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網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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第12回 L=ラスコー

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12月10日 L:ラスコー (その1)

ラスコーはフランスの南西部ドルドーニュ地方、昔はベリゴールと呼ばれていた、ヴェゼール河沿いにあります。一帯、石器時代の洞窟があちこちにあるところで、ボクがラスコーを訪ねたのはもう20年も前ですが、自動車を降りて洞窟地帯を歩いてその間にもいくつか覗いてみたいと思うような洞窟があって(標示が立ててありました)、ラスコーに辿り着きます。
ラスコー洞窟は、1940年に発見され(註1)当時はもちろん誰でも見学できたのですが、やはり人間の出入りが激しいと壁画の劣化もひどく、当時すでに一般見学は禁止、特別許可をもらった者だけ入れるのです。
ボクは1980年81年、敦煌石窟を訪ねその探検者の一人であるポール・ペリオのことを研究するという名目で、フランス政府から招かれた形でパリにいたものですから「古代石窟の比較研究をしたい」と文部省の考古科学研究局というようなところへ手紙を出したらすぐに許可がもらえました。
車椅子で動かざるを得ないことも書き添えておいたら、地下に降りるので助けがいる、もしそちらで用意できないのならこっちで用意しましょうかということも書いてあって、もちろんこんな機会に行きたいと思っている人はなんにんもこちらにいますから、当初は汽車に乗って出かける予定をしていたのですが、助けてくれる人+車を持っている人を選んで自動車で出かけました。(註2)
(註1)1940年、四人の男の子が探検ごっこをしていて偶然この洞窟を見つけたのでした。もちろん大騒ぎになっていくのですが、その四人の男の子というのは当時18歳のマルセル・ロリダ、16歳のジョルジュ・アニェル、15歳のシモン・コアンカスとジャック・マルサルで、このうちのジャック・マルサルさんが当時は60代ですが、このラスコー洞窟の管理人をしておられ、見学のあといろいろ発掘当初の話なんかも聞けました。もらった名刺があって、「ラスコー洞窟発見者」とフランス政府から授与された称号「騎士(シュヴァリエ)」が印刷してあるいかめしくも格好よい名刺で、いまも大事にとってあります。
そのときの話ですが、当時流布しているところでは、犬が穴のなかへ入っていって姿を消してしまったので追っていくと、壁画のある大きな洞窟があったというのです(つまり第一発見者は犬!)が、ほんとうはそうじゃない、犬は連れていたけど、洞窟の入口の穴のことは知っていたそうで、そこを抜けて川向こうに出られるかもというような気分で探検しようとしたといっていました、もちろんすでにこれ自体、彼の昔のなんべんも話しているうちに整理していったにちがいない記憶でしょうが、みんなを連れていったのは18歳のマルセルだったと仰言って(犬が洞窟の中へ入っていったあとを追ってみんなが「発見」した子供向けの絵本などがフランスでは売っていました)。
(註2)当時の手帖を開くと(いまは料金も高くなり、所要時間も短くなっているでしょうが)パリのオステルリッツ駅からトウルーズ行きに乗ってブリーヴ・ラ・ゲラルドで下車(それが398フラン)、そこからバスでモンティニャックまで38キロメートル、(所要時間1時間10分)(21フラン)とあります。夜行は22時53分パリ・オステルリッツ発、ブリーヴ・ラ・ゲラルド着が朝の4時3分、昼に出ると13時に出て18時頃着くとメモしています。
だいたい横浜から大乗寺へ行くくらいですね。

