八瀬遊園のレジャープール
小学校の級友とプールにいった。昭和43(1968)年3月、卒業と同時に河原町丸太町から郊外の長岡に引越したのでみんなと会うのは5ヶ月ぶりであった。行先は八瀬のブール。
京都で定番の遊園地
八瀬遊園は従来からあった小規模な遊園地の線路を挟んだ左側に昭和39(1964)年、京福電鉄によって造られた当時京都で一番新しい遊園地だった。
昭和41(1966)年11月。位置・時期からして夏の間プールだったところをイベント用に工面したのか?奥には叡電の線路が見えている
園内は広くゆったりして、最新の遊具や水族館、巨大なゲームコーナーもあり、小学校の時家族5人揃ってよく訪れた。
花見のシーズンには桜の下で車座になる家族連れやグループ客も多く、ステージでは時々グループサウンズのコンサートがある、活気のある遊園地だった。
人気があった円形プール
プールは遊園地の一番奥(三宅八幡寄り)にあった。
開けっ放しの叡電の窓から歓声が聞こえる線路際に位置していた。
割と大き目の円形プールと滑り台があるだけの設備だったと思うが、
小学校の時に競泳用プールに慣れ親しんでいた我々にとって羽根を伸ばして思いっきり水遊びをするには充分だった。
京都市内にはまだレジャープールが殆ど無かった事もあって結構にぎわっていた。
私立中学校に行ったクラスメートは近況報告をしたり、ビーチボールで遊んだり。
男女20人ほどの楽しい時間はあっという間に過ぎた。
帰りは出町柳まで叡電に乗って2番の市電に乗り換えた。
荒神口で約半数が、残りのみんなも河原町丸太町の停留所で降りてしまった。
阪急電車に乗る私だけが市電に残された。
当日の思い出を胸に、阪急に乗るまで中1の私は言いようの無い寂しさを感じたのを覚えている。
閉園相次ぐ関西の遊園地
あれほど賑わった八瀬遊園も昭和50年代に入るとジリ貧となり
昭和58(1983)年「スポーツバレー京都」平成11(1999)年「森のゆうえんち」とリニュアルをしたものの、かつての賑わいを取り戻す事は出来ず平成13(2001)年に閉園した。
最近関西では次々と古くからの遊園地が閉園している。企業は効率経営が求められ、改善の見込みが無ければグループ内で早々に見切りをつけないと21世紀の企業は生き残れない。会社勤めの私は頭では分かっていても、昭和30年代の子供にとっては、やはり寂しい。
跡地には会員制複合施設「エクシブ京都八瀬離宮」が平成18(2006)年晩秋にオープンした。
|
真ん中のへんで写ってる女の子・・・私かと思いました(爆
修学院に住んでいて、叡電に勤める知り合いが居たので、
タダ券がいただけたので、このプールへは、よく行きました。
ホント懐かしい・・・・。
うちの家には、カメラが無く、何も残って無いんです。
2010/3/1(月) 午前 1:12
何を隠そう、この兄弟は身内です。
RINGOさんと同じく、
祖父が京福電鉄の株券を所有していたので、
株主優待で、年1回八瀬遊園地の
無料優待券(タダ券)を利用していました。
2010/3/1(月) 午後 10:19