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閉じた就活ではなく、オープンで躍動する就活を

ゼミの担当教員がゼミ生の就活やその結果にどこまで責任をもつべきだろうか?私の意見は、直接には「ない」だ。就職活動の指導をゼミでしているわけではないからだ。ただ、間接的に「あり」だと思う。それは、ゼミの担当教員というよりも、ある時期に関わった大人としての意見だ。

本ブログで何度か書いたが、4、5年前?(もっと前かな?)くらいまでは、私は「就活」を総じて好意的に支持していた。たとえ就活一色になって大学生としての本来の立場を忘れたとしても、就活で成長する学生が少なからずいたからだ。

だが、ここ数年は、就活の肩をもつ気が失せている。マイナス面しか感じられないからだ。就活を通じて成長したという学生が極端に減ったことがその根拠であり、そのことに戸惑いすら感じている。

企業の採用活動を含む、大学生の就職活動をとりまく環境が変化した影響は大きく、深刻だ。なぜ深刻か。ひとことでいえば、大学生の近視眼的な志向をさらに、袋小路的に、強めたからだ。不幸なことに、近視眼的な志向こそが日本の多くの企業の「足かせ」であり、それを解き放つことが求められているのに、近視眼的な志向を強める大学生の中から次代を担う人材を選ばねばならない。この構図は皮肉としかいいようがない。

就活しかしない(できない)学生に同情はしないが、批判はできない。すべてが彼ら彼女らのせいにできない、私も近くにいた大人として罪がないとはいえないからだ。

だからこそ、彼ら彼女らにメッセージを送る。特に今年は「就活に閉じこもるな」とのメッセージを手を替え品を替えて送るつもりだ。自らのオープンリソースとしての可能性を企業に訴求して欲しいからである。ならば、就活においても「オープンリソースとしての私」でなくてはならないし、志向し続けなければいけない(と私は思っている、ウソの自分は訴求できないからだ)。いうまでもなく、それは就活のためだけではなく。

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「自らのオープンリソースとしての可能性」、これは、就活だけでなく、社会人になって以降も、常に相手に訴求できるかが問われることを実感します。2012年年初のこのタイミングで、私もあらためて問い直してみます。 削除

2012/1/8(日) 午後 1:43 [ 西岡和弘 ]

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