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アイエエエエ! ジンジャ!? ジンジャナンデ!?
旧・クモノカケラのブログです。道南から神社・お寺の御朱印情報などを二次元も絡めて発信します。

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龍田大社 (たつたたいしゃ)




延喜式内社:大和國平群郡 龍田坐天御柱國御柱神社 二座 (並名神大 月次/新甞)

二十二社、旧官幣大社、別表神社、艦内神社元宮(軽巡洋艦「龍田」)

神紋:龍田紅葉

祭神:天御柱命(あまつみはしらのみこと、志那都比古神)、国御柱命(くにつみはしらのみこと、志那都比売神)

例祭日:4月4日

最寄の交通機関:JR「三郷駅」徒歩






 龍田大社は奈良県三郷町、三郷駅の北側に鎮座していて、別名「龍田本宮」と言い、風神として信仰されています。

 古くは延喜式の名神大社、二十二社、旧官幣大社、神社本庁の別表神社に指定されています。
 
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「一の鳥居」

 祭神は天御柱命と国御柱命の二柱を祀っています。

 崇神天皇の時代(西暦前97〜同30年)に凶作が続き、天皇が悩んでいる所に「天御柱命と国御柱命を祀るように」との神託があり創祀したと伝わっています。

 しかし日本書紀によれば、天武天皇4年(675年)4月10日に「小紫美濃王・小錦下佐伯連広足を遣わして、風神を龍田の立野に祀らせた。」(廣瀬大社も同じ日に祀られた。)との記載があるため食い違ってきます。

 大宝元年(701年)には、風の神を祀る龍田大社と、水の神を祀る廣瀬大社の二社で風水害が無いように祈願する大忌祭が一緒に行われたり、廣瀬大社とは縁が深い神社です。

 嘉祥3年(850年)には朝廷より従五位、貞観元年(859年)には従三位の神階となり、同年には大和国の水分・山口神社26社と合同で風雨祈願が行われました。

 延喜式では名神大社、また永保元年(1081年)には二十二社の一社に選ばれました。

 明治4年(1871年)5月に官幣大社に列格されました。

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「拝殿」

 斑鳩の法隆寺の近くにも龍田神社がありますが、龍田大社からの分霊を祀ったもので、龍田大社を「本宮」、斑鳩の龍田神社を「新宮」や「新龍田」といいます。

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 また、本殿の前には式内社の龍田比古神社(龍田比古大神)と龍田比売神社(龍田比賣大神)が鎮座しています。

 例祭は4月4日。前日には500mほど離れた滝津瀬川で梁を張って魚を獲り、それを岩瀬の森の川の神に供え、その後に荷桶に入れて龍田大社へ担いで戻り、翌日の例祭で神前に供え、再び元の川に放流する『岩瀬の杜瀧祭』が行われます。

 また、7月第一日曜日に行われる『風鎮大祭』では色々な奉納行事があり、締めくくりとして風神花火が奉納されます。

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「下照神社」

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「白龍神社」

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「龍田恵美須神社」

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「三宝稲荷神社」

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「白龍大神」



 余談ですが、「竜田揚げ」の「竜田」の語源もここだと言われています。

 鶏肉を醤油で味付けして、揚げた色が紅葉のように見えることから、紅葉の名所の龍田川から付けられた…とか、日本海軍の軽巡洋艦「龍田」の司厨長が考案したから…とか、色々な説があります。

百人一首には…

「千早振る 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」  在原業平


 (意味:(「千早振る」は「神」「社」を意味する枕詞) 神代でも聞いたことがない、龍田川が鮮やかな紅色に水を絞り染めにしているとは)


「あらし吹く 三室の山の もみぢばは 竜田の川の にしきなりけり」  能因法師

 (意味:嵐の吹き散らす三室山のもみじ葉は、やがて竜田川に流れ入って、そのまま竜田川の錦ともいうべき美しき光景であることよ)

という歌があり、古くから紅葉の名所として知られていました。


 また、万葉集には龍田大社について詠んだ歌があります。

「我が行きは 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめこの花を 風にな散らし」 高橋虫麻呂歌集

 (意味:私の旅は7日を越えることはないでしょう。龍田彦よ、けっしてこの花を風で散らさないでください。)


 「この花」とは桜のことですが、最初に参拝したときも桜の時期で境内に桜が咲いていました。当時は風で結構桜吹雪気味だったんですが、この歌にかけて、桜を撮っておけばよかったなぁと思います…。


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・軽巡洋艦『龍田』

上記の龍田揚げの由来の一つとなっている帝国海軍の軽巡洋艦「龍田」の艦内には龍田大社の御分霊が祀られていたそうです。

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初代「龍田」は水雷砲艦としてイギリスで建造され、明治31年3月に通報艦として類別変更された。

一般的に知られている軽巡洋艦「龍田」は二代目で、初代「龍田」が除籍された翌年の大正6年(1917年)7月24日に佐世保海軍工廠で起工、大正7年5月29日に進水、大正8年3月31日に竣工した。

