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臼井真琴の武術考

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臼井真琴(副理事長)

  当会の演武会の特徴は中国武術のみならず、日本古武道の演武も合わせて行われることにある。それは、故佐藤金兵衛先生が幼年より日本古武道の修業を重ね、日本全国を歩き各派を修業、後に中国武術と出会い、台湾さらには中国大陸を訪問し、研究を続けられてきたことによる。

  古武道においては、各流を統合し、大和道を創始し、さらに擒掌術(中国武術の関節技)を加味した。柳生心眼流は、古流そのままを保存、中国武術は南派少林拳である金鷹拳(台湾)から、北派拳法の太極拳、形意拳、八卦掌、さらには北派少林拳の査拳と幅広く稽古が行われている。

  現在、各師範の得意とする分野も異なり、個人的に中国大陸を訪れて学ぶ者、独自に研究改良を加える者と、技術も異なってくる。これらが一同に会し、普段見ることの出来ない、他のクラスの様々な演武に接することが出来るというのは、生徒のみならず、指導者にとっても良い刺激となるものである。

  演武は、半棒術よりはじまる。初・中・奥伝より10本ほど抜粋して技法が紹介された。この短い半棒(三尺棒)が当身、投げ、締めと様々に応用され、非常に奥深いものであった。金鷹拳は、昔ながらの型、武器術を披露した。子供達による金鷹拳も基本型から組手となかなかの出来ばえであった。現在、台湾では金鷹拳の若い修業者は少なく、このように多くの子供達が金鷹拳を演じている姿はさぞかし嬉ばれていることと思う。今回は査拳の演目も比較的多くみられた。対練、風魔棍とレベルの高い技が披露された。孫ビン拳、心意六合拳を含め、これらは石井師範が、山東、上海等を毎年訪問し、研究されてきた成果の一部であろう。

  太極拳クラスは、年配の方が多く、長年続けられている方が多い。型、推手、応用法と限られた時間内で披露した。推手や型の応用法を組んで練習することは、太極拳としてはあたりまえのことであり、決してハードな練習をするわけではなく、楽しくやっているのだが、当会の女性会員は非常に少なく残念に思う。会員で号令をかけながら、突きを100回もやると、初めての方は、これは太極拳じゃない(笑)と思うかもしれません。精神的、身体的な健康法として、また、護身術としてすぐれた太極拳はお勧めなんですが・・。(少し太極拳の宣伝をしてみました。)


  余談になりますが、当会においては太極拳に限らず、八卦掌などでも型の使い方をあたりまえのように指導している。昔は秘伝として、その使用法は容易に教えられるものではなかったのです)。女性クラスも三年前の発足時に比べて確実にレベルアップしていた。大和道においては、前回よりも演目も増やし、武器術としては、挫術、半棒術、太刀捕り等が披露された。最後は当会の伝統武術ともいえる柳生心眼流兵術の演武で締めくくられた。柳生心眼流について一言。昔は中国武術を学ぶ者にも心眼流が指導された。これは故佐藤金兵衛先生が、中国武術を学びながらも、日本人の精神を忘れないようにとのお考えと、中国武術(当時は現在のように拳種別のクラス構成ではなく、皆、最初は太極拳からはじめなければいけなかった)は、使えるようになるまでに時間がかかるとの配慮で、比較的短期実践力のつく、心眼流を指導されたのである。

   演武(表演)というものは、一種のパフォーマンスであって、これがいくらすばらしいものであっても、その熟練度をみることは可能であるけれども、武術としての実力はわからない。演武会とは“技を披露する会”でありますから、主として武器術も含めて、型もしくは約束組手等が披露され、通常の稽古内容とはかけ離れたものなのです。形意拳の五行拳(5つの基本技)しか知らずとも、これらを徹底的に練り込み、常に相手を立てて稽古し、様々な対応力を身につけていれば、充分実践で通用するであろうし、自信もついてくるものである。逆に、いくらすばらしい型を演じても、一人型の練習のみでは、永遠に武術として役に立つことはないのである(武器も同様です)。演武(表演)とは、あくまでパフォーマンスであることを知っていただいた上で、演ずる側も観る側も演武会を楽しんでいただけたらと思います。

