天徳貴人の気配り

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あくまでも勁い心をもって

曇ってはいるが実に穏やかな元旦を迎えることができ、家族の平安と安寧を喜び、2012年壬辰平成24年の安泰な生活を願ってしまう。

新聞等の干支の絵が、昇り龍を凛々しく表現させた見事な絵を掲載しているが、だれしもが納得できる生き様の日々を送りたいものだ。

年末に読んだ松下幸之助翁の記事の中に、人は不運になっても不幸になってはいけないと、書かれていたことが強い印象で残っているが、事実まぎれもない至言だと思っている。

元旦だからおめでたいことだけを記載すれば好いのだが、生きる厳しさがあり世の中の決まりごとに生かされる日々を、何としても天命の恩恵を受けながら、清らかに穏やかに対峙をしていくことを目指している。

元旦のテレビ画面からは、お正月の縁起良い富士山の初日の出とか、各地の神社仏閣の初詣の様子が伝わってきているが、外見からは観ることができない、様々な願い事を真剣に参拝する姿は、人の持つ人間の素と器として窺え知れないものがある。

元旦の新聞記事にあった、アメリカの作家であるドナルド・キーン博士が、日本人が持つ心の勁さを、日本人以上の繊細さで評価をしていたことが嬉しくなる。

ドナルド・キーン博士は長年日本文化を研究されてきて、昨年の3月にあった東日本大震災に期を同じくして、長年の夢であった日本人となる帰化申請を決断された方だが、知る限りもっとも日本人らしい優雅な心をもった文化人である。

日本人として生まれ育っても、なかなか奥深い日本文学は馴染みが無く、古典の書籍も縁遠い学生時代が悔やまれるが、キーン博士の能力の高さと熱心な研究心の情熱を喝采しなければいけない。

国籍に関係なく、人の持つ感性と意識の高さが、どれほどの感嘆と感銘を得ることが出来ることを、キーン博士が教えてくれているようだし、奥深く理解をしようとする意慾こそが、人を凛々しく若々しくさせてくれるようでもある。

文学とは縁遠い人間を自認しているが、文学に限らない異文化の理解は、その人を豊かな心にさせてくれるようだし、包容力をもった人間の温かさが、人までも豊かな心にさせてくれる。

元旦早々に素晴らしいキーン博士の文章に出会えて、とっても嬉しくあり、人情を厚くもった人やロマンティストの勁さが如何に大切で価値があるかを、縁起良く教えてくれたお正月のスタートが出来たことが嬉しいく心丈夫である。

毎日は様々な情景をもって対峙をさせてくれていることに、難ありて感謝をし、無難に大きな感謝をし、あくまでも勁い心をもって、前を向き歩むことが肝心であるようだ。

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それだけに一層の心掛けをして

威風堂々とは言わないまでも、淡々と正々堂々の心構えをする人として、常に虚心坦懐に生きることを心掛けていきたいし、できるだけ不平不満を吐露しない生き様を学んだ。

今年も大晦日を迎えて、ひたすら感謝の気持ちが大きく、様々な物事を経験することができたことが、とってもありがたいことであり、手を合わせて謝恩をするばかりである。

お蔭様で、様々な方々からありがたい教示を頂いたし、身に余る厚情を受け取ることもできた一年でもあったし、特に世話になっている方々からの情愛は、嬉しくも自分への御加護のありがたさを身に感じてしまう。

悩み苦しむことが多くあったが、すべてのことは自身の因果があってのことと自戒し、そうした自己管理もできる余裕ができた。

因果応報の教えではないが、年齢に関係なく反省をする素直な気持ちが大事であるし、何かというと人のせいにすること、物の性にすることが往々にしうてあるのだが、ものごとの摂理を理解するべきである。

善悪や正邪は何時の時代も環流しているし反復しているのだから、それが当たり前のことと真摯になって対峙していけば、この世の中は天上天下の流れを俯瞰することができるかもしれないし、素朴になって皆さんからの理解を得ることができるだろう。

一年が過ぎ去る大晦日に思うことは、元旦を迎える新年は年齢を一歳加齢するし、67歳の新年の一年間を、先ずは何よりも健康第一、家族ともども家内平安を願いながら、どうしても難儀を乗り越えていく必然を実現させてみたい。

