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アイエエエエ! ジンジャ!? ジンジャナンデ!?
旧・クモノカケラのブログです。道南から神社・お寺の御朱印情報などを二次元も絡めて発信します。

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石狩八幡神社 (いしかりはちまんじんじゃ)




旧郷社、艦内奉斎神社(護衛艦いしかり)

旧国郡:石狩國石狩郡

神紋:右三つ巴

祭神:[主祭神]誉田別命
  :[配祀]倉稲魂命
  :[合祀]伊波比主命,大国魂神,大那牟遅神,少彦名神

例祭日:9月14、15日

最寄の交通機関:





石狩八幡神社は札幌の北西部の石狩市の石狩川河口近くにある神社。

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石狩八幡神社は安政5年(1858年)に箱館総社八幡宮の末社として、当時の箱館奉行所に設立を願い出て認められました。

蝦夷地総鎮守として現在地の対岸である、石狩川右岸(現・八幡町)に建立されましたが、町の中心が本町地域に移ったため明治7年(1874年)に現在地へ遷座されました。

明治8年(1875年)には石狩郡の郷社となり、大正4年(1915年)には神饌幣帛料供進神社となりました。

祭神の誉田別命のほかに、幕府石狩詰役所在勤の荒井金助が勧請した稲荷大神も祀られています。

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現在の本殿は明治21年(1888年)の建築。鳥居は元々は弁天社の文化年間に建立された鳥居がそのまま使われている。

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「扁額(出雲国造家・出雲大社大宮司の千家尊愛による揮毫)」

境内には、木戸孝允が兵部省石狩役所を主宰していた井上弥吉に依頼されて書いた書「文武一徳」「肇域四方」を刻んだ御神燈軸石も残されています。

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「御神燈軸石」

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・護衛艦『いしかり』

海上自衛隊の護衛艦「いしかり」の艦内には石狩八幡神社の御分霊が祀られていました。

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護衛艦「いしかり」(DE-226)は乙型警備艦(小型護衛艦)として建造された。同型艦は無い。

三井造船玉野事業所で昭和55年(1980年)3月18日進水、昭和56年(1981年)3月28日就役。

海上自衛隊の護衛艦としては初めてハープーンを装備した艦で、就役後は大湊地方隊・第32護衛隊に編入され、昭和58年に発生した大韓航空機撃墜事件の機体捜索や、有珠山噴火に伴う災害派遣準備などに従事した。

2007年10月17日、除籍。

起工:昭和55年(1980)3月18日 三井造船玉野事業所
竣工:昭和56年(1981)3月28日
排水量:1,290トン
全長:85.0m
全幅:10.6m
速力:25ノット
兵装:62口径76mm速射砲×1基、ハープーンSSM4連装発射筒×2基、71式ボフォースロケットランチャー×1基、68式324mm3連装短魚雷発射管×2基
除籍:平成19年(2007)10月17日


艦名の由来となった石狩川は総延長268km、北海道で最長の河川で、国内では信濃川・利根川に次いで第3位の長さ、流域面積では利根川に次いで国内2位の大河です。

大雪山の南東、上川町と上士幌町との境界にある石狩岳の西側を源とし、ここから旭川市のある上川盆地から石狩平野を経て石狩市で石狩湾へと注ぐ。

ちなみに「いしかり」の後に就役する「ゆうばり」「ちとせ」の由来となっている夕張川と千歳川はこの石狩川に流れ込む石狩川水系の河川です。

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「石狩川(河口の石狩灯台付近より)」

「いしかり」は石狩市の石狩湾新港に寄港したこともありますが、御分霊が祀られたのは「いしかり」が小樽港に入港した際に奉斎したとのこと。

最初は小樽港入港時など艦長以下士官や水兵も参拝に来ていたものの、石狩湾新港などで艦内の一般公開が行われるようになってからはそちらに人員を割かなければいけないため士官のみが参拝に来ていたという。

「いしかり」ゆかりの品としてはロープワークの額と退役時に使用していた軍艦旗2旒のうち1旒が奉納。軍艦旗には艦長のサインが入っている。

他に現存する艤装品として、石狩八幡神社の前の通りを南西へ向かい突き当たった場所の左側にある「いしかり砂丘の風資料館」横に「いしかり」の主錨が屋外展示されている。

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これは護衛艦「いしかり」の退役に伴い平成20年(2008年)10月17日に)に設置されたもの。

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