  (現在、一般的に中国武術愛好者は単に型のみを学んで満足している人達が多い。それらを批判するものではありません。各人、武術の楽しみ方、目的があっても良いと思います。ただ、それは実際に使えるものではないということを自覚しておかなければいけません。くれぐれも勘違いのないように。)

  今回の演武会は、全体的にレベルも向上し、見ごたえもあったのではないでしょうか。観客の評判も良かったようです。いくつもの演武を掛けもちしていただいた皆様、お疲れさまでした。おかげ様で充実した演目を並べることが出来ました。私はステージの横に位置していたため、じっくりと演武をみることが出来なかった。ビデオが出来てくるのを楽しみにしています。

  最後に事前の準備に、また、当日、朝早くから、御手伝いいただいた門下生の皆様に感謝申し上げ、稿をとじたいと思います。

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 臼井真琴師範の八卦掌の解説が掲載された雑誌、「古伝武術の秘術」(GAKKEN:価格1,600円)が発売されました。当連盟ホームページの特集の八卦掌にも関連記事を掲載しています。
http://www.jujutsu.com/jujutsu/htm/tokusyu/hakke-usui.htm

 今回の内容は、甲野善紀氏の無意識が生む補足不能パワー、岩間統正氏の太気至誠拳法、王映海氏、北西勝海氏の戴氏六合意拳、楊進氏の太極拳は本当に大きな力を「化」できるのか?、護身武芸八光流柔術、千田務氏のわずかなコツが集中力を生む!、劉偉氏の呉式太極拳とともに、臼井真琴師範の技が見えない!八卦掌の根幹技を解明する!が詳細な解説付で紹介されました。付録として、DVDもついています。

 臼井真琴師範の内容は、八卦掌精髄(1)走圏、「ただ走るだけの練法に秘された極意」、八卦掌精髄(2)老三掌、「八卦掌の技術のすべては、ここから出た」、特にここでは、単換掌、双換掌、上下換掌を写真入りで解説しています。そして、最後にまとめとして、小よく大を制す!八卦掌テクニックと題し、小さな力で大きな力を制する極意、歩法を使って常に正対を避けよ!を解説しています。

なお、参考までに、臼井真琴師範の八卦掌クラスの内容はこちらです。
http://www.jujutsu.com/jujutsu/htm/class/hakke.htm

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臼井真琴(八卦掌、形意拳、太極拳、古流柔術他)

  これらは日本古武道において使われる言葉です。武道に興味のない人でも“残心”という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。残心は知っていても”前心、通心“という言葉を知っている人は少ないと思います。

  それでは簡単に説明しましょう。日本古武道は、2人組の型稽古が主体となっており、その技(心)の流れを前心、通心、残心という言葉で表します。例えば私達の練習している柳生心眼流にあてはめてみますと、離れた間合いから、互いに接触するまでを前心、技を行なっている間を通心、そして、相手と離れてからを残心と言います。これらは文字通り、型の稽古における”心“の持ち方をいっているのだと思います。ただ単に型(技)を肉体で行なうのではなく、精神(心)も共に練るのです。

  型は試合と異なり技がきめられていますから、いつも同じように相手は攻めてくる、もしくはつかみかかってきます。しかし、それに対応する方は、相手がいつ襲って来ようが異なった方法で襲って来ようが、対応できるよう精神を集中し、すでに心構えをもっておかなければいけないのです。これが前心です。通心は実際に技をかけている際の心構えです。例えば、技がうまくかからないこともあるでしょう。そんな時に“ああ、失敗した”などと思うのではなく、その状況にうまく変化対応できるよう、最初からそういう気持ちを持っていなければいけません。(初心者は難しいことですが、)通心においては受け手の方もただ単に技を受けるのではなく、スキがあれば反撃できるように精神を集中させるのです。(型稽古ですから実際に反撃してはいけません。あくまでも心の中での反撃です。お互いに上級者になれば本当に技がきまっていなければ、はずしたり、実際に反撃し、相手はそれ対応するといった稽古方法も良いと思いますが,しっかり技が身についていないうちはやるべきではありません。正確な型を身につけなければ、上達することは出来ません。)

  そして、最後に残心です。技を終えて気を抜くのではなく、再び相手が攻めてきてもいいような心構えです。さきほどの通心のときと同様で、受け手も相手が気を抜けていればすぐに攻めるような気構えで行ないます。

