入れ墨という「愚」
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大阪市が職員約3万4千人に入れ墨の有無を尋ねた調査をめぐり、橋下徹市長は(5月)22日、回答を拒否した職員の昇進を認めないことを明らかにした。市は週内に回答拒否の職員のリストをまとめる予定。入れ墨調査では、手足や頭部など「業務中に市民の目に触れる可能性がある部分」の入れ墨については、10日までに記名式の調査票で回答することを義務づけていた。締め切りまでに110人が「入れ墨をしている」と回答。回答率は98.5%で、長期の病欠者ら約500人が回答していなかった。橋下氏はこの日、報道陣に「人事上の労務管理上必要な調査。正当な命令を公然と無視して昇進が認められるなんてあり得ない」と主張した。(Asahi.com2012.05.22 )
「入れ墨」には筆者もあまり好感を持ってはいませんが、組織の長がこれを嫌いだから禁止する、入れ墨している者は労働条件を制約する、また、上の記事のようにアンケートに答えないなら昇進も認めないとは何たる狭量、なんたる独善、なんたる暴君でしょうか!
入れ墨、リストカット、美容整形、これらはいずれも親からもらった身体に改造を加えようという行為です。これらのどれかに手を染める人には、人それぞれの心にやむにやまれぬ「愚」が潜んでいるのでしょう。そして、その「愚」はいたってプライバシーにかかわる個人的問題であって、「公務」員といえども他者から調査されたり、まして回答を強要されるべきではありません。
古今亭志ん朝の落語のマクラ。舞台は公衆風呂。キップのよい江戸っ子のおじいさんと次のようなやり取りがあります。
「おじいさん、入れ墨の相々傘の下には何て書いてあるんです?」
「うーん、これかい? なーにこれは『クマ サダ 二人きり』って掘ってあるんだよ」
「良く見えませんねぇ」
「歳を取ってシワくちゃになっちゃったからねぇ」
「するてーと、おじいさんの名前がクマさんで、サダさんてのが今の奥さんで?」
「いやいや、こいつとはこの後すぐに別れちゃってね。今のばあさんは別の女だよ」
などと「愚」にもつかない呑気な話が語られます。ほとばしる青春の「愚」?が、このおじいさんに入れ墨をさせたのでしょう。
大津事件を題材にした吉村昭原作の『ニコライ遭難』(岩波書店)では、ロシア皇太子ニコライはひそかに夜陰に紛れて長崎の街に上陸し、うわさに高い日本の精巧な入れ墨を所望し、その後、大津での遭難の前夜京都祇園の芸子にそれを自慢して見せた記録が描かれています。あの悲劇のロシア皇帝ニコライ二世も、いま生きて大阪市の吏員となったら出世は覚束なかった、ということになります。
谷崎潤一郎の名作「刺青」。足のきれいな女をだまして眠らせたうえに、彼女の背中に思いのたけをつぎ込んだ刺青師。女体を支配したと思ったのは墨を入れているときだけ。目覚めたとき女は以前の女ではなく、一個の自立した女に変身して主客が転倒してしまうという話。この小説の冒頭は、次の文章で始まっています。
「それはまだ人々が『愚』と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった」。
「『愚』と云う貴い徳」は、少なくとも大阪では通用しない「徳目」となりました。
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