虹色鉄道

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2011年11月10日

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京阪80形電車との出会い〜錦織車庫(1)

京阪大津線の錦織車庫の公開でいちばん楽しみにしていたのが、最近知ることができた80系の保存車両に会うことでした。
一両も残されず解体されてしまう形式が多い中、車両基地に保存されているのは本当にすばらしいことです。

80系は、かつて京津線で1961年から1997年まで大活躍した車両です。
京津線とは、京都の三条駅から大津の浜大津駅の間です。
現在の三条京阪駅と浜大津駅の間。三条通を、主に各駅停車の普通電車で走っていました。
イメージ 1
(写真はWikipedia「京阪80形電車」より

現在の三条通を長年よく通っている私は、線路など跡形もないこの通りを電車が元気に走っていたのだと思うと、実際に見たことがないながらも急にその電車たちへの愛惜の思いが迫ってきました。
現在の三条通。つきあたりにウェスティン都ホテル京都が見えます(設計は村野藤吾さん)
イメージ 2



今も三条通に電車たちは居るように思えてきました。
イメージ 3
かつて「東山三条駅」があったあたり。現在は市バスが活躍。



果たして、その80系に会えるときがやってきました。

入り口を入って程なく、その姿が見えてうれしくなりました。
81号です。…でも、後部がありませんでした。
イメージ 4

私は嵯峨野の19世紀ホールに居るきかんしゃD51603を思い出しました。
http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527/33681567.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kay31527/34063652.html
彼のように、機関車で言えば前頭部のみの保存というような感じで、少し悲しくなりました。
でも81号といっしょにこどもたちが写真を撮るイベントが行われていて、そのための駅員さんの制服の衣装も貸し出されていてとても楽しそうでした。それを見て、少しでも姿が残った81号をよかったと思いました。

その81号の向いあたりに82号がいました。
イメージ 5


中にも入れるようでとてもうれしく思いました。
イメージ 6


でも中に入るよりも先に、なぜか私の足はもう少し先の工場へと向きました。
そこには電車の部品や機械、遮断機、警笛、方向幕などの展示がありました。
イメージ 7


その奥に大津線の歴史の写真と年表の展示がありました。
イメージ 8


ほかのイベントに並ぶお客さまの行列が工場にまで伸びていて写真の前も大混雑。
でもとにかく一通り見て行きました。
京阪を日常的に使ったこともなく勉強し始めたばかりの私はそれぞれの写真のいわれも理解できずただかつての美しい風景に感心するのみでした。

しかしこの写真に出会って衝撃を受けました。
イメージ 9

この日、私が会うのを楽しみにやってきた80形のなかまの解体写真です。
手前にいるのは左上の車両番号を見ると、番号がはずされていてわかりにくいのですが85号のように見えます。

写真には「九条山で解体される80型」とありました。
九条山とはどのようなところだろうと写真を見ているうち、車両の横にホームのようなものがあるのに気づきました。
ここは現在の御陵駅あたりにかつてあった九条山駅の跡なのです。
廃車が決まってしばらくここに留置されていたようでした。


何度も写真を見ているうちこの写真に日付が入っていることに気づきました。
1997年11月19日。この日を大切に覚えていたいです。
ラストランが10月ですから、1ヶ月ほどで解体されたことになります。
それでも、この写真が残っているということは、この車両は相当人々に惜しまれたのだと思いました。

下の写真に見えるホームの位置は、上の写真と反対です。
この車両は何号か分かりませんが、上の写真を反対側から見た写真かもしれません。
イメージ 10


解体の風景はネットで少し見たくらいでほとんど見たことがありません。
重機で解体されると以前知ったときはなかなか信じられませんでした。
避けてきたこともありますがこのようなはっきりした写真を見るのは初めてで、それも今会ってすぐの81、82号と同じかたちの車両のとても痛々しい写真を前に、雷鳥や381系のことも重なって涙が止まらなくなり上を見ていました。
イメージ 11


あわてて工場を出るとトーマスがなぐさめてくれました。
イメージ 12


私はいまだに生き、この感謝祭にいっしょに参加している80形のなかまたちを強く感じました。
イメージ 13


解体風景の悲しさが大きかったのはもちろんですが、80形たちが生きていることを感じることができたことの感動が心に満ち、みんな笑っている中ひとり涙を流し歩いていました。

ひたすら洗われる800系のきれいな水色をみていると落ち着いてきました。
この車両基地に来て、私はこの電車のことが自分が思っている以上にとても好きなことに気がつきました。
そのうち、やっと82号の中に入る気持ちになりました。
イメージ 14



(つづく)

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京阪大津線錦織車庫 〜プロローグ

「京阪大津線錦織(にしごおり)車庫」は、京阪石山坂本線「近江神宮前」駅に隣接する車両基地で、京阪大津線(京津線・石山坂本線)のすべての車両の検査を行っているところです。

この車両基地の存在はずいぶん前に知ることができましたが、近江神宮の前から電車たちの姿が少し見えるのを見ながら、どんなところだろうと憧れているばかりでした。

ここは毎秋「大津線感謝祭」として一般公開されますが、このたび11月3日にたずねてみました。

いつものように近江神宮の前からながめてみると、テントが出ていてラーメンの旗もありお祭りムードでとても楽しそうです。
イメージ 1


いったい、この車庫の入り口はどこにあるのだろうと前から不思議に思っていました。
とにかく車庫のある方向へ歩いていくと、びっくり。
ふつうの道から、車庫全景を眺めることができます。
イメージ 2


いきなり目の前に数日前にテレビで見て憧れていた洗車風景がひろがりどきどきしました。
イメージ 3


この洗われている800系の乗車体験の長い行列ができていました。
800系も何度も洗われてぐったりしていましたがうれしそうでした。
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この車庫近辺には近江京の跡が点在し、「近江大津宮錦織遺跡」とされています。
そのうちの「第4地点」が、この車庫に沿った道にありました。
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「錦織」はふつう「にしきおり」と読み、車庫の「にしごおり」は珍しいかもしれません。でも、地名の場合は「にしこおり」と濁らず、さらに複雑です。

第1地点はよく通りすがっているのですが、ここを見ることができてとても感動しました。
「西大津」から変更された、JR湖西線の「大津京」駅の意味が、これらの遺跡を訪ねると心にしみます。
イメージ 6


ちょうどこの遺跡の前が京阪の「近江神宮前」駅。
右奥が車庫です。
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小さい頃からこの駅界隈に慣れ親しんでいる私としては、こんなによく知っている場所に車庫があったのだと位置を知らなかった自分にあきれ返ってしまいました。

駅前の町並み。右手にあったおいしかった洋食レストランも再開を期待していましたがついに建て変わってしまい寂しいです。ずっと忘れられない味とお店です。
イメージ 8


ついに入り口にたどりつき、すてきな幕に心和みました。
この入り口は私にとって初めての車両基地公開への入り口でもありました。
イメージ 9



(つづく)

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