  毎回、このように精神を集中させ、型の稽古をしていれば同じ10回型を行なっても、その差が歴然であるのは、おわかり頂けると思います。

  これは古武道に限らず、中国拳法の練習においても技を組んで行なう際、同様の心構えを持つべきです。よく相手が間違った攻撃をしかけてくることがあります。そんな時は自分の練習だと思って対応してみるのも良いと思います。

  現在の古武道大会を観ておりますと、このような気構えで演武されているものは少ないように思います。ただ古武道だからそのようにやるのだという感じで、一手一手に無駄な時間ばかりかけていて、なかなか次の技に移りません。正直、観ていてあきてしまいます。これはおそらく、私だけの感想ではないと思います。本当にお互いに気のこもった精神の集中した演武は一般の方が観ても感ずるところがあるはずです。

  今回原稿依頼を受け、前心、通心、残心について考えてみました。ここに紹介した個々の心構えについての解釈は私の考えですが、そのように理解していただいてよろしいと思います。

  今後、私自身も改めてこれらの心構えを意識して稽古していきたいと思っております。

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臼井真琴(八卦掌、形意拳、太極拳、古流柔術他)

その1から続く・・ 
 新中国成立(1949年)後、中国では型(素手や武器の型で,紡阿垢襪發痢砲魃蕕検△修譴鯢床舛垢觀措阿廼サ参颪行われるようになり、その結果、評価(点数)の出る型の構成、技の難度、スピード、跳躍の高さなど)まさに新体操と同じような情況になってきています。ひどい例になると、武器の演武で手に持っている剣を一度上に放り投げて落ちてくるのを下で受けとめるといった完全に新体操感覚の技(?)を見たときにはあきれてしまいました。もはや武術ではありません。武器をわざと手放して、その間に敵に切られたらどうするのでしょうか(笑)。話しになりません。伝統武術の大会においても、点数はつけなくとも、優秀賞、一等賞、二等賞・・と、型の演武を評価されるので、出場する選手はそれなりに大会用に構成した型を演武するようになります。例えば、この種の大会で形意拳の五行拳を直線上往復するような演武では、それがいくらすばらしいものであっても、評価は低いものとなるでしょう。それが、この種の大会の評価方法であるので仕方ありません。

 昔、中国で行われた伝統武術の大会で、ある著名な老先生が参加したところ評価(点数)が弟子のそれよりも低いといって、弟子達が“おまえ達はどこを見ているのか”と怒って審判に抗議し、ケンカになったこともあるようです。今でも地方の大会では自分の評価に不満で審判に言い寄る場面も多くみられるようです(笑)。文句をつけるくらいなら、出場しなければいいのです。(結局のところ、武術の本質は強いか、弱いかであるから、いくらみごとな型を演じても実際に戦ってみなければ、その人の実力はわからないのです。そこで試合というものがあるわけですが、当然、危険防止の為のルールや防具をつけるなど、その試合形式に適した技が自ずと重要視されるなど、多くの問題点があり、真剣に検討する必要があるのですが、またまた、本題よりはずれますので、ここまでにします。)

 私にしても中国での八卦掌国際大会に参加した際、その場に応じて演武の内容を変えています。1993年の大会では、舞台上で参加者一人ずつの演武であり、観客は全員、八卦掌の専門家でした。この時は意識して八母掌という八卦掌の基本となる技を披露しました。95年大会は具体的評価(点数)をつける形式で競技会が行われ、大会用に八母掌に連環拳を加えた型を構成し、参加しました。幸いどちらも高い評価を得ることができました。(95年の大会では、転掌八式、八母掌、総合型、武器型、対練型といった各部門に分れていましたので、伝統武術の大会としては、こうした競技会の形式は良いものだと思いました。ただし、それは一門派(八卦掌のみ)の大会ですので可能だったのだと思います。)手前ミソになりますが、この時に私が演じた型(総合型の部に参加)は見せることを意識した型の中でも良い型の部類に入ります。ただ、その競技会の条件(広さ、時間・・)に合わせて、武術としての型を構成し直しただけなのです。では、改めて具体的に悪い型とはどういったものでしょうか。

