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人材力とはなんだろう?201110-1

当たり前のことだし、言うまでもないけど、周りや自分が置かれている状況に対する認識で人材力は判定されよう。昨晩のイベントで会ったSさんは今春卒業したばかりの新人社会人。でも話してみると「新人」なんて形容詞が不用かつ不要であることがわかった。私が「東京にいるといろいろな経験が大学生はできるだろうけど、多くは前段が用意されたプログラムでそのことに意識的でないと・・・・」という話をしたら、私が何を話しているかを直ぐに理解し、「私はその手のものは避けていました」とこたえてくれた。また、1を10にする人材ではなく0を1にする・・・との話にも適確な返しをしてくれた。周りをみてそれが何であるかをちゃんと(自分との関係で)考える大学生だったことは、目の前で普通に話しができることが示す通り。学生の頃に何をみていたか、そして何を感じ考えていたか。そのあたりに人材発掘の鍵が潜んでいるはずだが、まだまだ私にはみえていない。本研究所が企業と一緒に取り組んでみたいプログラム候補の1つです。

古かったり有名でない事例から何を議論し何を引き出すかを主体的に獲りにいけるか否かで人材力は判定できる。時代的に古い事例、有名でない事例を敢えてケーススタディに使うことで、そのセッションに集ったメンバーの資質を推し量ることを私は時々行う。古さや無名といった表面的なところで関心を失う人はそれだけの人であることが多い。これは大学生も同じだ。どのような事例であれ、そこから何を引き出し何を議論するかは参加者の関与次第。先週、知人が講義に来てくれた。学生からすると知らない人、話しも知らない話が多かったかもしれない。しかし、あの場でゲストスピーカーが話され議論の俎上に乗せたことには、「普通の講義では聞けない」、想像力をかきたてるエキサイティングで普遍的なメッセージが行き交っていた。表面的なことで関心や興味を失うことが如何に大きな損失につながるのか。そういうことに気づけるプログラムやワークショップを本研究所は提供します。

自分の成長や変化を点検する定点観測点をもっているか否かで人材力は判定できよう。ゼミ生の成長をどう測るか。担当教員にとって頭が痛い問題である。文系の場合、というよりも、うちの大学のように学部ゼミ生がたむろできる研究室がない場合、ゼミ生の活動や生態?を四六時中観察することはできない。プロジェクトを一緒にやっている時は、様々の「観察の機会」を得るので、ゼミ生の成長やこれまで気づかなかったポテンシャルを点検できる。私は、予期しなかった想定外の質問に対する「ゼミ生の発言」を不定期な観測点にしている。そういう場面で何をどう発言するか。そこにすべてが集約されているとしてゼミ生の成長等を点検する。だからゼミ生は担当教員に頼ってはいけないのだ^^、自分なりの定点観測点で定期的に自分を観測するしかないのだ、成長したい、力をつけたいと思うなら。自分なりの定期観測点をもつ必要性、重要性は、第三者による定点観測点がある場合も、もしかするとその場合の方がより、高いのかもしれない。本研究所では、「私の定点自己観測の紹介」など他者の自己鍛錬の実践例を蓄積し共有する場を提供していきます。

jobs氏に哀悼の意を表して。

Stay different, stay different and stay different!

It charges unfreindly prices. It is secretive. It is non-responsive. Its take-it-or-leave-it posture can pass as astonishing hauteur and it can come across as almost disdainful of its customers. But despite all of this--or perhaps because of it --the brand continues to captivate. In a commoditized category in which most consumers are pragmatists or opportunists, this brand positively shines, and it has hordes of devoted disciples to prove it ( Youngme Moon(2010). Different(pp.187-188):CROWN BUSINESSからの引用。this brand positively shinesのthis brandは田村が原文のAppleを書き換えたもの). Yes this brand is Apple!

Differentの日本語版(ビジネスで一番、大切なこと)の訳文を紹介しておこう。 「価格は法外で秘密主義、顧客の声に反応しない。顧客になるかならないか、という傲慢な姿勢を崩さない。それでもなお、いや、おそらくはそれゆえに、アップルは顧客の心をとらえ続ける。ほとんどの消費者が関心の薄い”現実主義者”か、目ざとい”買い物上手”であるコモディティ化したカテゴリーにおいて、アップルは見事に輝き、献身的な信奉者の熱狂的な支持を受け続けている」(14
4頁)

言い訳はパターン化する。自分の「言い訳のパターン」に意識的か否かで人材力は判定できるかもしれない。言い訳にならない言い訳は繰り返される。その言い訳によって、窮地を脱したり状況を改善できたと本人が思いこんでいるほど、繰り返しはやがて、その人らしい言い訳として他者に認識されていく。このプロセスに意識的であればいい。しかし意識的でないと、状況や必要性に関係なく繰り返される「言い訳」を、他者はその人の性格と同一視することに気づかない。言い訳が性格と同一視されるとき、その人に対する信頼性は低下する。性格は他者にとって「理解不可能な部分(=他者を拒絶する部分)」が少なからず含まれ、それに派生する言い訳は理解不可能なもの(他者を拒絶するもの)として他者に受け止められやすくなるからだ。自分の言い訳のパターンや言い訳をめぐるメカニズムに気づくワークやプログラムを本研究所は提供します。

「原点回帰」、「原点にかえる」の原点がどういうものであるかが腑におちているか否かで人材力は判定したい。各論、細部、現実論に入るほどに何を基準や指針に進めていたかがわからなくなる、ぼやける、忘れられてしまう。いや、そもそも基準や指針なしにスタートすることの方が多いかもしれない(そのこと自体は否定しない。だが、進捗が重なり錯綜したり迷路に迷い込む前に、「進めながらの基準、指針づくり」は着手したほうがいい)。昨日の講義でこういうことを説いた。中学生に「志とはなにか」「一歩踏み出すとはどういうことか」をお話や寸劇などで披露するとして、いまの自分からみた「昔の自分の体験」を話してはダメだ、「そのときの自分の立場にたった」話をしないと中学生には伝わらない。この原理原則がわかっていないと、どんなにおもしくタメになる体験だとしても中学生に分かるエピソードにはならない。鹿児島でも社会人を相手に同じような話をした。「こういうときはどうすればいいですか」的な質問をする人は原理原則的な「考え方」がわかっていない。自分の疑問や知りたいことを直ぐに具体的なところで質問し解決しようとする。このやりとりを百万回しても意味はない。生きる、働く、事業を起こす、他者と組んでことをすすめるならば、千差万別の実態と向き合うしかない。そして、立ち返るべき原理原則的な考え方がどういうものであるかを腑におとし、自分に、他者に説明できるものとして確立するしかない。本研究所が得意とするのは、原理原則的な考え方がどういうものであるかに気づくワークでありプログラムです。

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