Le plaisir de la musique 音楽の歓び

音楽文筆家(!?)、大久保 賢の徒然草(メール・アドレスは「プロフィール」欄に)

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「最先端を行くものほど早く古びる」という皮肉

 久しぶりに、ピエール・シェフェールのミュジック・コンクレート作品を聴く。この「ミュジック・コンクレート」とは、つまり、実際の何らかの音を録音し、それを加工して最終的にテープに定着させる音楽のことだ。シェフェールはその先駆者であり、権威だった。
 1940年代末にそうした音楽が登場したときには、それはまさに「時代の最先端」を行くものとして、光り輝いていた。しかし、それから60数年経った今、そうした作品の録音を聴くと、「昔懐かしの」という感じがする。なるほど、それなりに面白くはある。しかし、「時代」を強く感じさせられるのだ。
 これは何も、シェフェールの作品に限ったことではない。時代の最新技術を用いた音楽は、皆、そうなるのだ。なぜか? それは、「最新技術」は瞬く間に「最新」ではなくなるからだ。そのことは、たとえばコンピュータのことを考えてみるだけでも、明らかだろう。私が今使っている程度の安物のパソコンの性能を10年前のコンピュータに持たせようとしたら、いったいいくかかかっただろう? そして、今高性能で高価なパソコンも、数年後にはどのくらいまで価格が下がり、性能が上がるだろう? というわけで、最先端技術を用いた音楽作品は、その「技術」と運命を共にせざるを得ない。

 それに比べ、昔ながらの楽器を用いた音楽の場合、「最先端」という感じを出すのは難しい。「最先端」どころか、今や「新しい」と聴き手に思わせるのさえ、至難の業だ。もはや「新手」がほとんど出尽くしているからである。しかし、その分、作品が古びるスピードも遅い。それどころか、10年前の作品であろうが、50年前の作品であろうが、「新しい」「古い」ももはやさほど題にならない。もんだいになるとすれば、「良い」「悪い」の別である。
 実はそのことは、「最新」技術を用いた作品とて同じはずなのだ。いくらそうした技術を用いても、素晴らしい作品もあれば、聴くに耐えない作品もある。にもかかわらず、それに加えて「もはや古くさい」とか、「昔懐かしの」といったことを聴き手に意識させてしまう。
 シェフェールの作品なども、正直なところ、私個人の感覚では、面白くはあるが、抜群に優れたものには思えない(それに比べれば、たとえばピエール・アンリの作品には、「音楽」を感じる)。それを今でも聴くのは、まあ、「現代音楽」史のおさらいや、たまには変わったものを聴いてみるためである。
 ところで、「最先端技術」とは、いわゆる「テクノロジー」に限らない。現代音楽には、時代毎に流行の手法というものがあった。そして、それがまことにめまぐるしく変化して(消費されて)いったのである。流行の最新技法で書かれた作品の少なからぬものに対しても、今日の耳からすれば、「昔懐かしの」としか感じられないものがある。もちろん、中には今でも少しも古びていない作品もある。では、いったい、その違いをもたらすものは何なのだろうか?
 

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