chukaのブログ

Book Worms will Rule the World 本の虫バンザイ!

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“Nomad”、ノマド、は2007年に出版された世界的大ベストセラー、“Infidel”、インフィデル、の続編である。2010年の前半に出版されたのだが、何しろ人気があるせいか、図書館に予約を入れて3か月かかってやっとっ私の番が回ってきた次第。
 
著者 Ayaan Hirsi Ali、アヤーン・ヒルシ・アリ、は戦乱続くソマリアの部族軍閥のリーダーの娘に生まれた。
前作の“Infidel ”というのは非信者という意だが、今日ではイスラーム教徒が他教徒、すなわち彼らにとって反イスラーム、を指して使われる場合が英語のコンテキストでは圧倒的に多いようだ。
日本語訳は『もう、服従しない、イスラムに背いて』というタイトルで2008年に出版されている。
 
前作が全くの自伝であったのに対して、この“Nomad”は前作の登場人物達と著者自身のその後の近況報告が前半を占めている。後半では著者の“反イスラーム”という政治的スタンスを強く押し出した。
それが理由で、おそらく日本語訳出版にも直接的、間接的なプレッシャーがかかるのではないかと予想される。だが、ぜひ、近い将来に日本語訳が出版される事を期待している。  
 
今日の民主国家では言論の自由は保障されているはずである。だが、残念ながら理想と現実は違うのだ。自由の国米国も決してその例外ではない。政治、経済的配慮から、今日の米国内のイスラーム勢力の反民主的側面、人権問題、にはことさら目をそらす傾向が存在しているからだ。 
 
“Nomad”、ノマド、とは遊牧民を指す言葉だが、今日的用法では単なる放浪者を意味する場合も多い。アヤーン・ヒルシ・アリの祖父母は本当の砂漠遊牧民であった。
父は米の大学教育を受けたインテリであり、一生を部族間の軍力政治闘争に捧げ、亡命先のイギリスで避難民の一人として亡くなった。著者は父に従って故国ソマリアから、サウジ、エチオピア、ケニア、と各地を転々としながら、母親と祖母によって育てられた。彼女の祖母は真の遊牧民であったが、若い新妻を娶った夫に怒り、砂漠に家族を残してただ一人、著者の母を助けるという名目で著者達の家に移り住んだ。
 
やがて父親は、著者の家族、母、著者、兄と妹、を避難先のケニアで事実上見捨てた。彼は新しい妻と子供達でエチオピアに居をかまえ、部族政治に没頭した。
 
1992年、著者自身がオランダに政治的非難民として亡命を申請し、受け入れられた。そこで待望だった大学教育を受けたのだ。それから10年後の2002年には34歳の若さでオランダの国会議員になった。
ところが2006年に偽って避難民として亡命の申請をしたとオランダ法務局から告発された。あわやオランダ国籍剥奪の寸前まで事態が進展したのだが、原因は政界裏の争いらしい。
以上までが前作の自伝 “Infidel”のあらましだが、著者は仕事の関係上、現在米国に居住している。
定住地を求めながら流浪生活を余儀なくされている自己に対するメタフォールが、タイトルの由来だそうだ。
 
著者の“反イスラーム”という政治スタンスは、2004年に公開された“Submission”、服従の意、という超短編映画の脚本を書いたことで世界中に知られるに至った。
この映画はかの有名な大画家ゴッホの兄弟であるテオ・ヴァン・ゴッホのひ孫にあたる同名同姓のゴッホ監督と組んで作成された。この作品に登場するのは黒いベールを被ったヌード女性がただ一人。彼女の体にはコーランの章が刺青されている。それとシンプルな英語のモノローグのみ。だから作品自体は非常にシンプルで、子供じみているという専門家筋からの批評も受けた。だが、政治的には非常にパワフルなメッセーゾになってしまった。
イスラームへの挑戦と受け止められたからである。
ゴッホ監督と著者、及び関係者はヨーロッパのイスラーム勢力からアッラーの名において有罪を宣告された。 
 
