チャーボーおいさん
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「チャーボーおいさんには可愛がってもらったよ。」
昨夜の小学校のプチ同総会に来ていた寡黙なある友人がポツッっと言った。
私はすぐに顔を上げて言った。「ああ、父がお世話になりました。ありがとう。」
私から、もっと違う言葉を求めていたのか、彼は、顔を緩めなかった。
いや、少し、緩めたか?
こんな風に亡くなった父のことを私に話してくれる、地元の友人の存在。
・・・心から、有り難いと思った。
45歳にもなって、
とっさに、こんな言い方しか出来なかったのは、・・・私も、シャイだから。
大学卒業後、勉強を続けたかった私は、そのことで
母と意見が合わず、独り暮らしを一年だけさせてもらったことがある。
平日はOL。
休みの日は、冠婚葬祭に限った和装コンパニオンのアルバイトに登録。
「着物を自分で着られて、茶道の心得がある既婚の25歳以上の女性」が
その応募資格だった。私は、まだ、22歳の独身だったが、何も偽らなかった。
「一度、一緒に動いてみて、それで、採用するかどうか、決めましょう。」
私は、求人の条件とは、かけ離れていたが、結果、「採用」になった。
このアルバイト料で、私は、お茶のお稽古に通い続けた。
ある日、会場まで送り迎えしてくれる社長(男性)が、私に話し掛けてくれた。
「吉積さんは、昔懐かしい博多弁を使うねぇ。元々、博多の人?」
「はい、奈良屋です。生家は燃料問屋です。」
「ということは、奈良屋の吉積さん?」
「はい。」
「あ、そうね!貴女のお父さん、知らん人は、博多じゃ、モグリよ!」
・・・・父は、どんな有名人なんだろうか?
娘は、父親のすべてを知ってるわけではない。(^^;
小学校、中学校の同級生
学校に在学中は、私自身とは、ろくに付き合いがなかったのに
「チャーボーおいさん」と言ってくれる、この友人の感覚は
ヤマ(博多山笠)で培われた、男同士のあ・うんの呼吸、そのものだ。
博多(九州)の男たちは、口下手だが、ハートフルである。
あぁ、私も、男に生まれたかった。昨夜、彼らを見ていて、そう思った。笑 |







