福泊といえば
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いきなりですが、福泊といえば、何でしょう?
その昔は福泊港、摂播五港に数えられた。
それこそ今で言うたら平清盛が神戸福原の泊を築港したと言うとりますけども、安東蓮聖が1302年に築港した福泊港はそれぐらいのごっついもんやったらしい。と思いたい部分ではある。でも今は極小さな港やね。
播磨五港でその名も高い、ここは播州福泊港と言うても、それこそ、ほんまかいなやーです。
それと八家地蔵やね。一説には福泊港築港の折に福泊嶋を築いてそこに地蔵さんをお奉りしたとか言う話もあります。まぁ亀が背負って来た言うことになってますけどね。確かに地蔵さんが居るとこは、ちょっと地面が盛り上がってますねどね。
古い玉垣を見ると、エライ遠んおい所の人が寄付してくれたことが分かります。大阪とか。ほんまいろいろな所の人が、それだけ信仰を集めていたと言うことですね。今も子授け地蔵としてちょっとは有名ですけど、そら大正や昭和の始めに比べるとなかなかねぇ。特に若い人は、それこそ的形の人でも知らんと言うか興味ないんちゃいますかね?昔は地蔵盆いうたら何十軒言う店が来て、近隣どころかいろんな所からお参りに来てくれて、ほらごっつい人やったらしい。まぁ僕の子供の頃でもそこそこ賑やかやったけどね。
あとヤッサですけど、福泊の人、あまりに分かって無さすぎですわ。一部ものすごい分かってるけどね。
めっちゃすごい考えられて造られた、当時恐らくものすごいヤッサが好きな人が考えて装飾品系を注文したに違いない。すごいヤッサと思ってない人が多すぎる。それと意外と福泊のヤッサが参考にされるケースが多々あります。
アホ自慢じゃないけど、ヤッサが好きで調べれば調べるほど、自分の村のヤッサが奥が深く、今だに気がつくことがある。まぁちょっと分かりにくすぎな面もありますけど。
とまぁ、ヤッサの話はいつもしてるので、今回は地蔵さんの絵葉書紹介。ちょっと珍しいかも?
今の地蔵さんとは全然違いますねぇ、たしか昭和のはじめ頃に今の形の地蔵堂が完成したんやったと思うので、それ以前ですね。実は八家地蔵さんの絵葉書は何種類もあって、僕が確認しただけで6種類あります。
家にあるのはこれ以外4種類。これはデーターでいただきました出所不明ですけど、何勝手に載せとんねん!とクレームが来ることもないでしょうし、勝手に紹介しました。
僕の家はそないに旧家でもないので、勿論古い絵葉書なんかある訳ないんですが、まぁいろんな古道具屋さんにも声掛けたりして買う場合もある訳ですが、これがけっこう高い。
完全に足元見られまくりで、ほしそうにしたらやたらと高い、古道具屋は貶して買うんですって。
こんなもんあっかいやー!汚れとんがい、昭和や!新しいわー値打ちあらへんがな!とか言うて。最後に何ぼ何ぼにしてくれたら買うてもええけどなぁ・・。と言う感じで。めんどくさい。
でも絵葉書のマニアさんに聞いたら、(世の中いろんなマニアがおる)昭和や大正後期はそんなに値打ち無いんやって。
でも福泊に生まれてしまった僕には超お宝。何よりも大事にしてまして、何処にしまいこんだか分からんようになってしまうぐらい厳重に奥のほうに保管してます。ほんまどこに置いたか分からんようになる。
この絵葉書が一番当時の雰囲気が分かります。
と、まぁ僕は、本当の所はヤッサマニアではなく福泊マニアでしたって言う話。 |




