今頃の季節の叡電4
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ハイキングなどの行楽客が多い日曜日の鞍馬線は、昭和40年代後半になると2両で運転されることも増えて来た。月に1回土曜の休みを採用する会社が、珍しくなくなった時代だった。出町柳駅では運転手も車掌も発車のベルが鳴り出さない限り詰所から出てこようとはしなかった デナ23+24 出町柳 昭和49年6月2日 大学3回生の頃は週1回程度、修学院離宮道にあるゼミの友人の下宿に「お泊まり」に出かけた。毎夜遅くまで語り、唄い、飲む。次の日の授業が無かった火曜日がお泊まりの定番だった。寝不足の若者には6月の太陽はことさら眩しかった。修学院駅では電車によっては乗務員が交代した デオ302 修学院 昭和49年6月2日 30年少し前は、田植の時期が今より少し遅かった。岩倉〜二軒茶屋間に広がる水田では、一斉に早苗が輝く風景を見ることが出来た。夜になるとカエルの泣き声が賑やかだったに違いない。昼間は爽やかな風の吹く季節を私は好きだった デナ122+124 岩倉 昭和54年6月3日 同じ季節、鞍馬の山中では深緑が濃くなっていく。グリーンの塗装の叡電が最も映える頃。非貫通の叡電では、前後の車両に1人づつ車掌が乗務していた デオ201+202 二ノ瀬 昭和53年6月8日 叡電を夏に写した写真はあまりない。沿線に季節の変化が感じられない、と思っていたからかも知れない。秋から冬は良く足を運んだのでまたの機会に、紹介したいと思います デナ125+126 岩倉〜木野 昭和54年6月3日 |
