とも人的、徒然なるままに「人生は木登りの如く・・・・・・か?!」
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最近、ふっと思うことがある・・・・・・・・・・・・・・?!
それは・・・・・・・・・・・・・・・!
「人生とは、木登りの如く!みたいな感じだなあ?!」と言うことである。
太くて、とても高い木のテッペンまで登って、そこから景色を眺めて見たい!!
と、そんな衝動や願望に駆られてしまった経験はないだろうか?!
僕には、子供の頃から・・・・・・・・・・・・今も、その願望は続いているのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・!!
良い大人となってしまえば「無心に木登り」をしている様は・・・・・・・・・・・・・・・?!
やはり「良い」とは言えないことだと「自覚」はしているので、子供の頃の様にの「木登り」は自制はしている。
しかし、その頃の「木に登る」と言った感覚と記憶は、今もなお鮮明に残されている。
木に登り始めは、どこに取り付いて上へ行ってやろうか?と「木」の周りをグルグルと廻りながら「最初の足場」を探す!!
その時は、取りあえずは「すぐ上」近くの第一目標地点となる「枝」なども考慮に入れながら探すのである。
言わば、先ずは「木登り」のための、最初のルート予測!と言ったところだ!!
一番最初に、なんとなく良い足場であるな?!と、安易に選択して登り始めると・・・・・・・・・・・・・・・・・・?!
案外、すぐに行き詰ってしまい、第二段階の取り付き「枝」まで登れない事となり・・・・・・・・・・・・・・・?!
あえなく断念!
一番下まで降りて・・・・・・・・また、やり直し・・・・・・・・・・・・・・と、そうなってしまう!!
それで、あれこれと思案しながら「木の根元」をグルグルする事が肝要と?!そう、なるのであった。
人生に例えると、この「グルグル」している状況は?!
「学生時代」を送っている?!と言ったところか??<木登り的に置き換えて言えば>
「木に登ろう」と言う衝動に駆られた時が「小学生」
「よしっ!登ってやろう!」と、その判断を考えているのが「中学生」
「登るためには?!」と、現実的な考慮と決断をするのが「高校生」
そして・・・・・・・・・・・・・・?!
「登り始める」ための「目標とコース選択」を熟考し、実行準備を始めるのが「大学生」と、言ったところではないだろうか・・・・・・・・・・・・?!
仮に・・・・・・・・・・・・・・?!
この「木登り」を、将来設計のための「仕事」と、そう置き換えてみると・・・・・・・・・・・・・・・・?!
むろん、大学生となるまでに、中学や高校を卒業した時点で「木登り」=「仕事」を始めると言う事もある!!
早く「登り」始めた分、当然「頭」で考えて「知識」を十分に得てから「実行」に移る年月は・・・・・・・・・・・・・・・「大学卒」よりも、縮めての「実行」となる!!
その、縮めた分の「知識」は未熟なままでの「実行」とはなるのだが?!
「実行」すると言う事は・・・・・・・・・・・・・・・・・?!
「知識」は「空想」である!と言えるが、
「実行」は「事実体験」である!と、そう言える・・・・・・・・・・・・・?!
現実的には「知識」と「実行」の間には、単なる「博識的知識」と「経験的知識」と言う「知識」における格段の「差」が存在している!!とも言えるのである。
ゆえに「知識」のみを「満載」してからではなくても、先に「実行」する事で、体験しながら「知識」は?後付けで加えて行く!!という方法論も存在している!!
俗に言えば、学歴キャリア組と叩上げ現場組!!の存在!!と言った分類となる!
おそらく、1990年頃までは、この「キャリア組」と「現場叩上げ組」の両者が上手く組み合わされて「会社組織」を形成・運営等をしていた様にも思えるのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・?!
そのバランスは、現在に至っては、すっかり崩れ去ってしまっているのではないだろうか?!
「木登り」をしていた、子供の頃・・・・・・・・・・・・・?!
思い起こせば「独り」ではなく「数人」で「木」に登っていた!!と言う記憶が残っている!!
「集団」で、山野を駆け回って遊んでいた状況下であった以上、それは必然的なことでもあった!!
そんな「子供集団」の中には、運動神経の良い奴、悪い奴、器用な奴、不器用な奴、すばしこい奴、ドン臭い奴などなど・・・・・・・・・・・・・・・・?!
色んな奴が存在していた!!
しかし「木に登ろう」と?!そう決まった時、それは・・・・・・・・・・・・・・・?!
「みんなで、テッペンまで行く!!」そのことが、大前提以外の何ものでもなかった!!
運動神経が鈍くても、状況判断とルート選択に長けている奴、
ドン臭くても、異常に腕力が強い奴、
無口で、滅多に喋ることも無く、存在感すら薄くても・・・・・・・・・・・・・?!
居ないと何故か?寂しくなる奴、
何にも当てはまるところは無いが、いつも必ず引っ付いている奴、
しかし、誰かが何かを?補い合う事によって「集団」は形成されていた。
それは、事実であった!!
だからこそ、あの頃・・・・・・・・・・・・太くて高い!そんな「木」にも登る事が出来たのではないだろうか?!
小学生クラスの人間であっても、5人や10人がよじ登って乗かっていても、びくともしない・・・・・・・・・・・・!!
そんな、太くて大きくて・・・・・・・・・・・強い木!!
それが、登るに値する「木」なのであった!!
しかし・・・・・・・・・・・・何時のまにやら・・・・・・・・・・・・・??
最近の連中が、取り付いて登っている「木」と言えば、
ちょっと登れば、その「木」自体が折れてしまいそうな?!
「危なっかしい」と言った「細くて貧弱」な「木」ばかりではないだろうか?!
そんな「貧弱な木」を、個人の所有物とするために必至になっているだけだ!と、そう思えて仕方ない!!
まだ「登る」には、育ってもいない「貧弱な木」であることを見極める「知識」も「実行経験」無い者達は、
やがて、その取り付いている「木」は己の所有物である!!
己の好き勝手にして、どこが悪い!!と、顎を突き出して「個人の権利」ばかりを主張し続けていると・・・・・・・・・・・・・・・・・・??
結局は、勘違いしている間に「木」は枯れてしまい、最後には共倒れ!と、そうなるまで気付きもしないのだろう!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?!
「人生とは木登りの如く」・・・・・・・・・・・・・・・かな???
徒然なるままに・・・・・・・・・・・・・・である!!
続く! |