この映画はわずか10分間という短いものだが、全体は四つのモノローグに分かれ、その中で登場人物の女達はアッラーに正義を請い求める。
 
第一話、スークで恋におちた若い女。それだけでカップルには鞭打ち100回の刑が待っている。
第二話、16歳で親の決めた見知らぬ相手と結婚させられた女。女は初夜から夫が生理的に嫌でたまらない。だが、生理期間以外は夫の思いのままである。夫は嫌がる妻の面前でコーランの章を唱え、性交するのである。妻に拒む権利はない。
第三話。偏狭な夫に殴打される妻。コーランではDVは夫の権利である。
第四話。叔父にレイプされた娘。娘は母に、母は夫である父に告げるのだが、父は自分の兄弟の名誉に挑戦はできないと娘の告発をしりぞける。結果として娘は妊娠し、叔父は去った。このままでは、娘はこの父に殺されるか、公開の石打ち刑で殺されるしかないであろう。
 
以上の4人は、皆忠実な信者として、アッラーに救いを求めるのだが、返ってくるのはただ沈黙のみ。
この作品は YouTube で公開されている。 誰にも分かり易いように明確でシンプルな英語で語られいる。
 
2004年11月2日、早朝。いつものように自転車で仕事場に向かう途中、ゴッホ監督は待ち伏せされた。モロッコ系ムスラムに短銃で8回撃たれて死亡。犯人は首を切り離そうとしたのだがうまくいかず、喉が深く掻っ切られた状態となった。さらに犯人はゴッホ監督の体に二本のナイフを突き刺して逃亡。ナイフで身体上に留められた五枚にわたる攻撃リストに著者の名も載っていた。著者はいったん地下に潜行、しかし再び姿を現し、それ以来著者にはボディーガードがついて回る。
 
当然の事ながら、ゴッホ監督の殺害はヨーロッパに大衝撃を巻き起こした。
2005年には、著者は、米国タイム誌の“世界にもっとも影響を与えた100人”の一人に選ばれている。
 
著者によれば、“イスラーム”とは、服従を意味する。要するに映画のタイトルそのものなのだ。
アッラーと呼ばれる唯一神への絶対服従である。棄教は死で罰せられる。創始者モハメッドがアッラーから受けた啓示が“コーラン”という114章からなる教戒の本であるそうだ。信者達はアラブ語の原本を暗誦し、その教えに文字通り従うのみである。このコーランについては、登場人物、出来事等々が、旧・新約聖書と酷似しているところから、教祖さまによるパクリではないかという説も出てきている。
 
男性信者は一日五回メッカに向かい礼拝しなければならない。年に一度一ヶ月の断食、酒、コーヒーの禁止、ハラール食品を食べなければならない、等々の日常生活においての戒律が厳しい。
 
同様に女性にもアッラーへの服従が厳しく要求される。しかしそれは男性への服従という形を取っている。
 
圧倒的大多数のムスリム女性は4歳から8歳の間に、女性器切除をされている。
女性器切除は、男性の割礼と同じく医学的な根拠は無である。だが、女性の場合は身体精神ともどもに危害あるのみである。しかし、移住先の欧米でもこの風習は続けられているそうだ。外国に連れていって行ったり、一般の家庭で行われているケースが多いそうだ。いずれにしても、医者がかかわらない場合がほとんどだから、非常に危険である。
著者自身も、進歩的な父の反対にもかかわらず、当時同居していた祖母の手で妹と一緒に割礼された。
 
アフリカ一帯で広く行われているのは、クリトリスと小陰唇の切除、大陰唇の部分的切除と縫合である。
結果としてかっての陰部はのっぺらぼうになり、残されたのは、尿と生理血の排泄口となる穴だけ。
結婚式の夜に新郎自らがナイフで穴を切り開くという慣習すらあるのだ。そうなると花嫁のトラウマも相当のものだ。当然出産にも悪影響し、産婦の高死亡率との関連が取りざたされているそうだ。
 
