気になる墓 その後
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詳しい地図で見る 気になって仕方ない 墓のその後の報告です。 先日紹介しました浜松市北区奥山に在る 偉人の墓と思われる地蔵尊です。 近くの昔からの家でお聞きしたところ 地元の方は子育て地蔵様として 祀っているそうです。 近くの定林寺の和尚さんがご供養されていると聞き 早速、所以を伺いにまいりました。 お話によると、やはり詳しい詳細は不明とのことでしたが、地元の方がお参りすると子宝を授かったとか 近くで事故があっても新聞沙汰にならないので 交通安全に御利益があるとかと言われているそうです。 地蔵様は見事に袈裟切りに切られています。 全国各地に袈裟切り地蔵の話がありますが ここのお地蔵様と宝篋印塔は南朝系の人の墓で 廃仏稀釈で破壊されたものと思います。 そしてこの墓と地蔵様の所以は 硬く封印されて今日に至っているのだと思います。 定林寺の和尚様もそうではないかとの意見でした。 和尚の子供の頃は、けや木が今よりずっと大きく 薄暗く怖い処だったそうです。 明治維新後の廃仏稀釈の際は、 南朝系に関わる寺院の破壊は徹底的に行われた 云います。 当時の薩長にとって都合の悪い系譜や古文書などが ありそうな寺院などは徹底して行われました。 井伊谷に正楽寺とゆう南朝系の大きな寺院が 在りましたが、旧薩長兵を中心とした新政府軍の 破壊は相当なものだったと現在の施主様と言われる子孫の方に聞いたことがあります。 戦後その家に、熊沢天皇が暫らく逃げていたことや、その子が熊沢の孫として偽り近くに住みついた事などを聞いています。 いずれにしても明治維新時のきな臭さが窺われます。 |