それらの型とは、
・動作の武術的意味を知らず、容易に動作の細部を改変してしまったもの。(これは素人にはわからずとも、本物を知る者からみれば、すでに武術的価値を失っています)
・見栄えのみを意識して個々の技の連続性()に意味がないもの。(武術的価値がない)
・メリハリをつける為に故意に動作を大きくしたりするもの。(武術ではムダな動きをしてはいけない)
・変化をつける為、他の流派の技法を取り入れたもの(自分の流派の身体運用法と異なる技を入れることに無理がある)
・競技会用の型を構成することを主眼とした為、仮想敵の位置がバラバラで明確になっていないもの(上級者になれば一人型をやっていても、敵を仮想し、イメージトレーニングできるが、このような型では不可能である)

 以上は、すべて武術を敵を殺傷する為の技術とみなした場合であります。現代において、武術の楽しみ方は、人それぞれであり、単にカンフー映画のように型を演じたいと思う人もいるでしょう。競技会に参加することもよいでしょう。ダイエットの為でも良いと思います。それらを批判するものではありませんが、伝統的な良いものが確実に失われてきてい現実をみるにつけ、失望の念を抱かずにはいられません。
 話しが、だいぶ横道にそれてしまいました。今回、“武術に型は必要か?”という問いに対して、改めて回答するならば、武術に型(◆砲鷲要不可欠だが、長い型( 砲鯲習する必要性はないというのが、私個人の考えです。強いて、その練習意義を見いだすとすれば長い型を通して練習することによって、スタミナをつけることが可能となるでしょう。(拳種によって異なりますが、競技会では約1分30秒を相当なスピードで一気に動きつづけますでの、体力を必要とします)

 ならば、長い型( 砲梁減澎婬舛呂箸いΔ函∈まで長く述べてきたように、すぐれた型(重要な技法を集大成したもの)であれば、存在また伝承する価値があり、悪い型(武術として価値の低いもの)であれば必要ないものといえるでしょう。(この種の型を編んでいる人達は、すでに武術としての意識は低いものと思われます。)現代になり、特に中国武術界においては、多くの流派で新しい型( 砲編成されてきました。実際にそれらの内容を検討しますと、必要のない型も非常に多い現状です。

 長文ついでに、日本の場合はというと、古武道と現代武道とに区分けがされています。武道に詳しくない人の為に一例を挙げるならば、柔術は古武道(ここでいう柔術は、現代化したジュージュツとは異なります)、柔術を現代化した柔道は現代武道となります。失伝してしまった流儀も多いのですが、古武道は、昔ながらの型(武器術、柔術・・)をそのまま伝えており、貴重な文化遺産として保存・伝承する価値があります。中には無形文化財となっているものもあります。時代が変われば戦い方も変わり(例えば、着物をきていた時代には、真っすぐに蹴ることはあっても、まわし蹴りなどは、出来なかったでしょう。当然それに対応する技もないというわけです。柳生心眼流兵術にいたっては、本来は甲冑を身につけて行う戦場の武術ですから、甲冑に武装した敵を殺傷するための技術なのです。宮崎県の無形文化財に指定されているのも当然のことといえましょう)

 これら古武道の昔のままの型が、現代に通用するかどうかは疑問を抱く人も多いと思いますが、私は、昔の型を変えることがなくても、その応用法や練習方法を工夫することで対応できるものと考えており、また実行しています。なぜ、古武道、現代武道の区別がなされるようになったかは、ここでは述べませんが、結果として古武道が昔の形式のまま保存されてきたことは喜ぶべきことではないでしょうか。

 またまた余談になりますが、型について述べるならば、武術以外にもみることができます。武術と同様に人間を相手とする競技として野球では、バッターもピッチャーも自分のフォーム(型)をもっています。よく野球解説者が打てないバッターに対してフォーム(型)がくずれているといった表現をよく耳にすることができます。武術同様、何千回も素振りをしたり、実際に球を打って、フォームを固めるのです。それには独自の理論があるのです。水泳や陸上競技をみても、理想的な泳ぎ方(型)、理想的な走り方(型)があり、コーチはそれぞれ独自の理論をもっているようです。ゴルフ、ボウリング、弓道・・すべてに型があります。これらが武術と異なるのは戦う相手が人間ではなく、精神的プレッシャーや自然条件・・といった結局は自分との戦い(これは武術にも共通することと思います)となることです。こういった競技、スポーツでなくとも指圧のようなものでも、その圧力をかける基本姿勢(型)というものがあるのです。これらは最初に述べた△侶燭紡阿垢襪發里箸い┐泙后

