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7月6日は64回目の「甲府空襲記念日」です。1945年7月6日18時12分(日本時間、以下全て)南太平洋グアム島を出発したB29爆撃機を主力とする131機は、深夜23時47分甲府市上空に到着。まず、塚原および里吉町に爆撃ポジションを決めるためのマーカー弾を投下。これを合図に以後23時54分までの95分間襲撃。この間投下された爆弾は970.4トン。この結果、甲府市域の74%(一説には64%)が壊滅。しかし、この間、地上からは唯の一発の砲弾も反撃されなかったという。
私は、このとき5歳6ヶ月。当時は、故郷市川大門町(現、市川三郷)に住んでいました。空襲警報に起こされて、防空壕に逃げ込むために漆黒の闇に覆われた庭にとび出しました。上空は真っ暗。おそらく梅雨時のこととて空は厚い雲に覆われていたのでしょう。その頭上は、一機一機の機影が見えるかと思われるような低空を北へと向かう飛行機の猛烈な爆音です。次から次へとそれぞれ異なる爆音をまき上げながら一編隊が通過していきました。それが行き過ぎた頃から、北の空がうっすらと、やがて朝焼けが始まったかと思われるように真っ赤になっていきました。 すでに2度目の召集を受けて不在の父に代わって一家を指揮していた母が一言「甲府がやられている」とつぶやいたのを今でも脳裏にしっかり記憶しています。甲府には、一族の親戚や知人が多数いたのです。まさに、我ら一家にとって「其中の人、うつし心あらむや」(『方丈記』)の想いだったのです。
かくて、この紅蓮の炎の下で無残に殺されていった人1,127人,傷ついた人1,239人,その後も行方不明の人35人。私たちは、この悲しみを永遠に記憶し、語り伝えていきましょう。「平和」であることの大切さをも再確認しましょう。そして、合掌。
(写真:焼け野原となった甲府市中心部。左手のビルは百貨店「松林軒」で本学「よつびし総研」の本社からほんの数メートルの距離。中央は「岡島百貨店」でこの部分は今でも使われている。みどり橋付近から撮影か? 山梨平和ミュージアム資料から転載)
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東北のとある県立大学の総合政策学部に通う三年生です。
楽しく拝見させていただいております。
大学生にとって、自分が在籍している、大学の学長とのことがよくわからないのですが、伊藤学長のように、ブログによる発信をすると、学長が、日々何を考え、どんな仕事をしているのか、少しわかり、好感が持てます。
学生と、教職員の距離が近いというのは、本当にうらやましいです。
2009/7/10(金) 午後 2:48 [ yamagatatyuuou ]
yamagatatyuuouさん
コメントありがとうございました。たいそうお褒めを頂きましたが、ブログを書くには時間的ゆとり(ともう一つ盛り上がる気分)の有ることが前提です。貴学の学長先生と学生が邂逅できないのも「時間」が邪魔しているからでしょうね。それに、雑事が学長先生の気分を減殺させていることも、ですね。
2009/7/13(月) 午前 11:52 [ 日々是好日日記 ]
伊藤先生へ
甲府空襲の紹介、並びに体験談ありがとうございました。お陰様か、あるいは、小生の講義(日本の歴史2)で紹介したためか、9日に県立大生が2名、山梨平和ミュージアム(YPM)の見学にみえました。YPMは2年前、空襲の激しかった朝気の地に伊藤先生始め多くの有志の方々のご芳志で開館し、甲府空襲や甲府連隊、石橋湛山の生涯と思想等を展示、すでに県内外から3600名の人が訪れています。多くの県立大生の見学を期待しています。 浅川 保
2009/7/20(月) 午後 4:40 [ 浅川 保 ]
浅川先生
お世話になっています。学生達が見学に訪れたのは先生のご指導の成果だと思います。平和と幸福ほど、慣れた者にその存在と有難さの不明なものは有りません。現代に生きる若者たちにとっては分かれと言う方が無理なのかもしれないほどです。そういう中にあって、なお教えていくのが有り難味を知っているものの役割なのでしょう。その意味で、ブッダやキリストやムハンマドの教えと通底しています。
今日はよろしくお願いいたします。
2009/7/22(水) 午前 9:40 [ 日々是好日日記 ]