ほかの小さい洞窟はほとんどむき出しの状態なのです(もちろん入口は閉めてあります)が、ラスコー洞窟は、近づくとものものしい鉄棒の柵で囲まれています。入口はどこだろうと鉄柵に近づきますと、柵の奧から数匹の獰猛な大きなシェパードやドーベルマンが激しく吠えながらドドッと走ってきます。その後から、ゆっくり姿を現したのが管理人のマルサルさん(マルサルさんというのはあとで判るのですが)。もちろん当局から話は伝わっていて、中へ入れてもらい、書類には「一時間」と限定してありましたが、二三時間はたっぷり見せてもらいました(そのあと管理人室で話をきいて)。
                      ☆
洞窟の入口は、ぴったりと重そうな青銅の扉で閉じられています。そこを入ると階段で地下深く降ります。降りたところに、畳一枚位の大きさの水盤があって、そこに消毒液が張ってあるのです。洞窟に入る前に靴底を消毒しなければならないというわけですが、ボクの車椅子はそこへはいらなくてもいいといわれ、それからボクは洞窟をあちこちみてまわったのですからタイヤについた地上の雑菌をだいぶ洞窟内に残してきたかもしれません。
さて、そうしてもうちょっと洞内を通って中へ入ると、大きな洞窟の広間です。奧行30メートル、幅10メートルくらいのまるい洞窟がひろがっていて、しっとりとしめっているような壁面に、大きな牡牛や馬が色鮮やかに描かれています。その一つ一つがとても大きく(あとで調べると、3メートルとか5メートルという長さのものがありました)、走っている姿が描かれていて、絵がすばらしいというよりも、その姿から、牛やバイソンの走る蹄の轟きが聴えてくるのでした。
10日のABCの集まりのときは、スキラ版の画集や最近の画集から一枚一枚画像をみていったのですが、ブログの内容報告ではそれは省略して、ほんの要点だけ誌しておきます。
まずその一つが、洞窟内の部屋の名称・呼びかたの問題です。当日は平面図を配布しました。
ジョルジュ・バタイユが解説文を書いたスキラ版の翻訳が出ていて、それには日本語で各室の名称が記入されています。いまそれをフランス語と対照させてみましょう。
まず、大きい部屋は「主洞」と訳されています。フランス語では La Grande Salle(ラ・グランド・サル). 「大広間」ぐらいの訳でいいと思います。たしかにここがいちばん大きい洞窟ではありますが、「主洞」というとここが「主」であとは「従」のイメージが出来てしまいます。果たして「大きい部屋」が「主」で他は「従」か、壁画を描いた人(便宜上「ラスコー人」と呼んでおきます)は、そういう認識をもって描いていたでしょうか。じっさいに見たボクの印象では「non」です。
ここは日本語の訳の問題です。ここの「大広間」から二つの道があります。一つは「軸状奧洞」 Le Divercule Axial(ル・ディヴェルキュル・アクシアル) と呼ばれていて、道は細く狭いのですが、ここの絵はまたすごいのです。左右の壁に手を広げると届く位で、そこに描かれている馬や牛といっしょに駆けている感じがします。軸状になった奥まった通路の部屋ですから、ここの名称はその具体的な外観の様子から名付けられたわけです。
「大広間」も,「大広間」といっている限り、外観からつけた名称です(フランス語ではそんなふうに付けられました)が、日本語訳の「主洞」は明らかに部屋の役割を価値づけています。
大広間のもう一方に通じる方は「通路」 Le Passage(ル・パサージュ) で、ここには絵はなく、その通路を抜けるとちょっと階段がつけられてあって、前方と右手に部屋があります。
左手の部屋は La Nef(ラ・ネフ)と呼ばれています。右手は、L’Abside(ラプシッド)と呼ばれております。
La Nef というのは教会の建築構造の名称で、教会の平面図は十字になっていますが、その縦の線にあたる下の方、信者席のある辺りのことをそう呼んでいます。日本語では「身廊」と訳しています。
L’Abside は、十字の上の部分、構造としては半円形に作られていて、祭壇なんかがあるところです。日本語では「後陣」と呼んでいます。
つまり、新石器時代につくられた洞窟の構成?それぞれの部屋・部分を現代の学者は、カトリック教会の建築物の名称に振り当てて呼んでいるというわけです。
ラスコー洞窟に絵が描かれた時代は、いまからおよそ1万5000年から2万年ぐらい前のことです。現在はフランスの南西部に位置しますが、もちろん、そのころ「フランス」なんて影も形もない。大地があっただけです。キリスト教が生まれる母体のユダヤ教が誕生しようとするのが、いくら遠く見積っても5~6000年前ぐらい。それからキリスト教が出来、キリスト教がローマ帝国の国教になって教会が建てられるようになるのは紀元4世紀以降。「後陣」だとか「身廊」だとかいう構造名称はもっともっと後で、そういう名称を与えられてもいい構造をもった教会建築が誕生するのは10世紀以後?つまり、いまからせいぜい1000年ほど昔のことにすぎない。そういう概念で、1万年前の人類の活動をカテゴリー化するのは、問題です。
近代?西洋近代?というのは、そういうことをやってきたということです。その問題については、スキラで解説を書いているバタイユですら気がついていない。平気で、LaNefだとかL’Absideって書いてます(註3)。では、ここでは、新しい名前を付けましょうかというのはやめておきます。便宜上、今回ボクは従来から使われている名称を使っていこうと思います。そこにはこんな問題が隠れているということを忘れないで使うことが大切だと思うからです。「こんな問題」というのは、単に場所を名指す名詞の問題のように見えるけれども、そういう「名指し」を受け入れ使うことによって、その名指しに用いられた言葉の持つ概念と意味作用に無意識の裡に呪縛された考えかたをしていることは避けられないだろうという問題です。新しい名指しにしたから呪縛から解放されたというわけにはいきません。こうして、ボクたちはいつもなんらかの「神話」を身につけ思考しているわけです。
さて、あと二つの部屋がありますが、あとは、日本語の問題です。「猫」の部屋とされているところ。フランス語ではLe Cabinet des Felins(ル・キビネ・デ・フェラン) (eにアクサンテギュがつきます、今使っているパソコンでそれが出ないので失礼!)。フェランFelinsというのは猫科の動物という意味でいわゆる「猫」Chats ではない。だから日本語ではかっこつきの「猫」にされたのでしょうが、これは誤解を招きます。Chats に当る猫はラスコーには描かれていません。それどころか、洞窟全体を見て行けば、「猫」や「犬」のような愛玩動物は描かれていないことが判るはず。このことはラスコーを考える場合非常に重要な、ラスコー絵画の特質であるわけで、不用意に「猫」をイメージすることはすでにラスコーを過って理解していることになります。
つぎの「井」と訳された部屋は、フランス語ではLe Puits(ル・ピュイ)で、これは井戸という意味です。もちろん水を汲み出す井戸ですが、ほかにこの単語には「縦穴」とか「立抗」という意味もあり。軍隊用語では、puits de mine(ピュイ・ド・ミイヌ)というと地雷抗のことです。ラスコーのこの場所は、井戸ように縦穴構造になっているのですが、底にみずが溜っていてそれを汲んだという形跡はありませんから、「井戸」とは考えないほうがいいでしょう。このLe Puitsを日本語にした人もそのことは承知していたから「井」などと、かっこつきで訳したのでしょう。しかし、わざわざふつうの日本語では使わないような言葉をここで選ぶ必要があるのか。井戸を連想させる必要はないのだから、「縦穴」でいいのではと思うのですけれど。(つづく)

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