S30〜40年代京都とミュージアム巡り

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2009年8月15日

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京都市電散歩3〜西陣の鼓動 縦糸と横糸

今出川通りの千本〜堀川間は、昭和40年頃には軌道の中を自動車が世話しなく走り、渋滞も起きていた。
元々歩道のない道幅の狭い通りに商用車が我が物顔で走り抜け、平日は活気があって、落ち着きのない通りだった。
大宮の電停を東へ行った所に西陣織物館があった。市内観光の定番コースに指定されていたから、南側のバスプールはすぐに満車となり、停まり切れない観光バスが路上によく駐車していた。
織物館の一角だけ観光地化された特殊な空間だった。

イメージ 1

西陣織物館の横を通る1606号。2年後に南東のビルに移り「西陣織会館」と名称を変更した。  昭和49年4月28日

私が本格的に京都市電の撮影を始めたのは昭和49(1974)年。大学1回生になってからである。
前年の石油ショックからじわじわ繊維不況の波が西陣に迫っていた。
小学生の時、祖父の運転するバブリカの助手席で見ていた西陣の町並みに比べたら、車もビルも増えた。
しかしマンションの階段から見えた街は思いのほか黒い色をしていた。
私は幾分ホッとして、心が軽くなった。耳を澄ませば機(はた)の音が聞こえてきそうだった。

イメージ 2

延々と続く黒い瓦。西陣の鼓動が聞こえてきそう。  昭和50年3月14日

堀川今出川を越えて東へ。徐々に現業よりも問屋が目に留まる。西陣の東の端が新町・室町通りに当たる。
このまま南へ(下へ)30分程歩くと繊維関係を扱う室町の問屋街である。
烏丸通りも堀川通りも道幅が狭かった昔は室町通り、新町通りが三条、四条を結ぶ重要な路だったのかも知れない。
その要の場所に上京区役所がある。モダニズム建築の庁舎は入口のタイル文字で右から左に「所役區京上市都京」とあった。
こども心に戦前の建築だと判った。昭和12年の竣工だ。

小学生の頃と大学に入ってから。2つの想い出が縦糸と横糸になっている西陣がある。

イメージ 3

堀川の東側には、表通りにも瓦屋根の商店は点在していた。青信号の時間が短い交差点はよく渋滞が起きた。1626号 昭和49年8月8日

続く

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