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こんにちは、昨日に続いてお昼休みに更新させていただきます。今日は七夕ですが、あいにくの雨となってしまいましたので、明日からのトーマス宇治線遠征に備えて、私はおとなしくしております。中書島3番線・宇治2番線ともにホームが川側であるのに対し、ゴードンのヘッドマークは前後とも山側に掲出されていますので、宇治線入線期間だけ川側に付け替えてもらえると写真を撮りやすいのになぁ……と、個人的には思ったりしています。
先日、とあるブロガーさんと撮影の合間にお話しておりますと、「2923の旧運転台部分の天井に配電盤があるのはどうして?」という鋭いご質問を頂戴しました。この件については、私もいつか「謎」シリーズで取り上げようと思って、昨年のうちに写真だけは撮っていたのですが、すっかり記事にまとめる機会を逸しておりました。その方には口頭で簡単に回答させていただいたのですが、せっかくの機会ですので、画像を交えながら詳しくまとめてみたいと思います。
2600系の中間車には、もともと乗務員室として使われていたスペースが、“もぬけの殻”状態で残されている車両が存在しています。小さな子どもたちが中に入り込んで運転士気分を味わいながら(?)遊んでいる姿をときどき見かけます。我々大人が足を踏み入れるにはちょっと勇気がいりますが、車内の冷房が涼しすぎるときや、ラッシュ時の混雑から“避難”したいときなどには、意外と都合のよいスペースだったりします。まず最初に、なぜこのようなスペースが生まれたのか、その歴史的経緯に触れておきたいと思います。
(先頭車の車掌台窓は、二段窓のものも含めて、すべて開閉できなくなっていますが、この“もぬけの殻”スペースの元車掌台窓は、現在でも下段窓が開閉できるようになっています。側面扉の窓も少しだけ開けることができますので、適度に外気を取り込むことができます。窓を開けるときには、窓から顔や手を出さないように注意し、退室するときにはきちんと窓を閉めておきましょうネ。)
2600系の車体は2000系から流用されたものであることは有名ですよね。2000系の登場当時は、2両編成や3両編成での運転が主流となっていましたので、先頭車がたくさん製造されました。しかし、その後、編成両数の長大化やATS設置義務づけ(昭和42年鉄運第11号)などに伴い、もともと先頭車として登場した2059〜2068(Mc)の10両が、1969(昭和44)年に中間車へ改造(M:2133〜2142に改番)されました。その際、運転台などの制御機器や正面貫通扉は撤去されたものの、乗務員室のスペースはそのまま残される形となりました。
それに加えて、1972(昭和47)年には、2200系の7連化に際して半端となった先頭車3両(Tc:2251〜2253)が、中間車化された上で2000系に編入されました(T:2156〜2158)。この3両についても、乗務員室内の機器が撤去されるにとどまり、乗務員室のスペースは残されました。
これらの車両は、1979年から始まった2600系への車体流用に際しても、特に手が加えられることがないまま、現在に至っています。しかし、2000系先頭車から2000系中間車に改造された前者(以下、Aグループ)と、2200系先頭車から2000系中間車に改造された後者(以下、Bグループ)では、旧乗務員室部分の処遇にいくつかの違いが見られます。ちなみに、A・Bそれぞれのグループに属する車両は、下表のとおりとなっています。
| 分類 | 2700形 | 2900形 |
| Aグループ | 2720・2721・2722・2723・2724 | 2905・2911・2915・2920・2921 |
| Bグループ | | 2922・2923・2924 |
まずは、運転台部分を見比べてみましょう。下の画像では、左側がAグループ、右側がBグループの運転台です。Bグループの車両では、向かって左側に大きな凹みがありますね。実はこれこそが2200系であったことを今に伝える名残で、もともとワイパーの制御部分があったスペースです。2200系の運転台を覗いてみると、今でもこの場所にワイパーの制御部分があります。2600系(2000系)については、窓のすぐ下の平らな部分にワイパーの制御部分がありますので、このような凹みは見られません。
上の画像で、Bグループの画像では、窓の上に黒いゴムのような突起が2か所あります。おそらく遮光用のアクリル板の名残ではないかと思うのですが、現在の2200系の運転台にあるアクリル板は、運転台左側から支持されていますので、はっきりとは分かりません。
さらに、目線を少し右に移してみると、引スイッチ部分の構造にも大きく違いが見られます。左側がAグループ、右側がBグループの画像です。
天井に目をやると、Bグループの車両には、ご指摘のとおり下のような配電盤が残されています。Aグループの車両では、配電盤ごと撤去されたのか、あるいはもともとこの場所には何もなかったのか、詳細はよく分かりませんが、天井が高くなっています。
今度は車掌台の方に目を向けてみましょう。すると、右側のBグループの車両では、貫通部分と車掌台との間の仕切り板が残されたままとなっているのに対し、左側のAグループの車両にはそれがなくすっきりとした印象を受けます。もともと、Aグループの車両にも仕切り板は存在していたはずですが、AグループとBグループでは中間車への改造時期が3年ほどずれていますので、Bグループの車両では手間を省くために撤去されなかったものと考えられます。
最後に、貫通部分を見ておきますと、先ほどの仕切り板の有無のほか、Bグループの車両には貫通引戸の錠具の跡が残っています。
2200系から2000系への編入という異色の経歴を持つ車両は、そもそも数が少ないこともあって、“個性派”ぞろいの2600系の中にすっかり埋もれてしまったかのようにも感じられますが、意外なところでアイデンティティを放っていました。なお、今回の記事で取り上げた違いを実際に見比べてみたいという方は、A・B両方の車両が組み込まれている宇治線の2623-2823編成(4連)に乗車されることをおすすめします(ただし執筆日現在は運用離脱中)。
今回の担当者 特派員
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