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アウトプットすることの大切さを念頭においているか否かで人材力は判定できよう。4つ前の投稿で定点観測点をもつことと人材力との強い関係性について論じた。アウトプットすることで自分の力量、成長のスピードを測ることができる。インプットでは測れない。そして、インプットの評価はアウトプットとの関係でしか類推でき
ない。
教員は学生がアウトプットできる場を教育・学習効果等を考えながら提供する。私も例外ではない。ただ、どんなに創意工夫したアウトプットの場をつくったとしても持続的な継続が難しいことが多い。ゼミの場は、アウトプットが経時的な形で残りにくい。そして私はFBを使ったゼミ道場にたどり着いた。 毎週、学生はテキストを素材にアウトプットする。スタートして数カ月が経った(夏休み期間中の中断はあった)。ここにきて、数名の学生が書くこと(=読解する、自分の意見をメタレベルで構築する、自分のことばを発見し対象に対する切り込み方を学ぶ等)における勘所を掴んだという感触を得ている。
各位がアウトプットを定点観測点的に活用しているかどうかを聞いてみた。Tさん「暇なときは皆さん(自分のを含め)の投稿を読み返したり、ひとつの課題がおわったら次はこう書いてみよう、と小さい目標を立てたりはしています。他の方の投稿もかなり参考にしています」、Iさん「自分の成長を点検、というより、過去の文より良いものを作るために、自分の過去の文章を何度も読み直したりはしていました」。
本研究所は将来的にはeラーニングも視野に入れている。自分のアウトプットを定点観測できるeラーニング。道場での試みはその一歩だ。
いま起こりつつある産業構造の変化をどこまで本質レベルで理解しているかで人材力は判定すべきであろう。決め手は「ものづくり」「大企業志向」「設備投資牽引型成長」の世界からどこまで離れた地点で成長やビジネスモデルを考えることができるか否かにある。日本や地域の未来は現在の延長線上(現行の組織・制度・システムの温存を目的にした未来志向)にはない。そう考える人材をI(innovative)タイプ、そうは考えない人材をDI(disinnovative)タイプと呼ぼう。Iタイプがみる世界とDIタイプがみる世界は違う。人が世界を認識し理解する枠組み(フレーム)が違うからだ。IタイプのフレームとDIタイプのフレームの間には「非連続」といってもいいほど大きなギャップがある。Iタイプはいま起こりつつある産業構造の変化を本質レベルで理解する(あるいは理解できる)が、DIタイプにそれは期待できない。いま組織にとって戦略的に望まれるのは、IタイプとDIタイプを厳密な基準で分類し、構成員(人材)における両者の分布を知っておくことだろう。本研究所は、なぜ産業構造の変化(=時代の変化)を本質レベルで理解すべきかを徹底的に腑に落とすプログラムと、人材をIタイプ、DIタイプに分類するプログラムを提供する用意があります。
「自分に都合よく解釈しない」スタンスや姿勢にあるか否かで人材力は判定できると想定してみよう。最近の学生とのやり取りで「変わった」と思うことがある。その1つが「レスをしない」という変化だ。「・・・・に参加する方はレスを下さい」とのこちらかのメールに、「参加する」意向なのにレスをしない学生が少なくない。以前よりも数倍は増えている。「レスをしない=参加の意向がない」ではないのだ。「参加したいけどレスが面倒だ」ならわかる。しかし、「参加したい、自分がそう思うからレスしなくても大丈夫」はわからない。どこまでも自分に都合よく解釈する?としか思えない対応が珍しくなく、それを前提にこちらも対処しないといけない。直近でいうと、「パソコンのメールアドレスを送ってください」との要請メールにレスが鈍い。理由をきくと「以前、送っているから」とこたえる。「にもかかわらず、送ってくださいという要請がきているということはそれが必要な事情が要請側にあるということじゃない?」といいながら、「想像力を働かせようよ。相手がこうするのには何が理由があるはずだと。こういう理由、ああいう理由、そういう理由・・・・・いくつもの理由を想像して対応しようよ」と私は学生を諭した。自分の想像力はどれくらい働くものなのか、働かないものなのか。本研究所はロールプレイングやストーリーテリングのワークを通して想像力が点検できるプログラムを提供します。
職人というものをどうみているのか否かで人材力は判定できるのかもしれない。手に職をつける。職人になる。それが報われる時代がかわろうとしている。正確にいえば、職人は自分との戦い、自分の技術だけにこだわっていればいい・・・・この手の俗論で職人が語られてきた時代が終わろうとしているのだ。職人の世界にもソーシャルの波が押し寄せ、ソーシャルに働くことが求められている。端的には、自分の技術や知識を他者に伝授する、教える人としての役割が職人に欠かせなくなってきた。そもそも、「俺の背中をみて学べ、盗め」的な教えない自称「職人」を、他者が認める「職人」は昔から職人と認めないとの説もある。職人をケースに、いまの時代の変化をどのようにみているか否かが見て取れる。時代の変化を職人を招いてダイアローグするワークショップ。本研究所が提供できるプログラムの1つです。
