考古学

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闡幽舎主人と坪井正五郎、そして球磨の考古地誌

『球磨の考古地誌』で取り上げたい、新たな文献をゲットしました。 「闡幽舎主人」というペンネームで『文』17号に書かれた「古代武器」については、連載の『球磨の考古地誌』で取り上げました。 それに関連する文献でした。 何と坪井正五郎が、『文』の18号に、闡幽舎主人への反論を書いていました。 論文名は、「闡幽舎主人ノ古代武器考ニ付キテ」です。 そしてさらに、闡幽舎主人が坪井への反論を『文』の24号に書いています。 「再度古代武器ノ由來ヲ説テ坪井正五郎君ノ質疑ニ答フ」です。 ことの起こりは、1888年、明治21年8月22日でした。 球磨郡木上村(現、錦町木上)の城ケ峰横穴群が発見されました。 この調査には、稲留三郎さんが当たり、『熊風土記』に記録しました。 また、その情報が県に上がり、 『古墳取調書』(『古墳発顕記録」)として当時のすべて表示すべて表示

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