無題
えっちゃんの写真母との介護の日々を書いてゆく前にえっちゃんのことを少し書いておこうと思う。
な〜んて、えっちゃんが持っていた写真の多いこと・・・アルバムがありその他もろもろ
どうすりゃいいのだ? 手付かずのままもなんだし、この際少しずつ整理してゆこうと眺める 私もそろそろセミアンティークなのにこれもアンティーク 「これが私のルーツか・・・」などと感慨深いこと
えっちゃんは「新平」さんと「つね」さんの五人兄弟の次女として昭和の始めに生まれる。
この「新平」さん(私の祖父!私の誕生を待たずこの世を去る)が・・・
清水の次郎長の末裔などと親分肌はなはだしく出かけては知らぬ人を連れ帰り、えっちゃ んいわく毎日が宴会、知らぬ人と食する朝食が普通だったそう。
食器が好きで買い込んだ器が納戸に沢山(このあたりの血は私にも流れてるみたい)
大正時代にテニスで選手権に出るくらい新しい物好きでなんでも「さら!」が口癖。
気風かよくてけんかも強い
そのあたりをえっちゃんは見習ったらしい(私の主観)
そして「つねさん」
とっても粋で太っ腹なおばあちゃん
伊勢の旅籠の娘さんだったそう。そんな「新平」さんに嫁いで、文句も言わずいつもニコニコ
そういえば、つねさんが80歳半ばの頃、深夜の家の中庭に毎夜不審な足音が続き叔父が
今夜こそと防具片手に待ち伏せしていたら、足音は隣村のじい様。
若いころからつねさん・・と思っていたらしく人生の終わりにと意を決したらしいが最後の一 歩が出ずに毎夜来ていたらしい。もちろんつねさんは大声で笑い飛ばしていたっけ。
つねさんに抱かれているえっちゃんの顔。。。。気が強そう
しかし、この頃えっちゃんは身体が弱く毎日やぎの乳と卵など一人贅沢をしてたらしく、最近になって叔母が「ホントうらやましかった〜」とポツリとつぶやいていたっけ。
えっちゃんとその叔母
叔母は教師をしていて当時からリベラルな人。
えっちゃんの過ごした村にはアメリカ帰りの人などもいて
戦中も冷静に過ごしていたらしい。
向かいの家に文学好きの青年がいて、「嵐が丘」など西洋文学の本をよく借りていたらしい。
そのあたりの影響かえっちゃんは「みんなが・・」ということに対しては猜疑心が強く、我が家では「みんなが」という言葉はタブー。
善い事も悪い事も自分で決めろ
悪い事をするのなら先頭にたってしなさい
二番手だけは許しません
が、えっちゃんの物心ついた私への最初の言葉だった。
やんちゃなえっちゃん
なんでも一番が好き
かけっこも一番、勉強も・・・
つねさんは相当教育ママだったらしく、勉強が出来るまで寝かしてもらえなかったそうな・・・・
思い込み激しく100点とったはずの試験がそうでなかったことに納得できず新平さんに学校へ聞きに行ってくれとせがんで叱られたってよく言ってた。
悪さをすれば先頭に立って逃げる。
そして逃げ切らないと思えば謝るの繰り返しの子供時代
人一倍走りの遅い私。
運動会の翌日には肩をおとして意気消沈のえっちゃん
何があったのか恐る恐る聞く私に
「どうすればあんなに遅く走れるのかわからん」と涙ぐむ
まあこの両親にしてこの子ありか・・・
その娘が私?!
っとえっちゃんの子供時代でした。
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