ここから本文です
大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづる kemukemu
路上でパフォーマンスをしているだけでもすごい!写真・画像は右下の拡大マークをクリック!

書庫「戦争とストレス」語録

すべて表示

ここで、突然、番外編! 

<昔の精神科医の言葉から>


●「精神病理学的諸現象の現象学的考察に際して特に重要なことは、決してひとつの孤立した現象に眼を奪われないということです。現象というものはいつも自我とか背景の上に生じるものです。別の言い方をすれば、現象というものはいつも、かくかくしかじかの性質をもった人間の表現あるいは表示として見られるものです。個別的な現象の中で当の人間が自己を表示し、逆にわれわれはその現象を通じてその人間の中をのぞきこむのです。・・・・・・精神病理学的現象の現象学的考察というものはすべて、まずもって(これらの現象にみられる)病的な心的機能を分類し区分することをめざしているのではなくて、まず最初に病める人間の本質に眼を向け、この本質を直観にまでもたらすものなのだ、ということだけです。」(1922講演 ビンスワンガー)

●「・・・皆さんは、人間がからだを「所有」しているという事実および、このからだがどのような性質のものなのかということを知るだけでけなく、さらに人間自身はつねになんらかの仕方でからだである、ということを知らなければならない・・・しかもこのことはたんに、人間がつねになんらかの仕方でからだで生きている、というだけでなく、人間はいつもなんらかの仕方でからだで語り、あるいはからだで自分を表現する、ということ、したがって、・・・・からだの言語というものをも、ひとは所有している、ということを意味しています。そしてひとが一般に、交通をこばみ、固有の自我へとひきこもった結果、交通の本来の表現手段たる言語が問題にならなくなってくると、あるいはさらに心像空想さえも沈黙し、ひとがまさしく本来的に苦悩のうちに沈黙するとき、かえってひとは、からだの言語において、きわめてあざやかに語るのです。けだし人間は、ひじょうに広い意味で「語る存在」ですから、言語や心像が沈黙しているときでさえも、なおなにごとかを表現しようとします。」(1934講演 ビンスワンガー)*あげられている例→失声症、食欲不振、不眠症、吐き気、嘔吐、頭痛、胃痙攣・・・・

●「観念奔逸にせよ、造語症にせよ、常同症(*こだわり)にせよ、症状というものはすべて、ある包括的な心情的変化の表現、ひろく現存在形式全体もしくは生の様式全体の変化の、表現であることが確実なのです。」(1945講演 ビンスワンガー)

●「悲しみ、絶望は、病気とは関係なく、被(こうむ)った運命の打撃にもよる。この打撃によって絶望するのは「人情でわかる」ものであり、ひとりでに起こるのではない。ところで、何か大きな打撃のあとにすみやかに立ち直れるような人は健康と思われ、親しい人を失ったことを一生涯嘆く人は健康と思われないのは、おかしなことである。心情の深い人の方が病気のように見える。けれども精神医学は普通もっと表面的なものにしか見ない。個人・社会生活に困難をきたすような人間をすみやかに社会生活に適応させるのが目的なのであるから、言わば何の悩みもなくぼやぼやとその日その日を送っている、ジャックとジル、太郎と花子、張三と李四(*平凡でありふれた人たちのこと)を健康者とみなす。」(1975西丸四方)

●「われわれは、わけのわからないものに対したときに、わかったような気になったり、そのわかったのは誤りであるとわかったり、本当にわかったのがまた妙になったりということを反復しているので、精神分裂病などという奇異なものを見ると、わかってみたり、わからなくなったりすることを反復する。あらゆるものはよく見れば奇異である。・・・とにかく妙なものと見れば何でも妙なものなのであり、狂人(原文のママ)もじっと見ていると身近な親しいものとなる。妙なものと見るのはやめて、近づいてよく見てみようというのが、学問的理解の発端である。」(1975西丸四方)

●「よく考えてみると、誰が自分でも悩まず、誰をも悩ませない、すなわち変わり者でないことがありえようか。誰がまったく神経症でないであろうか。誰がいったい自分の過去の重荷を負わず、未来を気づかわず、現在のいかなる状況に対しても冷静に妥協し、自由な決断を行って後悔せず、うまく困難を切り抜けていって満足しえるであろうか。まったく苦悩のない人がありえるだろうか。」(1975西丸四方)

●「幻聴や被害妄想は本来人間の孤独、はかない存在、いつどこから破滅をこうむるかもわからない危ない存在ということから、脳が傷つき、心が傷ついたときに姿を現してくる人間存在の根本的不安なのであろう。そういう根本的な存在の深淵の無が姿を現すときに、幻覚や妄想でやっとそれから顔をそむけているのであろう。」(1975西丸四方)

●「・・・今の患者の病的な点だけを見るのでなく、全生涯の歴史を負った人間全体を見て、その人間の生活の中の弱い点はどこにあるのか、その人間の存在する空間的時間的な全体像をつかまえなければならない。これは広範囲な人間知を必要とし、一つの定まった観点があるわけではなく、また医学だけが取り扱うべき問題でもない。・・・・根本的には人間とは何か、人間の存在とは何か、不安苦悩とは何か、を問題とする。・・・・・これは神経症だけに妥当するとは限らず、病気一般に通ずることで、癌患者なら癌だけ見ていればよいのではなく、癌を病む人間全体を相手にしなければならないのであり、死の不安におののく、のっぴきならぬ状況に追いつめられた人間を相手にしなければならないのである。」(1975西丸四方)

