京都市電散歩 臨時 大学に入って初めてのお盆
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クラブの東北旅行に行くのに金がない。お盆までに短期でのアルバイトを探して人影も疎らなキャンパスに行くと、割と条件の良い造園屋の求人が張り出されていた。 5日間働いて日給は昼飯付きで一日3200円。 但し「水泳パンツ持参の事。池の中に入って草・藻を採る作業です」の断り書きがしてあった。 少しためらったが10人の定員は少しずつ埋まっていく。 他に適当な求人はなく、ぐずぐずしている場合ではなかった。 それから何日か後、私はかつて北野線が走っていた中立売通りを南に折れたH造園を訪れた。 「ライトバンに便乗して金閣寺の池へ行きます。お盆までに草や藻を掃除してきれいにする仕事です。汚れ仕事が嫌な人は帰ってもらって結構です。」 しかし実際体験してみると、金閣の目の前にある水深1m程の池での作業は快適だった。 観光客の奇異な視線も2日目には気にならなくなり、足と手を使ってせっせと掃除を勤め上げた。 H造園は金閣寺御用達の古くからの造園業者らしかった。 アルバイトは8月15日に終わった。 お盆で下界へおりてきた祖先の魂を再び浄土の世界へお送りする「送り火法要」が次の日の16日に営まれる。 私はアルバイトが終わった安堵感といい事をした充足感から、次の日早速市電の撮影に出かけた。 五山では夜の送り火に向けて準備に余念がなかった。麓の電車通りからもはっきり見えた。 天気はこの数日間、すっかり安定し朝から夏の太陽がギラギラと照り付けていた。昭和49年8月のことだった。 写真上から=すべて昭和49年8月16日撮影 烏丸線が廃止されて1年足らずは、2000形を車掌の乗車するツーマンカーになった。2003号は現在伊予鉄道市内線で活躍している。衣笠校前 左大文字が真正面に見える衣笠校前の電停は格好の撮影スポットだった。写真の1926号は広島電鉄の1909号。京都の車歴より広島にいる方が長くなった。 衣笠校前〜わら天神前のカーブ。坂を駆け下りてくる1849号 金閣寺前の電停まで歩いたら、さっきの1949が西院で折り返してきた。ずいぶん早い。通りの東側にあった「力餅食堂」を不思議に憶えている。 |




池に入って、藻や草を…


などで済ませちゃいますが、
すごいです
その、昔から行われていそうなことを、重ねてきていること、感激です
私が生まれる前は、そぉんな形で行われていたんですねぇ
今は、どうなんでしょうね〜
今日は、送り火ですね。
いつもは
今年は、行ってみようかなぁ…と考え中です
2009/8/16(日) 午前 10:16
大文字〜京都に住んでいる時は「今年見れなくても来年が」と思って、見ないこともしばしばでしたが、
最近は帰省の日程が合うときは必ず送り火に合わせ祖先を想って静かに手を合わせるようにしています。
それだけ年輪を重ねたんでしょうか。
実家から5分ほど歩くと如意ヶ岳の「大」の字が結構へしゃげて見えます。
市内の雑踏で見るよりは時間も体力も節約できるので、「斜体の大」で我慢します。
2009/8/16(日) 午後 5:36
広島・松山に行くと、外観は変わりましたが元気に走っているので嬉しくなりますね。
マンションの自室から今年も左大文字が見えました。3階ですので、来年あたりは高層ビルが建ち無理かもしれません。
2009/8/17(月) 午前 11:27 [ pzo*san*0*0 ]
1900形は市電全廃の昭和53年9月30日から間をおかずに、広島での活躍が始まりました。
次の年の夏、広島→水中翼船→松山へ渡り市電に再会してきました。私は彼らの頑張りと市民が温かく受け入れている嬉しさに、胸がいっぱいになりました。
安住の地に恵まれた京都生まれの市電は、解体された仲間の分まで今日も働いている事でしょう。
2009/8/17(月) 午後 10:09
私も混雑を避け?、家族と過ごすことが、多いのですが、

今年は、気合いを入れて…
ただ、消えた後も、ゆっくり河原で過ごして、ずいぶん楽でしたよ
それに…
場所とりもお願いしちゃったし
お巡りさんたちが、本当に大変そう&いすぎ?って感じでした。
2009/8/18(火) 午前 11:17