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弘前の松陰室

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津軽半島をぐるっと回って弘前に来た。

ここには150年前の嘉永5年(1852)3月1日、吉田松陰が宮部鼎蔵とともに
訪れており、藩の儒学者伊東広之進や津軽藩士とともに国事を談じている。

松陰が会談した屋敷は隣の藩医・伊藤家が買い取り、明治39年、養生幼稚園
として開園された。

この幼稚園は青森県内に現存する幼稚園では、一番古い歴史ある幼稚園です。

松陰の会談した部屋は、玄関から座敷にかけての一部が保存されており、会談
した座敷は、松陰室と命名され、現在も大切に保存されている。

このような建物が残されていること自体、奇跡的なことであり、そこには松陰
に対する並々ならぬ傾倒なくして考えられない。

果たして調べてみると、藩医伊藤家の伊藤重が明治19年、東大医学部を卒業後、
弘前に帰郷し、家業を継いだが、明治41年、松陰神社(東京世田谷)で盛大に
開催された吉田松陰の50年祭に参加する機会を得、深く感動し、弘前でも記念
会を開くことを決意し、明治44年3月1日「第1回吉田松陰先生記念会」を開
き、以後一度も休むことなく続けられているという。

このような背景があって津軽の地に今も、松陰室が存在しているのである。

このことだけでも弘前は文化の香る街であることが分かる。

私らが訪れた日は日曜日であり、松陰室は休みだったが、A氏が養生会の小笠原
会長さんに連絡し、ご好意で門の中にいれてもらい、外観だけでもみることがで
きたのは幸運だった。

150年前、萩からみれば、本州最北の地に、松陰の足跡がその精神も含めて
見事に残されていた。

弘前の松陰室は今回の津軽松陰道の最後を飾る素晴らしいところだった。

写真1〜3 養生幼稚園の一角に残された松陰室
写真4   後藤新平の書と松陰室内部・養生幼稚園HPより

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閉じる コメント(6)

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弘前は歴史と文化のある町なんですね。弘前というと弘前城と桜がよく知られていますが、じっくりこのようなところを訪ね歩きたいものです。
ポチ☆

2009/11/1(日) 午前 10:34 [ バタフライ ] 返信する

吉田松陰さん勉強不足で調べて見ました!
思想家であり教育者だったんですね。
青森県内で一番古い歴史ある幼稚園が残っている事も
素晴らしい。ポチ凸☆彡

2009/11/1(日) 午後 4:06 [ smi*e_*_7* ] 返信する

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バタフライさん、弘前は歴史ある文化的情緒に富む魅力的な街です。ポチありがとうございます。

2009/11/2(月) 午前 3:41 [ kinos ] 返信する

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smailさん、吉田松陰を調べてくれたのですね。150年前に高畠、米沢も通っているのですよ。明治期にできた養生幼稚園も素晴らしいですね。ポチありがとうございます。

2009/11/2(月) 午前 3:45 [ kinos ] 返信する

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司馬遼太郎先生も伺っているのですね。松蔭祭にも出てみたい。

2013/3/12(火) 午前 11:20 [ spr*n*tr*e1952 ] 返信する

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sprさん、松陰の足跡は全国にあります。意外と近くにも調べてみてください。

2013/3/14(木) 午後 10:43 [ kinos ] 返信する

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