●「病人とはまずつき合うことが大切である。よく世間では、狂人は危険で何をしでかすかわからないから監禁しておかなければならないと言い、この危険な行動は病気の直接の現れであると考えられがちであるけれども、実は周囲の人の無理解な言動に対するあたりまえの反応なのである。病人をいきなり捕まえて監禁すれば、出してくれと暴れるのを、それは病気の症状であると言うが、時として健康な人を病人とまちがえて―こういうことがないとは言えない。・・・・・・病人が体操をすると、また妙なことをしていると言われる。黙って座っていると無為無精だと言われる。結局何をしても病気の症状となってしまう。」(1975西丸四方) 
                             ●「(精神科)病院は、社会的座敷牢であるものが多い。・・・・・監房のような、保護室という、刑務所の独房のようなものもあって、暴れる病人はここに押しこまれていた。ていのよい座敷牢である。精神病院にはこのようなものが必要であるとされている。しかし本当に必要であるかどうかわからない。次第に必要でないことがわかってきている。あれは看護者には便利である。ちょっと面倒なときには、そこにたたきこんで知らぬ顔をしていればよいし、少し世話のやける病人は、そこへ入れるぞとおどかせば、たいていはおとなしくなる。けれども看護の手さえ充分にあれば、病人との話し合いだけで、格子も鍵もなしに充分うまくやっていける。・・・・・人間は反抗的なもので、監禁すると何とかして出ようと乱暴するが、自由にしておけばおとなしくしているものである。精神病の病人は脳の病気のため何の理由もなく乱暴すると言われるが、実は病人は気が利かないため、はたの者がやけを起こして乱暴な口をきいたり、ののしったり、ばかにしたり、いじめたりするので、そのはたの人の扱い方に腹を立てて病人が乱暴するのである。多くの病人の入っている病院でも、医者がいきなり病人になぐられるなどということはない。・・・病院生活で、自ら進んですることも考えることもなく、同じような日を過ごすと、保護にはなるが、軟弱にしてしまい、知情意を非常に鈍くするのであって、精神分裂病の症状と思われるものは、病院に長く閉じこめておくことによって生じた症状で、病気の症状でないものも多い。・・・・・・病人はかなりよくなっても監禁されたままになってしまう。病人は不平を言わないのか。言えば、それは病気の症状とされて、薬でぼかされてしまう。結局、以前は格子や鍵で病人を物理的に監禁し、今は薬で化学的に監禁することになっている。」(1975西丸四方)

●「(精神分裂病は)いわゆる神経症とはちがって、症状は奇妙で、正常人から懸け離れていて、「狂って」見え、ひとりでに起こってくるようで、心理的なきっかけはないように見える。しかし(よく見れば)精神分裂病の症状は全然無意味なもの、わけのわからないものとも言えず、人間はいかなるものにも意味をつけることができるものであるし、きっかけはないと言っても見つけ方が悪くて私たちには気づかないものがいくらもありえる。・・・・・そのわけや意味を見つけて対処すれば、うまく治療できるものである。・・・・・・とにかく行動だけで見るのは頼りないもので、行動以外の背景の知識がないと、診断は当たらない。」(1975西丸四方)

●「訴えを聞いたら、すぐにそれを治療の目標とする症状だと受けとらず、なんらかの病的症状にたいする(本人なりの)対処行動と考えられないかと思ってみること・・・あきらかな動作の形で表れるもののほとんどは、対処行動と見なせます。また怒りなどの感情も・・べつの感情への対処行動であることが初診の段階であきらかにされることも少なくないのです。そして、対処行動であるとわかったら、なににたいする対処行動であり、どのように成功・不成功になっているか、に注目するのが定石です。」(1997神田橋條治)

●「ほとんどの症状はパニック、あるいはパニックが迫っていることへの警戒情報として、とらえることが出来る。症状の内容は、なんとか崩壊への道を遅らせよう、あるいは回避できないものだろうかという工夫のあらわれである。」(1988神田橋條治)

●「過去を参照し、未来を推測することによって、初めて、ここにあるもの(現在)の重要点が見えてくる。・・・・・観察というのは、小さなもののなかにひそかに現れてくる「大きな未来の動き」を、あるいは「過去の動き」を見抜くということ。」(2000神田橋條治)

●「部分のなかに全体が含まれているからこそ、部分を見ることで全体が推測できるし、また、部分を取り扱うことで全体に影響が及ぶのである。・・・・一般に行動というものは、種々の複雑な心の動きを整理し単純化して選択された結末である。・・・・言葉や振舞いや構えも、』緊張解放の道具として、あるいは緊張回避の道具として機能している場合は多い。・・・・人の精神活動は無意識のレベルで連続しているのだから表面の話題や行動に不連続が起こったように見えても、何らかの「無意識の連続」があるのだと思って想像をたくましく観察すると、連続している無意識の世界が察知できる。この習練を積むと、精神分裂病者(ママ)の支離滅裂の底に流れている連続性を察知できる場合がある。」(2010神田橋條治)

●「「症状」、「疾病」のむこうにいる人間に終始関心をもつこと。症状や病気だけを評価するのではなく、病気の背景にある患者の人間、生活にも、目をくばる(みる)。個人史には、発病後もハンディに耐えながら、生きる「生活史」がある。・・・・皆それぞれの場所で、それなりの人生を生きています。」(2013笠原嘉86歳)



・・・・・

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事