京都市電散歩3〜西陣の鼓動 縦糸と横糸
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今出川通りの千本〜堀川間は、昭和40年頃には軌道の中を自動車が世話しなく走り、渋滞も起きていた。 元々歩道のない道幅の狭い通りに商用車が我が物顔で走り抜け、平日は活気があって、落ち着きのない通りだった。 大宮の電停を東へ行った所に西陣織物館があった。市内観光の定番コースに指定されていたから、南側のバスプールはすぐに満車となり、停まり切れない観光バスが路上によく駐車していた。 織物館の一角だけ観光地化された特殊な空間だった。 西陣織物館の横を通る1606号。2年後に南東のビルに移り「西陣織会館」と名称を変更した。 昭和49年4月28日 私が本格的に京都市電の撮影を始めたのは昭和49(1974)年。大学1回生になってからである。 前年の石油ショックからじわじわ繊維不況の波が西陣に迫っていた。 小学生の時、祖父の運転するバブリカの助手席で見ていた西陣の町並みに比べたら、車もビルも増えた。 しかしマンションの階段から見えた街は思いのほか黒い色をしていた。 私は幾分ホッとして、心が軽くなった。耳を澄ませば機(はた)の音が聞こえてきそうだった。 延々と続く黒い瓦。西陣の鼓動が聞こえてきそう。 昭和50年3月14日 堀川今出川を越えて東へ。徐々に現業よりも問屋が目に留まる。西陣の東の端が新町・室町通りに当たる。 このまま南へ(下へ)30分程歩くと繊維関係を扱う室町の問屋街である。 烏丸通りも堀川通りも道幅が狭かった昔は室町通り、新町通りが三条、四条を結ぶ重要な路だったのかも知れない。 その要の場所に上京区役所がある。モダニズム建築の庁舎は入口のタイル文字で右から左に「所役區京上市都京」とあった。 こども心に戦前の建築だと判った。昭和12年の竣工だ。 小学生の頃と大学に入ってから。2つの想い出が縦糸と横糸になっている西陣がある。 堀川の東側には、表通りにも瓦屋根の商店は点在していた。青信号の時間が短い交差点はよく渋滞が起きた。1626号 昭和49年8月8日 続く
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一番下の写真の後ろの森は白峯神宮ですね。この頃はそれほど有名ではなかったような気がしますが、近年、球技上達の神様として全国から参拝にこられ、特に修学旅行シーズンは賑わっています。ここで年二回、蹴鞠保存会による奉納がありますが、私はまだ蹴鞠というものを一度も見たことがありません。
2009/8/15(土) 午前 10:47 [ pzo*san*0*0 ]
神社仏閣が多い京都の事、白峯神社も「その他大勢」の、あまり目立たない神社だったような気がします。
「蹴まり」で有名ですか。神社が有名になるのは、口コミからと神社そのものの仕掛けによる場合とあるようですが、
京都の場合は、大河ドラマ等の舞台になることも多く、そういった複合的な要素が増幅して「サッカーの白峯神社」が急速に出来あがって行ったのかも知れません。
ニコマートを持って市電の撮影をしていた18歳のボクは知る由もありませんでした。
2009/8/15(土) 午後 5:35
エリザベス女王の訪日は昭和50年でした。
上洛前の京都はかつてないほどの警備で、夕方、鉄道同好会の仲間と出町で飲んで、いい気分になって御所を歩いていた時、機動隊に呼び止められました。「カバンの中を確認させてくれ」というのです。
当時私は長髪で、ジーンズ履きのどこにでもいる大学生でしたが、機動隊の威圧的な態度に、酒の勢いもあって最後まで、体操着の入っているマジソンスクエアガーデンのカバンは開けさせませんでした。
若いころは血の気が多かったんでしょう。
「エリザベス女王」と聞いて夜間の御所でのひとコマを思い出しました。
2009/8/16(日) 午後 5:38