勇気と忍耐力をもって、正直に親切に愉快にして、信念をもった日々を淡々として生きていくことこそ、我が人生の大道無難としたいものだ。

刻一刻と新年に向ってカウントダウンがされているが、去る一年間に大きな感謝をして、迎える新年を元気に輝かしくできる頑張りを、しっかりと果たしていくことを誓ってしまう。

一人だけの願いや希望でなくして、世の中の全てが希望に満ち溢れた明るさをもって、助け合い尽くしあえる思い遣りも、大切に心においていこうと思う。

姉が亡くなってから、多くの方々からお悔みや慰めの声掛けをして頂いてきて、この年末と年始はお祝いが出来ないが、それだけに一層の心掛けをして、価値ある一年間を振り返り価値ある新年にしていかなければいけない。

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幼い小心者な証拠であることを認識しながら

何回も何回も繰り返して発信をしても、その度に不具合で配信できない旨の案愛メッセージが届いてしまう。

メールアドレスを確認して、できることをしても、日を改めても同じ結果に気が滅入るのだが、執拗に繰り返して配信の作業をしている自分がいて、作業をしながらどうすれば良い結果がでるのか、無い知恵を巡らせてしまう。

年明け早々に東京である研修セミナーの案内と、参加を問うメールを出して、参加の集計をしているのだが、10数名から返信されてくる内容で、その人が持つ個性が伝わってきて、人を俯瞰してみれる機会にもなっている。

返信や応答が素早い人もいれば、遅々として反応が無く、待つ身である立場がとても不愉快に感じることになるのだが、気にするほど気分的な不快感が増してしまうもの。

その人の考え方や価値観の差異があり、基本的な人様との礼節を理解するのであれば、配信がされたら適度な日で持って確実な返信をするべきであろう。

問い合わせる内容の返信をすることで、自分の責任を果たすことができるし、その返答の内容でその人の持つ徳目が伝わってくるし、人間性の発揮のしどころでもあるから、たかだかメールの返信で解釈されたら軽薄だと思う。

メールを受けとっても内容を把握しても、だんまりの無視をする根性が分からないし、その人の心魂にある性格が理解できないのだが、こうした悪癖を持つ人の中には、一見した外聞が良さそうな責任ある立場の人もいる。

此方とすれば人格者であると評価をしている人からすれば、あまりにも大きな差異がショックであり、期待を裏切られた失望感が大きくなる。

世の中で一応の評価を頂いている人であればあるほど、自覚する責任感は比例するだろうし、自覚をする必要があると信じてしまう。

メールの返信一つをもって、その人となりを評価すること自体が稚拙であるかと、自問自答をしてしまうのだが、たしかに、人は人としてみれば、自分の生き様を確りと構築させて、人から懐疑心を持たれないようにすることが肝心なのかもしれない。

人の振り見て我が身を正すこと、こうして吐露を書き込んでくると、改めて自身の生きる姿勢を正すことを、もっともっと厳しく見つめ直すことが肝心であると気づかされているようである。

まだまだ幼い小心者な証拠であることを認識しながら、稚拙な文章を書きこんである自身に、もっともっと叱咤激励が必用でもあることも反省をしている。

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これからの天命を全霊で受け止めていこうと念じる

4時間の経過とともに疲労感が強まり、身体が火照っていくのが分かり、おそらくは耳たぶが赤くなっているのかと思いながら、熱気をもった会議室の机にむかっていたのだが、対面する二人の担当者も、顔に赤味の熱を帯びている様子が分かった。

机を挟んで座った三人が、お互いに向き合いながら試行錯誤の会議をしていたのだが、暖房の性ではなく身体の奥から方出する熱気が、真剣な思考のエネルギーとなっていたのだ。

さすがに時間経過とともに、三人の疲労感がピークを迎えたようで、どうしても緊張感が途絶えることになり、会合の最後には目が虚ろな情況で終わることになった。

長い年月の懸案する事項につき、三人よれば文殊の知恵になると信じて、いつも同じメンバーで討議をしているのだが、抱える課題が大きいのか、なかなか一気呵成の解決策がみつからなくて、いつも進捗悪く往生をしてしまう。

