閑山子余録

閑山子こと川平敏文のブログです。近世文学・思想研究情報を中心に発信します。

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アプリで学ぶくずし字

飯倉洋一氏編『アプリで学ぶくずし字 くずし字支援アプリKuLAの使い方』
(2017年2月)が出た。

5万回という、ものすごいダウンロード数を記録しているこのアプリの、
いわば公式ガイドブックである。

KuLAを実際の授業で使ってみたという、合山林太郎氏のレポート、
「しみまる」とともにKuLAの顔ともいえる飯倉氏、およびシステム開発の中心
にいらっしゃる橋本雄太氏の「あとがきにかえて アプリ開発裏話」をとくに
面白く読んだ。

合山氏のレポートでは、「文字」の学習とともに、古文のテクストそのものを
読解する力の必要性が指摘されている。この二つが車の両輪のように働く
ことで、高度なくずし字も読めるようになるわけである。
この点は、橋本氏のあとがきにもきちんと自覚されていて、KuLAをそのような、
いわば古文総合学習ツールとして成長させていこうという気構えが示されていて、
心強い。

以前紹介した「みんなで翻刻」とも合わせて、本当に大きな可能性を秘めた
プロジェクト。
微力ながら、私もアイデアを出していきたい。

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近世文学史研究

『近世文学史研究』第一号(ぺりかん社、2017年1月)が出た。

鈴木健一氏の監修で、特集は「十七世紀の文学」。
特集サブタイトルに、「文学と歴史・思想・美術との関わりを通して」とある。

通常の【論文】5本のほか、日本近世史の高埜利彦氏による【提言】、
木越治氏の連載【近世文学研究史攷一】という構成。

高埜氏の提言は、17世紀におけるいわゆる華夷秩序の変容が、
文学のなかにどのように反映されているのか知りたい、というような主旨。
私の今季の授業は、17世紀におけるナショナリズムの形成をテーマにして
いたものだから、たいへん共感した。芭蕉も、西鶴も、近松も、そういった
国際情勢とは完全に無縁ではなかったはずなのである。

個々の論文は、学会の重鎮ともいえる年齢の方々が執筆されているので、
そのクオリティは確かであろう。
ただ、なぜこの雑誌?がいま、こうして発刊されたのか、何を目指しているのか、
ちょっとそのコンセプトが分からないのだ。

雑誌『江戸文学』の後継ともいえるこの雑誌は、『江戸文学』の「失敗」を、
どう踏まえているのだろうか。
これはいったい誰のために、作られた雑誌なのだろうか。
執筆者に40代はおろか、20代や30代の、活きのよい人の名前が一人も
見えないこと、前述した高埜氏以外、近世文学以外の異分野の人がいない
ことを含めて。

私はかつて、出版社の主導で、思想や美術、歴史などが各学会の威信をかけて
ぶつかり合う、異種格闘技的な「場」が創造できないか、と提言したことがあった
(「リポート笠間」だったか)。
それくらいのインパクトがないと、新しい雑誌を作る「意味」がないからである。
そしてそれを実現できるのは、この出版社以外にはなかろうとも、内心思っていた。

発刊の辞は、どこにも見当たらぬのである。

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鈴木貞美氏のご返答

拙ブログで鈴木貞美氏『「日記」と「随筆」―ジャンル概念の日本史―』を
紹介するとともに、所感を書かせていただいたことがあった(こちら)

つい最近、偶然に、氏のHPにそれへのコメント、および
詳しいご回答へのリンクが張られていることに気付いた(こちら)。
10月18日の日付があるので、もう3ヶ月以上も前に書かれたものであった。
御礼申し上げるとともに、氏の真摯な態度に心より敬意を表したいと思う。

以下に紹介かたがた、再度コメントを付けさせていただく。

前半、「随筆」の概念については、江戸時代の「随筆」概念と、近代における
「随筆」概念が「まったく」異なるものではなく、共有する部分「も」あった
ことを言ったつもりであるが、ご理解いただけたであろうか。

後半、中村幸彦の「内在的近代化論」は、やはり最も興味深いテーマである。
「雅文学」、「俗文学」という括りがすでに近代的な意識によって為されている
という指摘は、本当にいま一度立ち止まって考えてみなければならない問題
だと思う。近世から近代にかけての、俗文学の「成長」、文学の道徳からの
「独立」、こういった図式が我々の描く「文学史」のなかに、潜在的に刷り込まれ
ているのではないかという問題。そこで、現代人にとって面白い、分かりやすい
文学史が描けるのかどうかは別問題として、足下を見直してみる必要はある。

最後に拙著への論評の補足。これも有り難いご指摘である。
氏のおっしゃる「内在的近代化論」に、無自覚ながら影響を受けている点も
多々あるように思う。それが良いか悪いかは別として、無自覚であった点に
気付かせていただいたことには、本当に感謝申し上げたい。

