旅の途中〜2月の旅 1981年 四国傷心旅行(1)
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四国行きを思い立ったのは当日。何とも衝動的ではあるが、それには理由があった。当時私は大阪の印刷会社3年生。かねてから気に入っていた新入社員の女性に交際を申し込むも、あっさり断られた。 フラれたのは木曜日で一睡も出来なかった。関西を飛び出したくて、上司に土曜日休む旨を伝えた。交際申込失敗の件も話した。私の行動がよく判る先輩であった。 高松駅弁と何故か松山競輪の案内がアルバムに挟まれていた 傷心の旅に出るなら、暖かい方が良い。私はまだ未乗線区がある四国を選んだ。時計の針と逆回りに周遊するプランである。どんな精神状態の時でも、短時間に旅行の計画が立てられるのは、私の特技である。 夜行の気動車が走っており、金曜日の割と遅い時間に大阪を出ても、山陽新幹線・宇野線・宇高連絡線を乗り継いで、高松発2月21日午前0時46分発の宇和島行夜行列車に間に合う。 五郎駅。当時のアイドルと同じ名前の入場券は売れたとか 夜行の「うわじま」号は寝台車は連結されていなかったが、自由席の1BOXを独占出来た。私は一睡もしなかった前日の分までぐっすり寝た。松山を通り過ぎた時は夢の中だった。 5時36分の伊予大洲で下車する。一つ手前の五郎から内陸の宿場町、内子迄の盲腸線を乗り終えて、一路南へ向かう。 卯之町にて。急行に乗るゼイタクな高校生?いや、この区間だけ各駅停車仕立ての列車が正解 本来なら海あり山あり、ミカン畑ありの変化に富んだ車窓にくぎ付けになるはずであったが、大阪での出来事が頭から離れない。悶々とした気持ちのまま終着駅に着こうとしていた。
その時左手に小高い丘が見えた。宇和島城である。改札を出ると、私は何を思ったか、駆け足で向かっていた。何かに取り付かれたような感じだった。 |




勘次郎さん、こんばんは。
なんだかドラマチックで引き込まれる話ですね。
つづきが楽しみです。
ぽち
2012/2/14(火) 午前 2:45 [ 軍艦 ]
お恥ずかしい話に付き合って下さりありがとうございます。軍艦さん。
次の回は、勘次郎は一応元気になり、足摺岬へ旅をします。
ぜひ、お読みになってください!
2012/2/14(火) 午後 10:56
足摺岬、岬巡りですか。
傷心旅行っぽいシチュエーションですが、、、もう元気なんですね。
読ませていただくのを、楽しみにしています。(笑)
2012/2/14(火) 午後 11:38 [ 軍艦 ]
お待たせしました。
昭和56年2月21日は足摺岬観光の後
竜串・見残しに一泊しました。
軍艦さん、この日の夕方には
広い気持ちでした。
2012/2/17(金) 午後 10:58