姉妹艦「天龍」と共に当時の巡洋艦としては速力が30ノットを超えた初の巡洋艦だった。(たぶん某ゲームの「世界水準」云々はここらへんから来ているものと思われ。)

就役後は水雷戦隊旗艦などを務め、大正9年(1920年)シベリア出兵に参加、船団護衛に従事した。

大正12年(1923年)の関東大震災では、呉から災害援助物資を満載し東京へ急行。

翌・大正13年(1924年)3月19日には佐世保港外で演習中に「第43潜水艦」と衝突事故を起こし第43潜水艦は沈没、乗員45名全員が死亡した。(後に43潜は引き上げられ呂号25潜水艦として再就役)

昭和9年3月12日には「友鶴事件」と呼ばれる水雷艇「友鶴」の転覆事故の際には、佐世保警備戦隊旗艦として第二十一水雷隊(水雷艇 千鳥、友鶴)と夜間演習後、佐世保へ帰投中に友鶴が転覆、転覆漂流する友鶴を発見し救助と曳航にあたった。

太平洋戦争中には姉妹艦「天龍」と第十八戦隊に所属。ウェーク島攻略や珊瑚海海戦、ソロモン海海戦に参加した。

昭和17年(1942年)1月〜4月にかけて、カビエン、スルミ、ラエ、サラモア、ブーゲンヴィル島、アドミラルティー諸島、ポート・モレスビー攻略作戦などに参加。その後はガダルカナル島やポナペ島への輸送任務に従事した。

しかし、同年12月に姉妹艦「天龍」の被雷沈没により第十八戦隊が解隊され第八艦隊に編入。

昭和18年(1943年)4月1日、第一艦隊第十一水雷戦隊旗艦。

昭和19年(1944年)3月12日、サイパン島への輸送作戦である東松2号船団の護衛部隊旗艦として横須賀を出港、翌13日に八丈島西方沖で米潜水艦「サンドランス」の雷撃により沈没。

昭和19年5月10日、除籍。



起工:大正6年(1917年)7月24日 佐世保海軍工廠
竣工:大正8年(1919年)3月31日
排水量:3,230トン
全長:142.65m
全幅:12.34m
速力:33ノット
兵装:50口径14cm単装砲×4門、40口径8cm高角砲×1門、53cm3連装魚雷発射管×2基
戦没:昭和19年(1944年)3月13日
除籍:昭和19年(1944年)5月10日
信号符字:JLEA

艦名の由来となった竜田川は奈良県生駒市の生駒山(642m)の東麓を源として南へ流れ、斑鳩町で大和川に合流し、大和川は大阪平野を西に流れ大阪市と堺市の境界線として大阪湾へ注ぐ。

ちなみに、龍田大社の前を流れるのはすでに竜田川が合流した大和川である。

イメージ 2




参道西側には大砲と砲弾がありますが、「龍田」とは関係ない模様…

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どうやら陸軍省が奉納した日露戦争の鹵獲品であるらしい。
碑文が判読できなかったものの、他サイトによれば「陸軍省奉納、明治三十八年之戦役 三十五口径 十珊七 加農砲、三十珊半 堅鉄弾丸」とのこと。

この記事に

  • 私が早朝に男性の神職さんに書いてもらった御朱印と
    同じ筆跡です。たぶん同じ方が書いたのでしょうね。

    かみながら

    2008/1/17(木) 午前 0:55

    返信する
  • 自分には『龍田大社』では失敗の想い出があります。
    ・・・ある時、ポケットに1000円札を入れて参拝。
    正面の拝殿のお参りの後、
    左側にある稲荷社に手を合わせました。
    その際に(なんのはずみか)
    小銭をポケットから100円玉を賽銭に出した時、
    たぶんポケットの1000円札も出て落ちたらしいのです。
    社務所前に行ってから気づいたのですが、
    再び稲荷社の前に行っても落ちてませんでした。
    「ああ・・・なんてことだ・・。」とウロウロと
    視線を下に探す様子で歩いていたら、
    年配の女性の方が声を掛けて下さいました。
    「もしかして、千円札を探していらっしゃるの?」
    私 「はい!」
    女性「賽銭箱の前に落ちていたから、賽銭に入れ損ねたかと
    思って、代わりに入れておきましたよ。」
    私 「・・・・・(絶句)」
    女性「ダメだったかしら・・・。」
    私 「・・・・・
    ・・・あ、ありがとうございます。」
    (心の中で、“あの1000円は私からのお賽銭です。
    お稲荷様、是非、おかげをいただけますように!”
    と祈ってました。)

    かみながら

    2008/1/17(木) 午前 0:56

    返信する
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    なんぞこれ!!
    マグロやっとるだけで、マジ金振り込まれてたんやけどww
    http://pak3.net/md/fun282c.html 削除

    [ トミー ]

    2008/1/17(木) 午後 2:52

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    業平の詩はこちらの御由緒でしたか。大変参考になりました。
    鳥居から拝殿まで映像を見るとイメージはまさに風神様といった感じじがします。

