すきずき〜やきもの好きの雑感あれこれ〜

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庚申山広徳寺(1) 〜 真鍮元祖とは? 〜 (甲賀市)

庚申山広徳寺(1) 〜 真鍮元祖とは? 〜 (甲賀市)

甲賀市水口町から信楽焼の里・信楽町に向かう国道307号線沿いに、前々から気になっているお寺の看板があります。この↓下の写真の看板なんですが・・・ お寺の名前は「庚申山広徳寺」=「こうしんさん こうとくじ」で良いと思うのですが、右上に添えられた文字が???
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/81/76/ko0214/folder/1501098/img_1501098_59482076_0
『真鍮元祖』・・・ しんちゅうがんそ、、、ですよね? (^_^;
漢字はわりと得意な方なので「しんちゅう」で間違いないと思うのですが、「元祖」って?意味がわかりません。
だいたい「真鍮」という言葉を最近はあまり聞かなくなりましたよね〜、銅と亜鉛の合金で要するに「黄銅(おうどう)」のことです。昔から高価な金の代用品としてキンキラキンの仏具などに使われてきた金属ですが、われわれにとって一番身近な使用例は「五円玉」でしょうね。

しかしそんなのに「元祖」とかあるんでしょうかね〜?
おいで〜、おいで〜と引っ張られるので(笑)、ちょっと様子を見てきました。。。

案内板に従い、車1台がやっと通れるクネクネとした細い山道を登ります。国道307号線からは慎重に運転して約10分ぐらいでしょうか、行き止まりが小さな駐車場になっています。

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/81/76/ko0214/folder/1501098/img_1501098_59482076_1
新緑の参道を抜けたところに本坊があります。
お寺の正式な名称は「瑞応山竜華院広徳寺(ずいおうさん りゅうげいん こうとくじ)」というそうです。

延暦二年(783年)、天台宗の開祖・伝教大師(最澄)が延暦寺建立の資材を求めて地方巡歴の途中、庚申山頂に光明輝き、紫雲がたなびくのを見て不思議に思って頂上に登ったところ、大きな岩の上に稲妻が走って霊姿を感得しました。その主が言うには、『吾れは大青面金剛童子なり。天地和順、生物育成、七難即滅、七福即生の本願によって出現せり。汝仏心豊かなれば、末世衆生救済のためにわが身相を刻して後世に残すべし。』とのこと。その告示を受けて大師自ら「青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)」の尊姿を刻してお祀りしたのが広徳寺の始まりであると伝えられています。

今から千二百年前ですか・・・ ここも古い歴史を持つお寺なんですね。境内を散策してみますと。。。

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鐘つき堂と、、、なぜか本堂の石段下には鳥居が・・・ こ、これは典型的な「神仏習合」ですね (^_^;
神社と寺院が隣り合わせの敷地にあり、かつては一体の信仰対象であったことをうかがわせるところは
よく見かけますが、ここまで完全に同居しているところは珍しいと思います。

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柏手(かしわで)は打つのかな???などと悩みながら(笑)、「鳥居」をくぐって「本堂」に進みます。

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/81/76/ko0214/folder/1501098/img_1501098_59482076_4
本堂の様子も・・・ どちらかというと神社建築に近い感じですかね?
ただお堂の正面軒先には「鈴」ではなくて、仏具である「鰐口(わにぐち)」が吊り下げられており、
これで「柏手不要」ということがわかります、やはりお寺さんなんですね(笑)
それと「庚申信仰」(庚申=かのえ・さる)にちなむ「身代わり猿」がたくさん吊り下げてありました。


