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アイエエエエ! ジンジャ!? ジンジャナンデ!?
旧・クモノカケラのブログです。道南から神社・お寺の御朱印情報などを二次元も絡めて発信します。

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関山神社 (せきやまじんじゃ)



住所:新潟県妙高市関山4804番地 (E138°13'00" N36°55'50" )

旧県社、艦内奉斎神社(巡洋艦「妙高」、護衛艦「みょうこう」)

延喜式内社:越後國頸城郡 大神社

神紋:三つ巴

祭神:国常立尊,伊弉冊尊,素盞嗚尊

例祭日:7月18日

最寄の交通機関:JR信越本線「関山駅」下車、徒歩15分






関山神社は妙高山の東側、新潟県妙高市関山に鎮座する神社。

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関山神社の鎮座する妙高市関山は、直江津から長野へ抜ける北国街道が通っており、神社も旧北国街道沿いに妙高山を背にして建てられています。

かつて関山は北国街道の宿場町・関山宿として栄えていました。

その旧北国街道に面した関山神社参道入口の脇には、社号標と明治天皇駐輩碑が建っています。

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「社号標」

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「明治天皇駐輩碑」

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「社殿」

かつて妙高山は裸形上人の開山による密教の山で、この関山神社も仏教色が濃く、現在では祭神を国常立尊・伊弉冉尊・素盞鳴尊となっているが、神仏習合していた頃はそれぞれ、聖観世音菩薩・十一面観世音菩薩・文珠菩薩とされ『妙高山村関山三社大権現』と称されていた。

和銅元年(708年)、妙高山麓の関山村に里宮として勧請された。

嵯峨天皇の御代(810年)に弘法大師空海が、諸国廻歴の折りその神威を観窺し、帰京後帝へ奏上し、壮麗なる社殿を再建する。更に僧坊72区を数えるほどの隆盛ぶりだったと言われています。

僧坊はその後、天正10年(1582年)に織田信長の焼き討ちに遭い衰退の一途をたどりますが、江戸時代になり、俊海法印が天海上人を通じ、関山霊社を中興せんことを徳川幕府へ懇願し、家康公の命にて大久保石見守が境内を検分の上、社領100石御朱印を下し、幕府の支援により天台宗の宝蔵院という寺院が再興しかつての祭礼も復活しました。

現在の社殿は、文化5年(1808年)の建築。

明治になり、神仏混合を禁じられた為、明治元年(1868年)10月18日に現在の「関山神社」と改称する。

昭和3年(1928年)10月、昇格申請し、昭和6年7月13日県社となりました。

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「金毘羅堂」

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「神輿殿」

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「妙高堂」

境内には立派な社務所がありますが神職常駐の神社ではないらしく上越市板倉区東山寺に鎮座する日吉神社が本務社とのこと。

というわけで、御朱印は頂けませんでした。




・重巡洋艦「妙高」と護衛艦「みょうこう」

境内の右手には白い砲弾が目印の記念碑が建っていますが、これが「軍艦妙高記念碑」です。

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「軍艦妙高記念碑」

帝国海軍の巡洋艦「妙高」の艦内神社には関山神社の御分霊が祀られていました。

碑文には、

帝國軍艦妙高ハ其守護神トシテ昭和五年十月十日當社ノ御神體ヲ分身奉祀セリ茲ニ之ヲ勒ス

と書かれています。


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「重巡洋艦「妙高」(昭和20年9月 シンガポール・セレター軍港)」

「妙高」は旧日本海軍の重巡洋艦。「妙高」「那智」「足柄」「羽黒」の4隻からなる妙高型重巡洋艦の1番艦で、艦名は妙高山から命名されました。



艦名は海上自衛隊の護衛艦「みょうこう」にも引き継がれ、艦内神社には同じく関山神社が祀られています。

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「護衛艦「みょうこう」(平成26年8月21日 函館港)」

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「妙高神社(みょうこう艦内神社)」

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