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アイエエエエ! ジンジャ!? ジンジャナンデ!?
旧・クモノカケラのブログです。道南から神社・お寺の御朱印情報などを二次元も絡めて発信します。

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鹿嶋神社 (かしまじんじゃ)




日本三鹿島、旧県社、艦内神社元宮(軽巡洋艦「阿武隈」)、白河総鎮守

延喜式内社:陸奥國白河郡 白河神社

神紋:左三つ巴

祭神:武甕槌命

交通機関:





白河鹿嶋神社は福島県白河市の中心部から東南東2kmの阿武隈川と東北本線との間にある甕森山の南麓に鎮座する。

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「参道入口」

木々の並んだ参道の両脇に車道が通っており、参道の途中の右側には境内社の淡嶋神社が、左側には金比羅神社が鎮座している。

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「参道」

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「淡嶋神社」


参道の木々が切れた辺りに狛犬というよりも、何このクリーチャーというユニークな顔をした狛犬が参拝者を迎え、その先に石造の太鼓橋がある。

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「ユニークな狛犬」

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「太鼓橋」

太鼓橋を渡ると随神門、その先が拝殿・本殿、拝殿の右側に参集殿と授与所がある。

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「随神門」

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「拝殿」

創建は光仁天皇の御代である宝亀年間(770-780年)にこの地に祭られ、嵯峨天皇の弘仁2年(811年)に坂上田村麻呂が東夷征伐の際、小田切・瀬上の神剣を祀り常陸国鹿嶋大明神(現・鹿島神宮)を勧請した。

延長5年(927年)に成立した延喜式神名帳に登場する式内社(白河神社)に比定されている。(白河関にある白河神社も)

白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、源頼義、北畠顕家、白河城主結城家からも崇敬を受けた。その後も歴代城主の尊崇が篤く、城主自ら奉幣や参籠、祭田や社殿の寄進もあった。

室町時代の文明13年(1481年)には白河城主・小峯政朝が神社において1万句奉納の連歌会を行い、連歌師・宗祗が京都からはるばる白河まで連歌会に出席するため訪れた。

文化3年(1783年)松平大和守により「鹿嶋大神宮」の扁額が、寛政7年(1796年)には松平定信により武田家に伝わる「楯無の鎧」を模造製作した「楯無鎧写(たてなしのよろいうつし)」(市指定文化財・白河市歴史民俗資料館蔵)が奉納された。

明治5年(1872年)に郷社、明治29年(1896年)に県社に列格された。

明治43年(1910年)火災により社殿諸々のほとんどを焼失したが、大正元年(1912年)再建された。

大正14年(1924年)に帝国海軍の軽巡洋艦「阿武隈」の守護神として分霊し、翌大正15年(1925年)にその返礼として東郷平八郎元帥より「鹿島宮」の扁額の奉納があった。(神社本庁「神社名鑑」)

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御朱印に「日本三鹿島」とあるが、もうひとつは間違いなく鹿島神宮だとして残りの一社はどこなのかは不明。


境内には最初にある淡嶋神社と金比羅神社の他に拝殿の左側に御神木と稲荷神社・神明神社・天神神社、参集殿の右側に松尾神社が鎮座している。

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「稲荷神社(宇迦之御魂神)・神明神社(天照皇大神)・天神神社(菅原道真公)」

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「松尾神社(大山昨神,中津島姫命)」

また、背後の甕森山には古代祭祀が行われたといわれる磐座もあるが、参拝した時間が遅く境内も暗かったため磐座までは登らなかった。




・軽巡洋艦「阿武隈」

帝国海軍の軽巡洋艦「阿武隈」には上でも書いたように、大正14年(1924年)阿武隈の艦内神社へ鹿嶋神社の御分霊が祀られていた。

艦名の由来となっている阿武隈川は流路長239kmと東北地方では北上川に次ぐ大河で、福島県と栃木県の県境・那須岳の最高峰の三本槍岳付近を源に東へ流れ、鹿嶋神社のある白河市を通り、隣の中島村付近で北へと流れを変える。そのまま福島県中通りを北上し福島市付近で北東に、宮城県丸森町で東・北と流れを変え角田市北部で東へ、蛇行しつつ岩沼市と亘理町の境界を形成しそのまま太平洋へと注ぐ。

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「軽巡洋艦・阿武隈 (昭和10年 佐世保)」

軽巡洋艦・阿武隈は長良型軽巡洋艦の6番艦として大正10年(1921年)12月8日に浦賀船渠にて起工、大正12年3月16日に進水、艤装中の翌13年に関東大震災が発生し就役が遅れ、大正14年(1925)5月26日に就役した。

昭和5年(1930年)10月20日の大演習中に軽巡「北上」と衝突事故を起こし艦首を損傷し、それまでのスプーン型からダブルカーブ型へと艦首形状を長良型では唯一変更する。

昭和14年(1939年)に第1水雷戦隊旗艦となり、昭和16年(1941年)の真珠湾攻撃の際には第17・18駆逐隊を率いて参加する。

翌昭和17年にビスマルク諸島・ジャワ攻略作戦・インド洋作戦に参加したのち北方の第5艦隊に編入され、昭和18年にはアッツ島沖海戦、キスカ島撤退作戦には旗艦として参加。

昭和19年10月25日のスリガオ海峡夜戦では先行した志摩艦隊の一艦として西村艦隊に続き現場へ到着したが敵魚雷艇の攻撃により魚雷1本が命中。

速力低下のため護衛として駆逐艦「潮」を伴いダピタンで応急修理後コロンへ向かうも、翌26日11時28分にネグロス島沖でアメリカ陸軍機B-24の空襲を受けて沈没。潮に救助された生存者はマニラへと輸送された。

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なお、艦名は2代目となる海上自衛隊のあぶくま型護衛艦「あぶくま」(DE-229)へと受け継がれている。

この記事に

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    伽月 様

    はじめましてkndo4832です。
    鹿嶋神社、ありがたく、読ませて頂きました。
    ありがとうございます。

    恐れ入りますが、すみませんが、
    大宅壮一・ノンフィクション賞・心を震わせた3冊 柳田邦男 夏の讃歌

    をお読み頂きますと嬉しく存じます。
    私の叔父は阿武隈に乗船していました。
    失礼します。

    [ kndo4832 ]

    2015/5/24(日) 午前 11:05

    返信する
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    > kndo4832さん
    はじめまして。阿武隈といえばキスカ島撤退作戦ですね。私の祖父も海軍の艦船勤務でしたので、どこかですれ違ったりしていたかもしれませんね。

    高倉伽月

    2015/7/9(木) 午後 1:11

    返信する

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