そしていよいよ『真鍮元祖』の意味ですが、そのいわれは以下のような言い伝えによります。。。

今から約四百年前、庚申山広徳寺の麓に「藤左衛門」という貧しい百姓が住んでいました。
働いても働いても生計は苦しく、もう村を出てどこかへ行くより仕方がないと考えましたが、日頃から広徳寺の本尊である庚申尊を深く信仰していましたので、最後に庚申尊におすがりしてみようと思い立ち、文禄二年(1593年)正月二十三日、広徳寺に篭って断食し、日夜ひとすじに家運の隆盛を祈願しました。
またたくうちに日は過ぎて、ついに十七日の満願の夜となってしまいました。もはやこれまでと一心不乱に祈念するうちに、すでに精根尽き果てていた藤左衛門は、ついうつらうつらしてしまいます。すると・・・ その枕元に卒然として七才ばかりの童子が現われ、なんと!銅に亜鉛を混ぜる合金の法を細かに伝授されたのです。
お告げに感泣した藤左衛門が早速その方法を試してみたところ、なんたる不思議!黄金色の光沢をした合金を得ることに成功しました。藤左衛門がお告げのとおりに「真(しん)に鍮(い)た」ことからその合金は「真鍮(しんちゅう)」と名付けられ、これがわが国における真鍮精錬の始まりであると伝えられています。
その後、藤左衛門は慶長四年(1599年)、京都に出て本格的に真鍮の製造を始め、家業大いに繁盛し、巨万の富を築くに至りました。そして元和二年(1616年)には報恩のために広徳寺の本堂を再建しました。以来、庚申山広徳寺の御本尊は『わが国の真鍮の祖神』として金属加工を生業とする人々から崇敬され、今も各地から多くの参拝者が訪れています。。。

・・・ ということであります。真鍮は庚申尊のお告げによって滋賀県で誕生したんですよ〜 ^ ^

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そしてこの方が、真鍮開祖・藤左衛門さんです。広徳寺境内の新緑の中に銅像が立っておられました。
藤左衛門さんが京都のどこで真鍮製造を行なっていたかは不明だそうですが、寺町三条にある「天性寺
(てんしょうじ)」にその墓碑が残っているそうです。



実はここ、見晴らしが素晴らしいんです!甲賀市水口町を眼下に、パノラマの景色が広がります ^ ^
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パノラマ合成なるものにチャレンジしてみました。
右手に見えるのは新名神高速道路、左手奥にかすかに見えるのは伊吹山です。


今回は「真鍮元祖とは?」をテーマにまとめてみましたが・・・
さすがに昔から真鍮の元祖として信仰を集めただけあって、境内には珍しいものやら面白いもの、興味深いものがいろいろとあるんですよ〜、このお寺さん!
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/81/76/ko0214/folder/1501098/img_1501098_59482076_8
それはまた続編でご紹介いたしますね〜 (^_^)v

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元単さん>まあ「言い伝え」ではありますが、なるほどと感心できるものは良いですね ^^
ここのお寺は伊勢湾台風で大きな被害に遭ったそうですが、その再建・修繕にあたっては、全国の金属加工関連業者の御尽力があったようです。。。

2010/5/23(日) 午後 3:24 越前屋平太

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KAZUさん>身近なところにおもしろい歴史や言い伝えがあるものだと、改めて感動した次第です ^^

2010/5/23(日) 午後 3:26 越前屋平太

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ふぅさん、ポチ☆ありがとうございます。
「ラーメン元祖」とか食べ物ならわかるんですけどね、「真鍮」ですから ^^;
ここはね〜、本当に思わぬ物・人に出会いましたよ。
後半はじっくりと推敲してから記事にしたいと思います。。。

2010/5/23(日) 午後 3:30 越前屋平太

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沼の住人さん>いやいやご推察どおり真鍮の発明・伝来は中国であろうと思います。ここは『我が国の・・・』となっているところがミソですね ^^;
真鍮の製造技術はかなり古くに日本に伝わっていたようですが、たびたびその手法が途絶えては、また復活を繰り返すということがあったようです。その中で歴史上に名前まで残ったのがこの「藤左衛門」さんだったということなのかなと思っています。。。

2010/5/23(日) 午後 3:37 越前屋平太

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ひみこさん>庚申尊、すなわち青面金剛童子ですから、やはりなんらかの形で「金属」との関連を示唆する物が多くありますね。
上↑の沼の住人さんへのレスにも書きましたが、真鍮の発祥はどうやら中国みたいです。紆余曲折があって、現在の真鍮普及の基礎を成した人が、この藤左衛門さんという感じですかね。。。

2010/5/23(日) 午後 3:41 越前屋平太

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お〜っと!ひみこさん、またまたトリプル☆☆☆ありがとうございます! ^^v

2010/5/23(日) 午後 3:43 越前屋平太

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あっ「我が国の」ですね(^_^;)早とちりしてました。
仏具には欠かせない真鍮が、日本ではこちらで発祥したということは、素晴らしい発見だったと思います。
(1つ訂正ですが「庚」の”年”→”日” に生まれた人でした。)

青面金剛童子って、石仏としてもあちこちに残ってるらしいですね!

