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被災地では 復興と絆、狭間で苦闘

被災地では 復興と絆、狭間で苦闘
2012.1.2 09:17 (1/3ページ)
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復興に向けた打ち合わせをする白幡雄児さん。現在は市の嘱託職員として陣頭指揮を執り続ける=昨年12月16日、宮城県気仙沼市・大島(古厩正樹撮影)
 東日本大震災の被災地では地域のリーダーたちの活躍が脚光を浴びたが、同時に批判や悪意にもさらされていた。彼らはどう振る舞い、危機を克服してきたのか。苦闘の日々はいまだ続いている。
                   ◇
 ■宮城県気仙沼市
 大きな津波被害を受けた気仙沼市沖の大島から昨年6月、本紙に届いた手紙は、地元の救援活動をめぐる「告発」文だった。
 《島の災害対策本部では、支援物資の横流しが頻発しています。疑惑は島内でささやかれ大きくなっています》《全国の方々の善意が踏みにじられている》
 手紙は、仲間内に家電など支援物資を分け与え、復旧工事も身内の企業に発注している−とある人物名を挙げ、「そんなリーダーなら要らない」という趣旨の文章がつづられていた。
 名指しで批判されたのは、島の災害対策本部長だった白幡雄児さん(63)ら対策本部幹部だ。
 手紙は6月以降も断続的に本紙に届いた。震災から時間がたつにつれ、復旧や復興のあり方をめぐって島内で不満が高まっていったことを示している。
 大島は面積約9平方キロで人口約3400人。津波で31人が死亡・行方不明となった上、本州とを結ぶフェリーが打ち上げられ、孤立状態に。被災翌日には山林火災も発生した。避難道の確保、負傷者の搬送、食料確保…。行政の支援はごく限られ、島の誰もがいう。
 「戦場だった」
 飲食店を営み、大島地区振興協議会で会長を務めていたのが白幡さんだった。対策本部長に担がれ、トップダウンで次々と指示を出していった。家を失った人を、顔見知りの宿泊施設に次々と送り込むことを考えた。「人手が足りなくて困っている」との声には、できる範囲で即決で人を派遣した。
 「強いリーダーシップがあって、支援態勢の立ち上がりは成功していた」
 島の復興を見続けている島外のボランティアグループ幹部はこう証言し、その上で「島内に落ち着きが戻り始めると、島民から不満が出始めた」とも指摘する。
 「対策本部に顔を出しても『会議室には入らないでくれ』といわれた。のけ者にされていると感じた」
 かつて地域の漁協で代表を務めた島の長老男性は不満を隠さない。
 対策本部側は「住民が本部内でお茶を飲み雑談することがあった。こちらが仕事に追われているのに…」と反論するが、結果的に人間関係の亀裂が残った。
 白幡さんは「専制的な手法を用いたけど、次々と浮上する課題に余計な時間はかけられない。批判を気にしていたらやっていけない」と語る。ただ、こんな心境に陥ることもある。
 「何で俺が、批判を受けながら本部長をやらなければいけないんだ。俺だって家財を全部失ったのに」□批判・中傷にも「負けない」
 ■福島県飯舘村
 東京電力福島第1原発事故で昨年4月に計画的避難区域に指定された飯舘村の菅野典雄村長(65)も、村内外からの心ない批判や中傷に悩まされた。
 菅野村長は村民約6千人が生活基盤も故郷も失い、村が帰ることのできないゴーストタウンとならないように全村避難の回避を模索した。これに対し、放射能被害を恐れる全国の人からこんなメールが毎日、何通も届き続けたのだ。
 「殺人者」「住民をモルモットにするな」…。
 だが、菅野村長は「つらいが、そんなのに負けてはいられない」と信念を貫き、「渋る国と徹底的に向き合い、対案を提言してきた」。その結果、村では現在も民間工場など9事業所が村外から通う従業員によって操業を続けている。
 「『避難しろ』『命は大事だ』というのは簡単です。だけど、その先のことを何も考えていなかった」
 やがて届くメールもこのように菅野村長の考えや姿勢に理解を示すものが増えていったという。
 そんな菅野村長がいま懸念しているのは、避難生活も7カ月に及ぶ中で、村民が早期除染による帰村を望む人と村外に新天地を求める人とに二極化してきたことだ。
 「村民の心の分化、人間の心の被災が今、ものすごく進んでいる。これが放射能災害の特殊性だ」
 菅野村長はこう現状を指摘する。背景にあるのは国の政策の一貫性のなさだ。
 野田佳彦首相は10月の所信表明演説では「除染を国の責任で進める」と表明し、11月には「被災地の土地買い上げを検討する」と述べた。菅野村長は憤る。
 「野田首相は一体何なのか。村民の心のケアが必要なときに、ブレにブレて逆に村民の心を分化させている。政治はもっと信念を持ってやり抜かないと。菅直人前首相も有事のリーダーではなかったが…」
 震災後、飯舘村には政府・与党の多くの政治家が視察に来たが、村側の要望に即座に反応したのは鳥取県知事を経験した片山善博前総務相だけだったという。
■岩手県釜石市
 震災は企業の責任者にとっても、住民との関わり方を見直す契機となった。
 震災発生翌日の昨年3月12日夜、近代製鉄発祥の地として知られる釜石市の新日本製鉄釜石製鉄所。谷田雅志所長(57)は部下たちと被災状況や今後何をすべきかを話し合ううちに、自身が日ごろ口癖としてきた「地域とともにある製鉄所」という言葉の原点に改めて思い至った。
 「自分が目指してきた製鉄所の姿とは、こういうことだったのか」
 谷田所長は早速、市側に「協力できることはすべて協力したい」と申し出た。製鉄所は避難民に構内の大浴場を開放し、遺体安置場所やがれき置き場も提供した。グラウンドも仮設住宅用地として使ってもらった。市企業立地推進本部の佐々隆裕副本部長(56)は「製鉄所のインフラはほとんど活用させてもらった」という。
 多くの被災企業が釜石での事業再開を断念する中で、オフィス家具大手の岡村製作所と新日鉄が共同出資したスチール家具のエヌエスオカムラが生産再開を決めたときのことだ。
 同社の佐藤省一副社長(60)が製鉄所構内の空き倉庫2棟を移転先として「貸してもらえないか」と打診すると、谷田所長はすぐさま「どうせやるなら4棟使ってほしい」と応じた。
 再開は地域住民の雇用にも結びつく。もともと新日鉄の企業城下町だった釜石だが、いま震災を通じて新たな絆が結ばれつつある。
 JR釜石駅前の広場では24時間、小さな灯火がちらちらと揺れる。釜石を象徴する鉄のモニュメント。震災でガス供給が止まり、約9カ月間消えていたが、現在は「復興の希望の灯火」(野田武則市長)として街行く人々の足元を照らしている。http://blog.libertytimes.com.tw/admin.php?op=newPost

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絆の語も病むか 後智恵癒えぬ間見下げ 委ねん空を拉ぐ 競り売る違和に溺れ すべて鎧ふ眼は   きつなのこもやむかあとちゑいえぬまおほれゆたねん そらをひしくせりうるゐわにおほれすへてよろふめは   少し語が出渋り気味だが下記の記事を踏まへて作る。 野田佳彦首相は10月の所信表明演説では「除染を国の責任で進める」と表明し、11月には「被災地の土地買い上げを検討する」と述べた。菅野村長は憤る。 「野田首相は一体何なのか。村民の...

2012/1/2(月) 午後 3:58 [ 流れの面 ながれのおも ]

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