 長々と書いてきましたが、型というものについて、おおよそ御理解いただけたのではないかと思います。皆さんも、自分の学んでいる武術の型について、一度考えてみて下さい。そして、正しい型(姿勢、立ち方、身体の使い方、呼吸・・)を身につけていただくよう心より希望しています。それが上達への第一歩であり、また、それなくして、上達することは不可能なのです。

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臼井真琴(八卦掌、形意拳、太極拳、古流柔術他) 

 武術に型は必要か?こう質問されたら、皆さんは、まずどう考えますか。“武術を練習するのに型の練習は必要ですか?”と考える人、“武術に型の存在意義がありますか?”と考える人、上の質問に答えるには、この2つの問いに対し回答しなければいけません。

 ここでいう“型”とは、どういうものを指すのでしょうか。“型”というものをどのように定義するかによって、その答えも異なってくるので、まず“型”を定義する必要があります。以下、大別して、型というものを2つに分類してみました。

 醗曚覆辰燭いつかの技法を連続して行うもの”を型と考えた場合。
おそらく、これが一般的に多くの人がイメージする型でしょう。演武会、表演大会などで演じられる長い型と考えても良いでしょう。中国語では“套路”と称します。形意拳を例にとれば、五行連環拳、四把、八勢・・といったいくつかの技を連続して行うものをいいます。当然、套路にも長いものもあれば、短いものもあります。(柳生心眼流などは極端に短い例といえるでしょう)

◆醗譴弔竜史,魴り返し行うもの”を型と考えた場合。
 一般的には、こうした単純な同じ動作の繰り返しを型と思う人は少ないと思います。中国語では単式(単式練習)と称します。形意拳を例にとれば、五行拳や十二形意のように、一つの技法を直線上もしくはジグザグ上を往復し、反復練習するものがあります。

 それでは、まず,侶燭砲弔い胴佑┐討澆泙靴腓Α3Г気鵑蓮△海Δい辰新燭鷲霆僂防要だと思いますか?答えは簡単です。武術の主目的を敵を倒すことと考えた場合、,侶燭鷲要ありません。誤解を生まないように、もう少し正しい表現をするならば、重要な練習ではない、もしくは、やらなくても良いというものです。理由は特に説明する必要はないと思いますが、理解できない人の為に簡単に述べましょう。一連の型をそのまま通して練習していても、なかなかしっかりとした技は身につきません。その中に含まれている一つ一つの技法を取り出して、個別に徹底反復練習し、身体にしみこませなければいけないのです。その為には△涼閏偉習(一つの技を反復練習する)が当然必要となります。先に答えが出てしまいましたが、△魴燭塙佑┐疹豺隋当然、武術に型は必要となります。形意拳を例にとれば、昔の名人達は、もっぱら五行拳という5つの基本技のみを練ったといいます。現在のように平和な世の中と異なり、実際に戦いが行われていた時代ですから、しごく当然のことです。

 空手でも基本の突き、蹴りを繰り返します。剣術では基本の素振りを行うでしょう。そこには、各流派によって理想とする姿勢、身体運用法があり、単純な動作を繰り返すことによって、それ(理想的な型)を徹底的に身にしみこませるのです。こうしたものを“型”と考えるのが△旅佑方です。

 このように考えますと、一般的に型(ここでは,侶拭砲里覆ど霆僂隼廚錣譴討い襯椒シングやムエタイその他数えきれない程の格闘技がありますが、型のないものは一つもありません。おそらく武術に型なんかいらないじゃないかと言う人達はボクシングやムエタイを思い浮かべているのだと思います。型( 砲覆鵑やらなくたって、強いじゃないか、というわけです。サンドバックを打つ時の身体運用法はボクシング特有のものがあるでしょう。(コブシのしめ方、体重の移動、姿勢・・)素人のケンカパンチと違うことぐらい誰でもわかると思います。それらをコーチ(指導者)から学び、正しく身につけることからはじまるのです。(この場合、身体を造る為の筋トレなどについては、型の話しとは異なりますので、別に考えます)ムエタイにはムエタイの蹴りの方法があり、空手の蹴りとは異なるのです。それぞれの格闘技には、それぞれの力の発し方、理論を有しており、それを体現する為に、身体の使い方にいくつもの要領があるのです。