大多数のイスラム女性は月経が始まると結婚させられる。学校も止めさせられ、家に閉じ込められる。他の男からの誘惑を極端に怖れての事からである。
結婚すれば妻は夫の持ち物だから、父親としてはもう名誉を傷つけられる恐れもない。夫が妻を買い取るのが一般的であるから、収入にもつながる。
 
自分の娘や妻が他の男に目をつけられると、父親や夫の面目丸つぶれとなる。そこで名誉殺人が行われるのだが、イスラムを国教としている国では罪に問われない。
実は欧米でもこの名誉殺人は頻繁に起こっている。もちろん犯人である夫、父親は有罪判決を受けているのだが、それでもいっこうに後を絶たない。
 
サウジ、イランのように、イスラム教国ではシャリアと呼ばれる法で人々は裁かれる。シャリアはコーランの言葉に従う。だからシャリアでは女性は男性の半分しか価値がない。財産も半分、法廷の証言も男性の半分だけしか認められないのだ。
夫は4人まで正式な妻が持てるのだが、女性の浮気は石打ち刑である。未婚の女性も、レイプ被害者も同様である。
その為に女性はベールで全身を覆い隠す。わずかでも体の部分が男の目にとまると、男は理性の力などでは全く抑制できないとてつもない欲望が頭の中で呼び起こされ、行為に走るからだそうだ。
 
著者によれば、女性の隷属が終焉をむかえたとき、今日のイスラーム特有の閉鎖的マインド・セットは崩壊する、というのだ。その為の武器は理性を根底とした“Enlightment”、つまり “啓蒙”であると主張する。
 
“Enlightment”というのは、17世紀頃から欧米に発祥した理性を基盤とした思想の開花・発展である。
著者の学んだLeiden 大学もかってはその拠点のひとつであった。
信仰 faith よりも事実 fact、慣習 tradition より証拠 evidence をモットーとし、聖書を振りかざす教会の権威と王権神受説に抵抗した。すなわち、神、教会、王権という中世的三位一体制への挑戦であった。この挑戦が、近代国家の成立とプロテスタント的資本主義への道を開いたとされている。
 
著者による“Enlightment”の基本点は次の五つである。
 
・疑問の薦め。答えとしての真実の追究。
・知識の習得は、年齢、性別、身分に左右されない、一生の過程
・思想、信条によって罰せられない
・自由を保障する為の法と国家の必要性
・法と国家による個人が働いて得た所有財産の保護
 
以上の五点は現在の欧米では当たり前の事になってしまい、かえってそうでない社会・文化が理解できなくなっている、と著者は指摘する。
今日の米のでは、異文化共存社会という見方があたりまえになっている。異文化を迎え入れる事で逆に異文化との対立を回避する。その成果は複雑である。
 
しかしイスラーム社会では、欧米合理主義文化は宗教の名のもとに否定されるのが一般的である。このような考えに影響された人は、西洋に汚染された者、他を堕落させる汚染の根源として、投獄、拷問、処刑が待っているのだ。
 
この本の評価は二つに別れる。
一般の読者は著者の率直さと勇気を文句なしに賞賛。
著者のイスラームに対する挑戦は本当に命がけであることを認めたうえだ。
石油の収入をしこたま西側から吸い上げた産油国からは豊富な資金がテロリストに流れていくのである、イスラーム拡張という錦に御旗のもとに。
当然、イスラーム信者からは罵倒された。
 