貸し借り、償いの意識があるかどうかで人材力は判定できるのではないか。大学にいるので若い人たちと接することが日常である。そして、彼ら彼女らの安易さ、甘さ、いい加減さ、世間・社会をなめている姿勢などがもたらす問題に日々怒り、悩み、ため息をついている^^。そういう問題を起こしつつも彼ら彼女らは悪ぶれることがない。こちらもそれに慣れてしまった。ところがたまに、貸し借り、償いの精神で臨む学生がいる。自分のミスならミスを、貸し借りのルール、償いとして挽回しようとするのだ。なぜこういう学生が残っているのか?^^、任侠を語り唐獅子牡丹を一緒に歌えそうな学生との懇談の場を本研究所は提供できます。若い世代も捨てたものではないと思いたい人や組織向けのプログラムです^^。
布石の打ち方で人材力は判定できよう。たとえば新規事業提案のための営業展開。先を読みつつ、点と点を結ぶ形で布石を打つ。このとき、先読みには期待も込められ、こちらの思惑が先行するので、願望が願望を呼ぶ「打ち方」をしがちだ。しかも、囲碁と違い、相手側の布陣はみえない。相手は石を打ってこない。こちらの布陣のあり方がすべてだとの錯覚に陥る。ここにきて悟る、相手側の布陣を「見える化」することの不可欠さ、大切さを。そして、こちらは点と点を結んで布陣を創造していくが、相手側の布陣は既存の点が既存のルールで結ばれた「城」みたいなもので、切り崩しが難しいことにあらためて思い至る。思惑という布石ではない布石をどう用意するか。捨て石として何を選び、どのタイミングで、どう投じるか。ケースを素材に自身の布石の打ち方を点検できるプログラムを本研究所は提供します。
目的と手段のループを「より高次化」あるいは「具体化」の方向でまわせるか否かで人材力は判定できるのではないか。
多くのことは、やってみないと、自分が何をやりたかったのか、なんのためにやろうとしたかは明確にならない。学生が「就活のための何とかセミナー」を自主開催する。自発的に動くことはいいことなので支持する。私が注文をつけるのは、いつまでたっても「就活のための」から抜け出せないときだ。「就活のため」とピンどめしてしまうとそこで思考が止まってしまう。目的と手段のループがまわらず、仮置きしたにすぎないはずの目的は、不変の目的の位置に居座る。こうなると、お決まりの「手段の目的化」ループに絡め取られる。 この状況に陥らないためには「岡目八目的」な他者の視点が欠かせない。あるいは具体的な他者の関与が。しかし、必要なときに、必要な他者がいてくれることは稀だ。とするなら、目的と手段のループを「より高次化」あるいは「具体化」の方向で考える訓練が必要だ。その訓練には「ダイアローグを深める」ワークが適切である。本研究所が開発中のダイアローグ・プログラムはその種のワークの提供を目指している。
自分にとっての「特別」は他者にとって「普通」であることに気づいているか否かで人材力を判定したい。自分の経験や見聞を特別視する傾向は誰にでもある。また、特別だと思うことが自分のアイデンティティや誇りを支える。そういう認識のバイアスがわかっていれば、自分にとっての「特別」と他者にとっての「普通」は翻訳可能な関係を取り結べる。いわば、人間の認識が有すバイアスに意識的な否かで人材力は判定されるのだ。自分の認識が有すバイアスがどういうものであるかを見える化するプログラムが本研究所の開発リストに入っています。
「誰もやる奴がいないからやるしかないんだ」との思いやその思いでやっていることの有無で人材力を判定しよう。誰しも、やりたくないことはしたくない。だが、やらなければならないことはやるしかない。いうまでもなく、ここにいうやらなければならないのは、社会に付加価値をうむ何かであり、組織の定められた、何の付加価値もうまない仕事ではない。世間的には身勝手な奴をその思いや志、実行力で判断することが組織の明日を約束するかもしれないのだ。人材に関する認識をゼロベースから組立て直す。そのお手伝いを本研究所はします。
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「分数の足し算もできない大学生が増えている。」と、大学生の学力の低下をかつて大きく取り上げたマスコミが今度は、そのレベルの学生たちが内定をもらえないと騒ぎ立てるのはそもそも論としておかしい。テレビ局も新聞社も自分達は採用数を抑え、かつ早期に採用活動をしておきながら、です。よくわからん勉強内容の大学へ無試験で入り、だらだらすごしてネット中毒になっている非リア充が厳しい就職試験の面接試験で敗退するのは当たり前なのです。無試験進学+ネット&携帯文化の相乗効果で今学生の質は非常に低下しているのです。彼らが厳しい企業社会で正社員などできるわけないのです。すぐに辞めるにきまっています。企業就職するだけが人生ではないので別の道を探るべきです
2011/11/26(土) 午前 11:04 [ やまだ ]