京阪80形電車との出会い〜錦織車庫(1)
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京阪大津線の錦織車庫の公開でいちばん楽しみにしていたのが、最近知ることができた80系の保存車両に会うことでした。 一両も残されず解体されてしまう形式が多い中、車両基地に保存されているのは本当にすばらしいことです。 80系は、かつて京津線で1961年から1997年まで大活躍した車両です。 京津線とは、京都の三条駅から大津の浜大津駅の間です。 現在の三条京阪駅と浜大津駅の間。三条通を、主に各駅停車の普通電車で走っていました。 現在の三条通を長年よく通っている私は、線路など跡形もないこの通りを電車が元気に走っていたのだと思うと、実際に見たことがないながらも急にその電車たちへの愛惜の思いが迫ってきました。 現在の三条通。つきあたりにウェスティン都ホテル京都が見えます(設計は村野藤吾さん) 今も三条通に電車たちは居るように思えてきました。 果たして、その80系に会えるときがやってきました。 入り口を入って程なく、その姿が見えてうれしくなりました。 81号です。…でも、後部がありませんでした。 私は嵯峨野の19世紀ホールに居るきかんしゃD51603を思い出しました。 http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527/33681567.html http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527/34063652.html 彼のように、機関車で言えば前頭部のみの保存というような感じで、少し悲しくなりました。 でも81号といっしょにこどもたちが写真を撮るイベントが行われていて、そのための駅員さんの制服の衣装も貸し出されていてとても楽しそうでした。それを見て、少しでも姿が残った81号をよかったと思いました。 その81号の向いあたりに82号がいました。 中にも入れるようでとてもうれしく思いました。 でも中に入るよりも先に、なぜか私の足はもう少し先の工場へと向きました。 そこには電車の部品や機械、遮断機、警笛、方向幕などの展示がありました。 その奥に大津線の歴史の写真と年表の展示がありました。 ほかのイベントに並ぶお客さまの行列が工場にまで伸びていて写真の前も大混雑。 でもとにかく一通り見て行きました。 京阪を日常的に使ったこともなく勉強し始めたばかりの私はそれぞれの写真のいわれも理解できずただかつての美しい風景に感心するのみでした。 しかしこの写真に出会って衝撃を受けました。 この日、私が会うのを楽しみにやってきた80形のなかまの解体写真です。 手前にいるのは左上の車両番号を見ると、番号がはずされていてわかりにくいのですが85号のように見えます。 写真には「九条山で解体される80型」とありました。 九条山とはどのようなところだろうと写真を見ているうち、車両の横にホームのようなものがあるのに気づきました。 ここは現在の御陵駅あたりにかつてあった九条山駅の跡なのです。 廃車が決まってしばらくここに留置されていたようでした。 何度も写真を見ているうちこの写真に日付が入っていることに気づきました。 1997年11月19日。この日を大切に覚えていたいです。 ラストランが10月ですから、1ヶ月ほどで解体されたことになります。 それでも、この写真が残っているということは、この車両は相当人々に惜しまれたのだと思いました。 下の写真に見えるホームの位置は、上の写真と反対です。 この車両は何号か分かりませんが、上の写真を反対側から見た写真かもしれません。 解体の風景はネットで少し見たくらいでほとんど見たことがありません。 重機で解体されると以前知ったときはなかなか信じられませんでした。 避けてきたこともありますがこのようなはっきりした写真を見るのは初めてで、それも今会ってすぐの81、82号と同じかたちの車両のとても痛々しい写真を前に、雷鳥や381系のことも重なって涙が止まらなくなり上を見ていました。 あわてて工場を出るとトーマスがなぐさめてくれました。 私はいまだに生き、この感謝祭にいっしょに参加している80形のなかまたちを強く感じました。 解体風景の悲しさが大きかったのはもちろんですが、80形たちが生きていることを感じることができたことの感動が心に満ち、みんな笑っている中ひとり涙を流し歩いていました。 ひたすら洗われる800系のきれいな水色をみていると落ち着いてきました。 この車両基地に来て、私はこの電車のことが自分が思っている以上にとても好きなことに気がつきました。 そのうち、やっと82号の中に入る気持ちになりました。 (つづく)
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