こんな時に思うことがあって、人間の力量では図ることのできない天真があり、すべての決め事とは、天命の大きな力によって加減されているように思えてしまうのだ。

順調な時の天真もあれば、不調の時の天真もあり、大自然界のさじ加減は魔力そのものである気がするし、他力本願だけでない天命の真実が宿っていることを理解する。

宇宙大万物の中で生きる我々人間は、いかに謙虚になって人間性を磨きあげる心構えがあるかを、確りと見極められているようで、ひたすら大自然界から認知されるかの判断をされているように信じてしまう。

どんな時にでも、その人が備える徳や人間性が価値を持つのであって、傲慢な人欲では信頼を得ることはできないし、お互いの徳を感化し合う豊かな心は生まれてこない。

何時も良心をもって心穏やかな生き方があれば、きっとどんな困難なことにも、確りと対峙をすることができるし、天真が加護をしてくれると信じてしまう。

三人よれば文殊の知恵の会合仲間も、打開策を試行錯誤する中で、いつも結論が同じような落としどころとなってしま事が不思議なほどである。

物事は無理強いしないことを心掛けて、しっかりと落ち着きを払うことが、最善を迎え入れる最高の言行となるだろうし、ことをやたらと性急にしないことも大切な心構えとなる。

達観してしまうと、あまり物事の差異に気を持たなくなって、俯瞰する大局的な判断ができることが嬉しくなり、難儀で苦しむことが無くなっている自分を知るのだが、物事の解決に向けての念力だけは、いつも新鮮で屈強になっている。

奢ることなく、時流からの天真に素直な心構えをして、これからの天命を全霊で受け止めていこうと念じるし、文殊の知恵が大きな果実を産むことができることを、心強く静かに待ちたいものである。


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溌剌さのある元気を伝えることが出来るように

最近撮影された、集合写真を見ながらショックを受けているのだが、撮影された自身の写真からは、自分の顔や仕草や内面の身上状況まで露呈させられるようである。

我が身を露呈すれば、艱難辛苦の状況は10年近くも引きずって、家人や知人の応援を貰いながら頑張っているのだが、すべてに自己責任として覚悟をしてきたし、時々の最善な施策をしてきた心算であるが、強欲な内面は自己保持の虚勢を張っていた昔が見え隠れする。

自分の雅量を過分なまでに評価をしてしまい、時代背景や世相の力から享受できたものを、すべてに自分自身の力量として納得していた時があり、まるで太っ腹な拝金亡者そのままであった。

バブルが弾けて社会の構築が崩れたり、経験則がまったく役立たない社会を迎えてしまい、歴史の寄り戻しが読み切れない時代背景では、経営才覚がない者としては、不況の嵐の中ではうまい対処が出来ないまま過ごしている。

そんな最中に2年ほど前のこと急逝心筋梗塞を患い、不安の日々を重ねていた心労が重なってか、健康維持のための減塩や体重維持の食事療法もあって、身体が小さくなってきていた。

最高10キロも減量をしてしまうと、衣類もぶかぶか合わなくて尚更身体が貧弱になるのかもしれないが、それ以上に感じているのが、顔の相の豊かさがなく張りもなく貧弱であるし、身体から発散されるパワーも衰えてしまう。

10名の仲間と揃って一列に並んだ姿から、他の元気な仲間と比べてしまい、写真のなかでも溌剌さが欠けているのが明白である自身の姿を観るのは寂しいものがある。

かといって空威張りに虚栄をはっても意味が無く、あくまでも自然体のなかから人格が発揚されることが最善であり、内面にもつ品性とは極自然に滲み出るものだと信じてしまう。

加齢からくる老いた人の体形も味わいがあるが、そこには内なるカリスマ的魅力を望んでしまうし、相応な品格を醸し出す自覚をもちたいものである。

写真で観る我が姿を良き機会にして、常に意識を発揚させてみたいし、他人からも貧弱な老人をイメージさせることなく、溌剌さのある元気を伝えることが出来るように、気をつける意識をもってみたい。

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