著者が講演の為に米の大学キャンパスに現れると、はなやかなスカーフを被った女子学生の群団が待ち受けている。
彼女達は、コーランは女性を堕落から保護している、従って著者はうそつきだと主張、激しくヤジを飛ばして著者の講演を妨害に出る。一般の学生から、言論の自由を保障する米憲法に従うように、という抗議の声があがるくらいだという。
そういう女子学生達に対する著者の反応は辛辣だ。
一度自分達や親が来た祖国に帰って真剣に仕事でも探して見たらどうか、そこでは女一人で外出することも男性一般と自由に話すことも禁じられているかも知れないが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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いつもの事ながら、興味深く拝見しております。この記事を拝見しつつ Wikipedia の「悪魔の詩」の項目を開いたところ、PC が 30 分以上操作不能になってしまいました。偶然とは言え、嫌な符合です。

「自らが属する『世界』への告発」という行為に対するバッシングの苛烈さにおいては、イスラムもキリスト教世界も大差ないような気がします(アクションについてはイスラムのほうが過激かも知れませんが)。キリスト教のもとで齎された「自由」のもとにイスラムの教えに則った生活を「主張する」女子学生は確かに笑止ですが……。

恥ずかしながら、宗教については基礎となる知識すら持ち合わせていないのですが、仏教を生んだ筈のインドの地においてヒンズーが興隆し、エルサレムの周りはイスラムばかり、というのはどうしてなのでしょう。「神は恣意的な存在に非ず」という「神からのメッセージ」なのだとすれば、この上ないジョークのように思えてしまいます。

2011/1/4(火) 午前 0:41 Bojan 返信する

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コメント、ありがとうございます。

私自身も背教者アヤーンについて書くのをやめようかと思ったりしたのですが、このブログの読者数は少ないので書くことに決めました。

人間の心の中には神を求めるスピリチュアルな領域が存在するというのが今日の一般的な考えです。ですから、信仰 faith を持つ事は人間として極めて当然と見なされています。

しかし、人間の脳の構造はクロマニヨン以来ほとんど変化していないそうです。当然、宗教熱が嵩じて聖戦などという前近代的思考に取りつかれても不思議ではないでしょう。ドンキホーテは健在なのです。

ただし、そういう人が金と権力を握ると、喜劇が惨劇に転じるから怖いのです。

歴史的に宗教=政治力であった時代が多いので、民族、国家の興亡は宗教の興亡ともなり得る訳です。

歴史の神学的解釈については神学者にまかせます。イエスは言いました、ローマの高税を怨み、イエスに反乱のリーダーになれとせまるユダヤ大衆に。ローマ人の鋳たコインはローマに税金として返しなさい、と。

2011/1/6(木) 午前 11:36 [ chuka ] 返信する

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なるほど、「信仰を持つことは人間として極めて当然なこと」という一節が、私にとっては重いです。一般教養としては理解しているつもりですが、日本国内においては、自らを肯定的に「無宗教である」とする人間が大勢いるので、少なくとも日本国内においては「信仰を持つ事は当然」という考え方はコンセンサスを得られていないと感じています。

民族や国家の興亡 → 宗教の興亡というのには頭が回りませんでした。宗教集団・民族・国家というのは(現実的には)限りなく同一の枠組みに収まっている事が多いので当然の帰結なのでしょうが、どうしても「宗教」と「国家」を結びつけられなかったようです(あるいは深層心理的に「結びつけたく無い」と願っていたのかもしれません)。

自己弁護でしかないですが、集団の中に身を置きつつ、自らが属する集団の有り様を俯瞰するのは難しいです。貴重なヒントをありがとうございます。

2011/1/7(金) 午前 0:19 Bojan 返信する

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コメント、ありがとうございます。

Wikiによると、日本の無宗教人口は約60%を超えるとか。北欧の無神論者、約80%、に次いでいるように見えます。

ですから、無宗教がコンセンサスを得て当然でしょう。

米での無神論者はわずか2%だそうです。80%がクリスチャンといわれていますが、実際に教会で礼拝する人口はおそらくその半分ぐらいなのでは、という憶測です。

2011/1/8(土) 午前 1:12 [ chuka ] 返信する

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