■登米華足寺の春の大祭
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引き続きゴールデンウィーク明けまでここ登米市鱒淵に滞在する気配です、
4月22日(日)に、我々が滞在している鱒淵地区にある古刹「華足寺」の春の大祭がにぎやかに開催されました。 【華足寺延喜】
今から1200年前、桓武天皇の時代(奈良朝末期 西暦802年) 坂上田村麻呂は、征夷大将軍に任ぜられ東北各地の鬼人(エゾ)を平定していました。 将軍は、現在の登米市にある南方町大嶽山で首長の「大嶽丸」の首を切り落としました。
仲間の鬼たちは東に逃げ、鱒淵の山に登りましたが、ついにここで退治されました。 将軍は鬼たちの霊を弔うため、奥州七か所に寺を建立しました。
ここ「華足寺」はその第七御結願之地となっています。
坂上田村麻呂の業績には、「葦毛の名馬」の働きが大きくありました。
その名馬が息絶えたのがここ鱒淵であり、馬の霊を弔うために「馬頭観世音」が祀られました。 繁栄を誇っていた寺も、元亀元年(西暦1570年)の末期に凶賊の襲撃を受け、堂社寺残らず消滅し荒廃しました。江戸時代中期(西暦1684年)に宥眞法印が中興して現在にいたっています。
春の例大祭は毎年 旧暦3月19日(種まき終了の目安)に行なわれ、爛漫の桜、梵鐘の響き、祈祷太鼓の音、
茶屋掛け、見世物等が出て、遠くは岩手、南部青森、南は福島県相馬、三春などの馬産地よりたくさんの 人々が馬を引き連れて参拝に訪れました。 博労たちは血気盛んな者も多く、喧嘩が起きれば豊作、無ければ不作と言われるほど祭りの花だったそうです、(参考文献:米川村誌(昭和30年発行) 祈祷殿で「献膳護摩祈祷」を行なってから総代を先頭にお供物の載った三方を持ち急な階段を上って本堂へ向かいます、
かなり急な階段ではきなれないかみしもで歩きづらそうでした、
本堂では、ご住職による「護摩祈祷」が行なわれ、五穀豊穣、身体健全などの護摩木祈祷が行なわれました、
境内では朝から後援会有志による演芸大会が行われています、
残念ながら午後の部きり見ることが出来ませんでしたが、始ってみるとびっくり!
どの余興も素人はだし、素晴らしい出し物の連続で、舞台にこちらでは花と呼ばれるそうですが
ご祝儀のおひねりが飛び交っていました、
この余興には、震災でここ鱒淵小学校に避難されていた南三陸町志津川中瀬の方々も招待され、踊りの参加やカラオケの飛び入りなので皆さん楽しんでおられました、鱒淵町民と志津川中瀬の皆さんの絆はとても深いものがあります、
境内にこんなモニュメントがあります、
鱒淵と「密航船水安丸」
明治末期、ここ鱒淵村出身の「及川甚三郎」がカナダの鮭漁師が鮭の身を取りイクラを捨てているのを目に付けてイクラを日本に運んで売る商売を始めました、
日露戦争後の農村不況で村人の生活も困窮しており、1906年、郷里の人々83名を率いて貨物船水安丸でカナダへの密航を果たし故郷への送金などで村人を救いました、
この史実は新田次郎の小説となりNHKのドラマにもなったそうです、
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