アチェ〜津波その後〜
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無事アチェより戻ってまいりました。6日間の滞在でしたが、非常に充実した日々を
過ごすことができました。アチェで考えたこと・感じたことを徒然と書こうと思い
ます。
アチェ〜津波その後〜
アチェ滞在中に一番感じたことは、「ここで6年前に災害(津波)があったんだ」
ということがわかりやすいということ。私の研究地であるジョグジャカルタも
4年前に大きな地震を経験しましたが、現在ではそれを感じ取ることは非常に困難
です。ジョグジャでは復興住宅の建設にあたり、住民自身の手で設計・資材調達・
建設が行われたこともあり、家の構造や外観も以前の形に近いものになっています。
(詳しくは「被災地再考 その1」を参照ください)
しかし、アチェの場合、住宅の設計・資材調達・建設が、国際機関やNGOなどの
支援者主導で行われた部分が大きく、比較的容易に復興住宅を見つけることができま
す。「このあたりの赤い屋根の住宅は赤十字の支援で、こっちの青の屋根の住宅はオ
ーストラリア政府の援助。」みたいな感じです。
これは結果的に、建造物が、津波があったというメッセージを伝える役割を果たして
いる例ですが、アチェには津波の存在を伝えることを目的とした場所が複数存在しま
す。今回はその中からいくつかを紹介します。
1)津波博物館(museum tsunami ache)
昨年オープン。建物のデザインや構造自体は、この国でトップレベルの立派さ。
展示物自体はまだまだこれからといった感じ。地元の人々からは「中身がない」
「無駄」と厳しい評価を受けていますが、僕個人としては、被災直後の映像や
写真をみることができたのでそこそこ満足。最上階が津波からの避難場所になる
よう設計されています。入館料は無料。
2)津波教育公園(taman edukasi tsunami)
ここには津波によって内陸部に3㎞(案内人によると5㎞)流されてきた巨大な
発電船(Kapal PLTD Apung Tsunami Aceh )が残されています。町中に巨大な船が
鎮座しており、ある種異様な光景ですが、しっかり観光地になっています。船の最
上階からはアチェの町を見渡すことができます。入場料はありませんが、幾ばくか
の寄付が求められます。(ただそのお金がどう使われるのかは不明)
3)ムラシャ郡住民共有墓地(kuburan massa bersama kecamatan meuraxa)
アチェにはいくつかの共有墓地がありますが、これはウレレ埠頭の近くにある
共有墓地。UNDPの援助により2006年5月に完成。津波被災直後、衛生上の理由
から大量の遺体の処理が早急の課題となりました。そこで、遺体は個人確認も
なされないまま、(個人的には、あの状況ではやむ負えない判断であったと思います)
いくつかの指定された場所に埋められました。現在も「子供のお墓」「大人のお墓」
という墓標が立っているだけです。
上記の3か所は、今後州政府によって管理されていくそうです。
このようにアチェには津波の存在を示す建造物がたくさん残されています。これは
ジョグジャカルタや、パダン(パダン訪問を参照)の状況とはかなり異なります。
しかし、ただそれらの建造物が残っているだけでは不十分であるとも感じました。
例えば、上記の発電船も「これが津波によって流されてきました」と説明されても
まったくリアリティがわきません。今後は語り部の育成が課題となるのではないか
と思います。もちろん語り部全員が防災の必要性を説かなければいけないわけでは
ありません。「津波は神様が起こしたものだからしょうがない」という語り部が
いてもいいと思います。大切なのは、語り部自身が津波とどう対峙し、受け止めた
のか、それを外部者や子供たちに語っていくことだと思います。
今回の訪問で、「被災後数年は、援助関係の仕事(NGO職員の運転手など)が
たくさんあり、比較的容易に仕事を見つけることができたが、現在はほとんどない。
仕事がないのが今一番の問題だ」という声を聞きました。アチェが今後どのような
方向に向かうかはわかりませんが、津波を観光・教育資源として活かしていくという
のも一つの道ではないかと思います。
今後のアチェの進む道によっては、広島市・長崎市の経験が様々な面で参考になる
のではないでしょうか。
写真1:発電船の船上からみたアチェのまち
写真2:中国政府の援助によって建てられた復興集合住宅
(通称:ジャッキー・チェーン村)
写真3:津波博物館
写真4:発電船
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2010/5/7(金) 午前 10:07 [ バリバリ・インドネシア ]
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2010/5/7(金) 午前 10:11 [ バリバリ・インドネシア ]
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無事に帰られたんですね。
この津波は日本でも大きく報道されましたけど、その後についてはまったく音沙汰なしだったんじゃないでしょうか。
ずいぶん復興したんですね。
2010/4/19(月) 午後 7:42
そうですね、どの災害にも言えることですが、災害が報道されるのは
せいぜい1週間、大災害でも1カ月が最大であり、その後の復旧・復興期はほとんど触れられませんね。しょうがないとはいえ、1年後、5年後など定期的に報道してくれるとありがたいんですが・・。
2010/4/20(火) 午後 8:39 [ manaka ]
最後のこの船見たら驚きますよね。私もこんな船が数キロはなれた陸に打ち上げられた津波の威力が恐怖に思いました。
いま、ここは見学出来るのですね。津波の恐ろしさを忘れないようにですね。
※トラバしておきます。
2010/5/7(金) 午前 10:05