「極楽寺殿御消息」に見る「女性の扱い」/鎌倉武士の心構え(下)
050:人の妻をば心をよく/\見て、 「一夫一婦制」のススメ、だと言われている割と有名な項目です。その宗教的根拠がキリスト教の「使徒パウロ」の言葉と近似するという指摘もあります。
だいたい武家はこの一夫一婦制の原則を守っていますが、あくまでもそれは公称での話し。妾さんや「傾城(プロ)」さんとの関係は禁じられてはいません。しかも重時自身が一夫多妻だったこともあって、なかなか説得力には欠ける一文かと思います。まぁ、心構えの話なので、女性的に見ても男性のそういった悪癖(?)を抑制できる方法などないのが現状だったり。 049:女の心をもつべき事、 「極楽寺殿御消息」において、それが家訓であるという性質上、この一条は非常に珍しいと思います。大体が男性子孫に対するメッセージである中で、女性子孫に対する心構えが書かれているからです。同時に「男女の仲は〜」にも言及されていて、その哲学世界は現代においても理解されるものだったりもしますね。
しかしこうやって抜粋してみると、北条重時翁は(現代的視点においても)相当なフェミニストに見えちゃいます。(実際は家庭内で「相争わぬ」ことが目的になっているんですけどね。)
048:経文には、 「女性差別の撤廃」(笑)
もともと「歌の元の平等」が日本文化の基幹にはあったのですが、これは仏教上の平等を意識して書かれた一条。仏教が鎌倉武士の規範の源であることは、史実を見ても間違いはないのですが、その仏教の及ぶ範囲を女性の存在まで拡大した一条であるかと。 引用文を見ればわかりますが、「極楽寺殿御消息」は心構えである以上、鎌倉時代初期の現実社会は「そうではなかった」場合もある、つまり特筆されるべくして書かれた「心得の書」であるということは、それに反する現実が少なからずあったことが言えると思います。仏教的な理由で女性が差別されることが、この時代あったということですね。 012:女房などのたち忍たる所をば、 意訳:ご婦人方がひそかに隠れているような場所は、くれぐれも見ないで通ること。見ぬふりをすること。お供の従者にも、見てはダメだときつく申し渡すこと。 男性に見られちゃいけないことってのは、女性には多々あるわけでして、そういった女性の事情に斟酌した配慮とも受け取ることができます。女性的に見るなら、そういった所をジロジロ見たりする男性ってのは陰口の対象にもなりますから、その意味でも控えるべき行為であることは認められますね。
セクハラなんか重時翁には想像すらできない世界の言語道断な行為ってことにw 仏教的根拠はともかく、「極楽寺殿御消息」の内容というのは現代人が見ても納得できる「心得」が書かれた資料だと思います。しかし、この「極楽寺殿御消息」が現代においても「心得」となりうることは、以下2つの点が言えることにもなるんですね。 ・幾多の政治的変革が日本国内にあっても、日本人が理想とする「立ち居振る舞い」自体に変化がないこと。(理想的社会性の慣習化) ・哲学・思想をはじめとした現代日本社会の雛形は鎌倉時代武家社会には既にあった。 こう見ると、現代社会で展開される「フェミニズム活動」や「男女同権運動」なんかは底の極めて浅い、まさに「女わらんべ(童)のならひ(習ひ)なりとおもふべし。」って重時翁がおっしゃられた通りの帰結にしかなっていないんじゃないかとは思います。
■現代語意訳・参考資料:naagitaさんのブログ
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すごい参考になりました。
2012/1/11(水) 午後 2:49
今日はこの嬉しい記事に応援の☆ポチですよ!参考になります!
2012/1/11(水) 午後 3:40 [ 清水太郎の部屋 ]
>KABU先生
ありがとうございます
2012/1/11(水) 午後 6:36
>清水太郎の部屋さん
ありがとうございます
2012/1/11(水) 午後 6:36