|
昨晩、スポーツニュースをみていたら、なでしこジャパンの宮間選手が出演していた。すべてのフリーキックを任せられていること、両足使いであることなどテクニシャンぶりの紹介と同時に、ワールドカップ決勝戦で勝利が決まった直後、日本選手の輪の中にいなかったことが紹介されていた。どれもはじめて知ったことだった。
特に感銘をうけたのは、「輪の中にいなかった」理由だ。宮間選手は、負けた米国選手の心情を察し、ひとり米国チームに歩み寄ったというのだ。以下のVにその様子がある(日本でおなじみのシーンをこの時点で違った角度からみると、なにか複雑な心境になる・・・なんだろう、同じ角度からの同じシーンを何度もみせられていたのだという怖さと、米国側からみた映像を探さなかった悔しさが入り交じった)。
http://www.twitmunin.com/v/342036/elfmeterschie%C3%9Fen-usa-japan-kumagai-trifft-japan-ist-weltmeister-2011/
これをみながら昔のことがフラッシュバックした。
実家はレコード店。すでに店を閉じて10数年になる。店の最後の10年くらいは父母が二人で営んでいた。あるとき、どちらかが「万引き」の被害を嘆いていた。集団でおしかけ、ひとりが店の者の注意を引く間に、他の連中が盗んでいくやりくちが常套手段だったようだ。どこの中学か高校かは忘れたが(母に聞いたらきっと覚えているだろう)、犯人は特定の学校の生徒だった。
どうして特定の中学、高校の生徒だったのだろうか。あらためてそのことが気になった。悪い奴はどの学校にもいる。なのになぜ?いまとなっては検証できないが、「悪いことを集団でする」「弱い相手を狙う」行動をとる連中は特定の学校から生まれる可能性があるのではないか。それは、宮間選手とは違う人間の側面を強化する機制が働く学校であろう。たとえば、集団行動を至上とする規律が整備され懲罰が厳格に遂行される学校。その学校では、他者に対する感情移入を働かせてないようにし向けられる。集団行動のさなか、誰かが倒れたとしても、集団行動を離れて駆け寄ることは見えない規制、心理的抑制として許されず、誰も駆け寄ろうとしない。
ここで私のロジックは破綻する。なぜなら、昔はそういう学校ばかりだったからだ^^。
なぜ、実家の店の万引き犯は特定の学校だったのだろう?。悪い奴が特定の学校に集まり再生産されるという俗論には与したくない。が、妙案は浮かばない。(未完)
|