トリプルポチ縁起いいなあ、宝くじ買おう・・

2010/5/23(日) 午後 3:53 [ ]

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ひみこさん>そうです、「我が国の」です。その「我が国」も諸説あるようで ^^;
青面金剛童子は結構「やんちゃな」お姿されてますね(笑)

そうそう、私のところのポチ☆でツキを使い果たさずに宝くじ行っちゃってください(笑)

2010/5/23(日) 午後 5:53 越前屋平太

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うー、コんばんは、珍獣デす。。

エヘへ、珍獣は、とたん(止多牟)、で、シらべてみたら、ナんとなく、伝承のデきたいきさつガ、珍獣的に、推測デきタ気が致しました、よう!?

2010/5/23(日) 午後 7:01 ちんじゅう

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滋賀県にはいろんな所があるんですね!
羨ましいかぎりです!

2010/5/23(日) 午後 8:30 [ Dr.K ]

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珍獣さん、ようこそ ^^
あれ?トタンは亜鉛メッキ鋼板でしたよね・・・貧しい頃の藤左衛門翁も愛用したかも(笑)

2010/5/23(日) 午後 10:14 越前屋平太

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dr_koimariさん>本当にいろいろありますよ〜、古伊万里の出モノも結構多いですし ^^

2010/5/23(日) 午後 10:15 越前屋平太

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こんばんは^^
甲賀市ってひょっとして忍者の甲賀市では!
なにやら怪しげですが、麿は好きっすね〜^^こういう神社^^

2010/5/24(月) 午前 0:17 橘朝臣幸麿

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幸麿さん>はいはい、そのとおり!甲賀忍者の里です。
パノラマ写真の右手の山を越えると三重県伊賀市、伊賀忍者の里とも隣接しています ^^

2010/5/24(月) 午前 0:24 越前屋平太

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>古伊万里の出モノも結構多いですし ^^

それは羨ましいですね!
やはり、地の利ですね!
昔から栄えているんですものね!

こちらは、古伊万里の流通はほとんどなかった地域ですから、古伊万里の出物などは期待できません(>_<)

2010/5/24(月) 午前 8:46 [ Dr.K ]

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dr_koimariさん>日本海を北上する北前船の寄港地、小浜・三国あたりから鯖街道を通っての京・大坂ルートですね。この流れに良い古伊万里が多く残されています。最高級品が京・大坂まで運ばれて、途中の越前・近江には二級品を降ろしたと言われていますが、それでも良い物が出ます。多くの優品が戦災で失われた現在、滋賀の片田舎から出てくる古伊万里は貴重ですね ^^

2010/5/24(月) 午後 5:53 越前屋平太

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平太さん

近江には、そんな好い地の利があったんですね!
当時は二級品であっても、今出てくれば最高級品ですよね。
これからもまだ期待できるんですね。羨ましいかぎりです!

2010/5/25(火) 午前 8:46 [ Dr.K ]

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dr_koimariさん>滋賀県は戦災を受けていない上に、開発が進んでいないのも幸いしています。まだまだ田舎の旧家の蔵にはお宝が眠っていると思いますね ^^

2010/5/25(火) 午前 10:01 越前屋平太

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うー、亜鉛ハ、どーやら、その呼び名が初出したのは、江戸時代中期くらいで、ソれより以前は、トタン(漢字はあて字らしいので何通りかアるみたいです)等の名で呼ばれテいたらしいのです。
※こちらの意味での使われ方ではほぼ死語ですが、一応手元にあった国語辞典(三省堂)などでも「亜鉛」で引くとまだ「トタン」とも載っておりましタ。

基本的にはこの時代に先立って輸出国側では既に現在で言う「真鍮」の合金製造の材料と認識された上でこれが製造されていて、この時代前後には日本にも輸入されていたみたいなのでス。

なので、真鍮製造の際にこの「トタン」を材料に使用するのはおそらく既に知識としては伝達されていたけれど、その混合割合や温度管理などの具体的な製造方法を日本側で解明し、国内生産が始まった事なんかがこういった伝承になっていったのではナいかと、珍獣は推測してみました、よう!?

2010/5/25(火) 午後 7:32 ちんじゅう

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珍獣さん>そうですね、どうやら平安時代には製法が伝わっていたようです、中国から。
その後どういうわけか何度か手法が途絶えては、また復活するということを繰り返していたようですね。おそらく戦乱などで寺院が荒廃した時などに、その伝承者が四散したりして一時的に製造法が分からなくなったというようなことがあったのでしょう。何度か復活を繰り返す中で、歴史上に名前まで残ったのがこの「藤左衛門」さんだったということなのかなと思っています。。。

2010/5/25(火) 午後 11:17 越前屋平太

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