲導犬センターに帰るかい?」と家族で話していたら、リバーは食事をとらなくなった。あんなに大食いで早食いだったのに・・・言葉がなんでもわかったんだね。リバーの好きなお肉をやわらかくお母さんが煮てあげたのだけ少し食べたね。ある日ぼくが幼稚園から帰ってきたら、ベッドに血がついていた。歯がほとんどぬけちゃった。じゅう医さんは点てきとかの治りょうは、年れい的にこの犬には望ましくない・・・と言ったので少しずつ食べられる物をぼくやお母さんが口に持っていき、なんとか食べてもらっていた。 やがて、足も立てなくなっちゃった。体重が30kgもあったので、お父さんとお母さんがだっこして、外に連れて行きおしっこさせていた。「頭がいいから、オムツにしてくれないのも困るね。」と言われても利口なんだから仕方ないよね。 数日後、たまたま家族がみんながそろっている夜、お母さんが水を飲ませようと起こした手の中であっけなく天国に行ってしまった・・・。 ぼくは、目がとけるんじゃないかと思うほど泣いた。お母さんみたいだけど、妹のようだったリバーがぼくの家からいなくなったのは、信じられずとても悲しかった。お姉ちゃんは、夢にリバーがでてきて、おもいっきり走っていた、と言った。お父さんとお母さんは、夜中にリバーの歩いている足音を聞いたと言った。リバーはお別れした日から、ぼくには会いにきてくれないね。 転きんが終わって、今年の春に家に帰ってきた。当たり前だけど、リバーはいない。ある日何気なく、幼稚園のお道具箱を開けたら黒いつやつやの固い毛が入っていた。リバーの毛だ。やさしくなでた。じーっと見ていたら目から涙が自然に出た。 リバーがいたから一人でのるす番もさびしくなかった。朝、リバーの鼻がぬれていると、今日も元気だなー、ぼくも元気にがんばろうと思えた。肉まんやおせんべいを半分こにわけて食べたね。ぼくがしかられた時涙をなめてなぐさめてくれたね。 リバーが残してくれたのは、沢山の沢山の思い出。今でも目を閉じれば、むねがあたたかくなる、リバーとぼくの思い出。ぼくの家ですごした、ただの犬としての生活は楽しかったかな?今10才になったぼくは、リバーがどんなにい大な仕事をしてきたのかを理解できるよ。 今、盲導犬が足りないんだそうだ。リバーみたいな犬が育つには、沢山のお金がかかるらしいので、ぼくはお小遣の10分の1を毎月貯金してたまったら寄付しているよ。 名犬盲導犬リバー号!!ぼくの家に来てくれて本当にありがとう!! |