が、やはり細部にあっては、少し当方の意図と認識にズレがあるようなので、
さらにコメントさせていただく。

氏は、私が書いた慶長期における徒然草受容のあり方について、「漢学」と比肩
しうる「和学」として展開されたと、読み取っておられるようだ。

当方は徒然草研究が、たとえば四書五経などの研究と比肩しうるものとして展開
されたとは考えていない。貞徳はかなり気合いを入れている方だとは思うが、
羅山ら漢学者にとっては、徒然草研究はやはり、「余技」の部類に属することなのだ。
しかし、たとえ「余技」であったとしても、それが従来の「和学」の常識に新風を送り
込むインパクトがあった点を指摘したつもりであった。

また第二部の「教誡」から「実証」への図式が想定されているということについて。
「人情の「あるがまま」を直視する態度を実証主義と評している」とのご指摘があるが、
人情論と文献実証主義を、私はリンクして考えているわけではない。
人情論は、いくらたくさんの文献を集めて用例を列挙しても、絶対に生まれない。
これは解釈の前提というか、姿勢の問題であるから。文献実証主義は、それとは
直接には繋がらない、技術的な問題であると思う。
つまり、教誡論から人情論へ、という図式は描いているが、教誡論から実証主義へ
という図式は、私は描いていないつもりである。


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京都大学古地震研究会が行っている「みんなで翻刻」。
忘却散人ブログで紹介されているので、ほとんどの方はもうご存知だろう。
遅まきながら、私も覗いてみたが、本当に感動した。

これは、いわゆるオープン・サイエンスというやつで、研究者以外の普通の
市民でも参加できるもの。誰が、何文字翻刻したかが表示されることによって、
参加者もやりがいが出てくるし、それをさらに他人でも編集できることで、
翻刻そのものの精度もあがっていく。
何より、「みんなで翻刻」というネーミングが、分かりやすくてよい。
たとえば「市民参加型古地震史料翻刻プロジェクト」とか、そういうアカデミック
というか、真面目くさった名前ではないことで、敷居がぐんと低くなっている。

また、資料一覧のサムネイル画像には難易度「低」(版本など)、「中」(写本など)
といったレベル表示がなされるとともに、翻刻が終了した資料については
「翻刻終了」の朱のハンコが、不動産広告の「成約済み」表示よろしくドカンと
捺されて、これまた達成感が味わえるとともに、さらなるやる気を引き起こさせる
仕掛けとなっている。

これらもろもろの設計が、本当に素晴らしい。

古典籍の画像がアップされても、そこにテキストが紐づかないと、その利便性は
半分以下となる。理想的には、その注釈、現代語訳までセットで提供されることだが、
まずは翻刻である。

しかし何十万点という資料を、誰が好き好んでやるのか。
くずし字を読める人間なんて一握り。
しかも正確な翻刻を目指すのならば、ほとんど進まないのではないか。
そこで普通の人――というか、国文学専門の研究者は、始める前から尻込み
してしまう。

しかし、やってみないと分からない。
上に述べたような「壁」を、この古地震研究会の方々が壊してくれた。
しかも予想以上に、ドカーンと。

まだまだ課題は多かろう。
しかし、この最初の一歩を見て、私はひどく興奮している。



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天皇と和歌

鈴木健一氏『天皇と和歌 国見と儀礼の一五〇〇年』(講談社選書メチエ、
2017年1月)が出た。

表題どおりのテーマについて、万葉の時代から近代までを通覧する。
大学の授業で本テーマを取り上げることによって、内容を練っていったという。
授業と本の執筆がリンクするのが一番理想だが、なかなかそうはいかない。
私が同じことをやれば、たぶん万葉から平安くらいまでで準備が追いつかず
タイムアップになり、学生にお詫びをすることになるだろう。
相変わらずの手際よさである。

ところで、「昭和天皇実録」の完成、生前退位のご意向報道、元号改正の検討
などなど、この何年か、特に最近、天皇(皇室)をめぐる話題・議論がホットに
なってきている。それに合わせたようにタイミングよく、本書は出された。

7年ほど前に同じ講談社から出されたシリーズ『天皇の歴史』での仕事が縁に
なったといい、実際には一昨年あたりから具体的な準備に取りかかったというから、
まったくの偶然であるらしいが、やはりここ数年の潮目の変化が背景にあったという
べきだろう。本日の朝日新聞朝刊でも、高橋源一郎が寄稿した、天皇の「人権」を
めぐる文章が載っていて、興味深く読んだ。

本書の内容については、まだしっかり読まないうちから言うのも何だが、分量的には
やはり、「天皇と和歌」というテーマについての入門書、と言えるだろう。
つまり、ここをプラットフォームとして、巻末に掲げられた参考文献の世界に
踏み込んでいくという位置づけ。
この充実した参考文献一覧は、鈴木氏の作る本の特徴でもあり、本文にも劣らない
価値があると思うのだ。

それにしても現天皇のお顔は、年々その福相が豊かになられている気がする。

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