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庚申山広徳寺(1) 〜 真鍮元祖とは? 〜 (甲賀市)

甲賀市水口町から信楽焼の里・信楽町に向かう国道307号線沿いに、前々から気になっているお寺の看板があります。この↓下の写真の看板なんですが・・・ お寺の名前は「庚申山広徳寺」=「こうしんさん こうとくじ」で良いと思うのですが、右上に添えられた文字が???
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『真鍮元祖』・・・ しんちゅうがんそ、、、ですよね? (^_^;
漢字はわりと得意な方なので「しんちゅう」で間違いないと思うのですが、「元祖」って?意味がわかりません。
だいたい「真鍮」という言葉を最近はあまり聞かなくなりましたよね〜、銅と亜鉛の合金で要するに「黄銅(おうどう)」のことです。昔から高価な金の代用品としてキンキラキンの仏具などに使われてきた金属ですが、われわれにとって一番身近な使用例は「五円玉」でしょうね。

しかしそんなのに「元祖」とかあるんでしょうかね〜?
おいで〜、おいで〜と引っ張られるので(笑)、ちょっと様子を見てきました。。。

案内板に従い、車1台がやっと通れるクネクネとした細い山道を登ります。国道307号線からは慎重に運転して約10分ぐらいでしょうか、行き止まりが小さな駐車場になっています。

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新緑の参道を抜けたところに本坊があります。
お寺の正式な名称は「瑞応山竜華院広徳寺(ずいおうさん りゅうげいん こうとくじ)」というそうです。

延暦二年(783年)、天台宗の開祖・伝教大師(最澄)が延暦寺建立の資材を求めて地方巡歴の途中、庚申山頂に光明輝き、紫雲がたなびくのを見て不思議に思って頂上に登ったところ、大きな岩の上に稲妻が走って霊姿を感得しました。その主が言うには、『吾れは大青面金剛童子なり。天地和順、生物育成、七難即滅、七福即生の本願によって出現せり。汝仏心豊かなれば、末世衆生救済のためにわが身相を刻して後世に残すべし。』とのこと。その告示を受けて大師自ら「青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)」の尊姿を刻してお祀りしたのが広徳寺の始まりであると伝えられています。

今から千二百年前ですか・・・ ここも古い歴史を持つお寺なんですね。境内を散策してみますと。。。

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鐘つき堂と、、、なぜか本堂の石段下には鳥居が・・・ こ、これは典型的な「神仏習合」ですね (^_^;
神社と寺院が隣り合わせの敷地にあり、かつては一体の信仰対象であったことをうかがわせるところは
よく見かけますが、ここまで完全に同居しているところは珍しいと思います。

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柏手(かしわで)は打つのかな???などと悩みながら(笑)、「鳥居」をくぐって「本堂」に進みます。

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本堂の様子も・・・ どちらかというと神社建築に近い感じですかね?
ただお堂の正面軒先には「鈴」ではなくて、仏具である「鰐口(わにぐち)」が吊り下げられており、
これで「柏手不要」ということがわかります、やはりお寺さんなんですね(笑)
それと「庚申信仰」(庚申=かのえ・さる)にちなむ「身代わり猿」がたくさん吊り下げてありました。


そしていよいよ『真鍮元祖』の意味ですが、そのいわれは以下のような言い伝えによります。。。

今から約四百年前、庚申山広徳寺の麓に「藤左衛門」という貧しい百姓が住んでいました。
働いても働いても生計は苦しく、もう村を出てどこかへ行くより仕方がないと考えましたが、日頃から広徳寺の本尊である庚申尊を深く信仰していましたので、最後に庚申尊におすがりしてみようと思い立ち、文禄二年(1593年)正月二十三日、広徳寺に篭って断食し、日夜ひとすじに家運の隆盛を祈願しました。
またたくうちに日は過ぎて、ついに十七日の満願の夜となってしまいました。もはやこれまでと一心不乱に祈念するうちに、すでに精根尽き果てていた藤左衛門は、ついうつらうつらしてしまいます。すると・・・ その枕元に卒然として七才ばかりの童子が現われ、なんと!銅に亜鉛を混ぜる合金の法を細かに伝授されたのです。
お告げに感泣した藤左衛門が早速その方法を試してみたところ、なんたる不思議!黄金色の光沢をした合金を得ることに成功しました。藤左衛門がお告げのとおりに「真(しん)に鍮(い)た」ことからその合金は「真鍮(しんちゅう)」と名付けられ、これがわが国における真鍮精錬の始まりであると伝えられています。
その後、藤左衛門は慶長四年(1599年)、京都に出て本格的に真鍮の製造を始め、家業大いに繁盛し、巨万の富を築くに至りました。そして元和二年(1616年)には報恩のために広徳寺の本堂を再建しました。以来、庚申山広徳寺の御本尊は『わが国の真鍮の祖神』として金属加工を生業とする人々から崇敬され、今も各地から多くの参拝者が訪れています。。。

・・・ ということであります。真鍮は庚申尊のお告げによって滋賀県で誕生したんですよ〜 ^ ^

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そしてこの方が、真鍮開祖・藤左衛門さんです。広徳寺境内の新緑の中に銅像が立っておられました。
藤左衛門さんが京都のどこで真鍮製造を行なっていたかは不明だそうですが、寺町三条にある「天性寺
(てんしょうじ)」にその墓碑が残っているそうです。



実はここ、見晴らしが素晴らしいんです!甲賀市水口町を眼下に、パノラマの景色が広がります ^ ^
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パノラマ合成なるものにチャレンジしてみました。
右手に見えるのは新名神高速道路、左手奥にかすかに見えるのは伊吹山です。


今回は「真鍮元祖とは?」をテーマにまとめてみましたが・・・
さすがに昔から真鍮の元祖として信仰を集めただけあって、境内には珍しいものやら面白いもの、興味深いものがいろいろとあるんですよ〜、このお寺さん!
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それはまた続編でご紹介いたしますね〜 (^_^)v

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