 それでは打突(突いたり、蹴ったり)以外の武術ではどうでしょうか。古流柔術では“二人で組んで行う型”を中心に稽古します(柳生心眼流のように例外的に一人型を主体とし、打突を行う流派もある)柔術流派の多くは、関節技を主体としますので、実際に相手と組んでの稽古は当然のことといえるでしょう。実際に組んで技がきまっているのか確認しながら練習する必要があるからです。これを一人稽古することは初心者には困難です。柔道でも普段の練習では相手をともなって一つの技を繰り返し練習するのです。当然、そこには相手を投げる為、くずす為の身体運用法があるのです。また、このように二人で組んでの練習は、一方の人は技をかけられたり、投げられますので、受け身によって身体を強くしたり、関節技に対する抵抗力がつくなど、お互いに強い身体を造る効果もあります。

 これまで述べてきておわかりのように、まずは、型を身につけるという自分主体の練習、技術を身につけることからはじまるということです。“二人で組んで行う型”を行う柔道や柔術でも、初期の段階では相手となる者は、あまり反抗せずに技にかかってあげて、相手に正しい技をおぼえてもらうのです。拳法、空手、ボクシングにしても、まずは、理想の突き方、蹴り方を身につけます。実際にサンドバックなど物を打ってそれを確認する必要もあるでしょう。反作用を受けることで姿勢を確認することができ、また、必要な筋力をつけることができます。このように理想の型(こうすれば、強烈なパンチ、蹴りが出来る、相手を投げることができる、逆関節をきめることができる)を身につけることからはじまるのです。
 実際には、動いている、また反抗する相手と対するわけで、多くの場合、理想通りにはいかないでしょう。そこで、基本的なものが身につき、身体もできてくれば徐々に対人練習(約束組手から自由組手へ)へと進み、実際の感覚を養っていくのです。今回は、型について述べていますので、対人練習についてはこれ以上述べません。

 少し話しがそれましたが、この△涼閏亜憤譴弔竜史 砲暴そ呂靴討れば、次に単式の連続技に進みます。わかりやすい例でいえば、突きから蹴りの組み合わせ。ジャブからストレートの組み合わせのようなものです。一発の突き、蹴りで相手を倒せれば理想ですが(この理想の型を練習するのが◆法一発できまるほど現実はあまくないので一歩進んで技のコンビネーション(組み合わせ)練習へと進むのです。これは連続して行う意味がありますので,箸楼曚覆蝓↓△涼閏阿料箸濆腓錣士習法と考えます。これをと考えると、このを集めて長く構成した型が,覆里任后ですから、,呂修里泙泙任呂覆、分解して練習する必要があるといいました。

 では、なぜ,里茲Δ閉垢し燭存在するのでしょうか。ここから存在意義の話しになります。私の考えでは先人達が研究した技法を後世に伝える為に一連の型として編成したものと思っています。一例をあげましょう。私も個人的に中国へ武術を学びに行ったことがあります。そこで先生の編成された型(,侶拭砲魍悗屬海箸砲覆蠅泙后これがけっこう長いもので、覚えるのも大変でしたが、そこには先生が生涯をかけて中国各地をめぐり研究された精華がつまっているのです。帰国後は、そこに含まれる技を分析し、個別に練習したのです。これは私が初心者ではないので、出来ることでもあるのですが、学んだ型通りに練習していても何にもなりません。一連の型として教えることで技を伝えやすく、また覚えやすくしているのです。これをすべて単式として数十種類も指導されたら、覚えるのも大変ですし、忘れてしまうかもしれません。(ちなみに私は必ずメモをとりますので、忘れることはありません。皆さんもマネして下さい)御自身の研究されたものを後世に残したいという先人の思いが型には含まれているのです。また、こうした型には数多くのすぐれた連続技が含まれているのです。こうした型はすぐれた良い型ということができますが、一方で悪い型(武術的価値の低い、もしくは失ってしまった)も存在するのです。,侶燭梁減澎婬舛砲弔い届辰垢砲廊,侶燭涼罎砲睥匹い發琉いものがあることを知っておく必要があります。それは人々に見せることを意識して編成された型の中に多くみることができます。

続く・・

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