    ハヤチ

    2008/1/17(木) 午後 7:31

    返信する
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    トオルさん、僕ぁ何も言いません…。
    前に書家さんから聞いた話ですが、画数の多い漢字は大きく、逆に画数の少ない漢字は小さめに書くとバランスが良いそうです。

    高倉伽月

    2008/1/17(木) 午後 10:09

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    ヒロ爺さん、纏められてた通り龍田と廣瀬は風と水で対を成してる感じがするんですが、以外にどちらも名神大社だけど官位はこちらが低いんですよね…。
    字体は…なんか書いてくれた人に悪くて評価したくないんですよね…。

    高倉伽月

    2008/1/17(木) 午後 10:18

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    慈眼さん、1000円はちょっと痛い…。そこで入れ損ねたと考えるおばちゃんの思考は…。
    神社では無いですが、名古屋から東京に行く時に、駅構内で1万円を紛失した事があります。
    これから神社参拝しに旅行行くぞーって時に最初からこういうことがあるとやる気がかなり落ちますよね…。

    高倉伽月

    2008/1/17(木) 午後 10:37

    返信する
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    ハヤチさん、百人一首でしたよね。「ちはやぶるぅ〜」というのが印象的で覚えてます。
    ここに建てられたという背景には風が強い地域という要素はあるのかなぁなどと思ってます。実際は強いのかどうか分かりませんが

    高倉伽月

    2008/1/17(木) 午後 10:51

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    『岩瀬の杜瀧滝祭』など、由緒ある祭礼があるのですね。
    「竜田揚げ」の「竜田」の語源がここからですか。

    NORI

    2008/1/17(木) 午後 11:59

    返信する
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    NORIさん、実は「岩瀬の杜瀧祭」です。NORIさんのコメントで気がつきました…
    「竜田揚げ」はもしかしてと思って調べてみたら語源はここからでした。
    しばらく竜田揚げも食べてないので、考えてたらお腹が空いてきました…

    高倉伽月

    2008/1/18(金) 午後 2:08

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    私が参拝したときは社務所が工事中だったようでした。一の宮巡拝満願成就の後には旧官国弊社を巡拝する人が多いです。その次は式内社です。

    熱田北条

    2008/1/19(土) 午前 8:28

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    熱田北条さん、私は一気に一の宮を巡拝することができないので、官国幣社や別表神社なども巡拝してます。式内社も近くを通れば参拝するんですが、何しろ数が多くて大変ですよね。

    高倉伽月

    2008/1/19(土) 午前 11:11

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    初めまして、伽月さん。重要文化財は1950年制定の文化財保護法で有形文化財で文部大臣が重要なものとして指定したもの、そのうち特に優秀で文化史的意義のの深いものを国宝として指定する。略称「重文」ー文化財

    jjrap

    2008/1/19(土) 午後 0:29

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    コスミレさん、はじめまして。つまり昔の国宝が現在の重要文化財と同じで、国宝は新たに新設されたということなんですね。

    高倉伽月

    2008/1/19(土) 午後 2:29

    返信する
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    伽月さん私の説明が言葉足らずで済みません。重要文化財のうちにも
    最も重要で形を今のままずっと残していかなければならないものが国宝で国から資金が出て得るようです。

    jjrap

    2008/1/19(土) 午後 4:57

    返信する
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    コスミレさん、こちらもよく分からなくて申し訳なかったです。きちんと理解できました。
    あとwikiにも行って勉強しましたが、旧国宝と新国宝というのがあるんですね。

    高倉伽月

    2008/1/19(土) 午後 5:28

    返信する
  • 伽月さん訪問&コメント有り難う御座います。そうですよね!続けていたら別れと出会いありますよね.又いつかブログで出会えるかもね?励まし有り難う御座います。今後ともよろしく。

    jjrap

    2008/1/20(日) 午前 2:52

    返信する
  • 顔アイコン

    コスミレさん、やっぱり仲良くしてたブロガーさんが居なくなってしまうのはとっても寂しいです。でも可能性があるんだから、頑張って続けてみましょう。他にも新たな出会いだってあります。
    こちらこそ宜しくお願いします。

    海南は3年前に高野山から海南に抜けて、中辺路回ったりしたときに通ってますよ〜。

    高倉伽月

    2008/1/21(月) 午前 1:59

    返信する
  • ランダムから来ました。
    三郷町 懐かしいな〜。
    以前そこに住んでいたんですよ。
    大阪に近いわりには、のんびりした場所で住むにはいい場所ですよ。
    久々に当時を思い出します(-。-)y-゜゜゜

    [ rose ]

    2009/5/24(日) 午後 7:36

    返信する
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    roseさん、はじめまして。

    三郷町に住んでらしたのですか。
    三郷町はおっしゃるとおりアクセスがとてもよくて静かなところですよね。とても良い町ですよね。

    高倉伽月

    2009/5/24(日) 午後 8:18

    返信する

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