英国古代遺跡縦断、独り旅!

どんな些細な事でも、貴方が何かに興味を抱いたら、其の時から貴方は冒険への旅へと続く、その入り口の扉の前に立っている!

【キンタイア半島の古代遺跡群】

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【芸術的な見事な石板】

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NO54  KILMARTIN STONES 

 キルマーティン・ストーンと言うらしい。これは巨石建造物的な遺構とは言えないが、この半島の古代遺跡群を後にして、村の外れにあったパブに立ち寄った時、駐車場の前にあった教会で、其処に標識が出ていて『Historic Scotland』の看板が見えたので、取り敢えず行って見たと言うのが真相だが、其処の教会の中には見事な石板が展示してあり、思わず見とれてしまった。
見学の価値ありと言う判断で皆さんに紹介いたします。
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 考えて見れば巨石遺構以外に余り興味が無く、この10年間以上にわたり、幾つかの貴重な歴史的に重要なものを、見落として来たのかもしれないと言う反省が沸いて来る。この石板を見てそう思った。
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 歴史的な事は何も判らない。機会があったら調べて見たいと思っている。
 縦、約2メートル、横、80センチぐらいで、厚さは10センチ、長方形の石板に武人の姿やセルテック文様が彫り込まれて居る。幾つもの石板が建物全体を、処狭しと並び立つ光景は見事な物だった。

 実に見事な石板の彫り物だ、興味のある人なら是だけでも、この教会を訪れ見に来る価値の在る物と思われる。取り敢えず写真で、この石に彫られた素晴らしい芸術品を鑑賞して欲しい。
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これでキンタイア半島、キルマーティン谷に点在する古代遺跡の数々の紹介は終わる。古代遺跡に興味がある方なら、一度は訪れて見て欲しい遺跡群だ。
風光明媚な土地で、生牡蠣の美味しいレストランもある。魚養殖や牡蠣の養殖に力を入れている土地で、美味しい魚介類が食べられる処だ。
元ビートルズのポール・マッカートニーの歌で一躍有名になったと言うキンタイヤ半島でした。次回はいよいよグランピアン地方です。お楽しみに・・・
 

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【石棺の蓋に刻み込まれた同心円紋様】

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NO53  NETHER LARGE NORTH CAIRN

 ネザー・ラージ・ノース・ケインと言われている。
 この遺跡全体の一番北の外れにある墳丘墓遺跡で、3つの石塚の中でこの石塚が一番小さい様に見える。
 やはり直径は14メートルだと言う。
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 テンプルウッドのストーンサークル建設時期が、紀元前約3000年以前と言われていて、この石塚は其れから約1000年後の構築と思われている。文章にすれば数行だが、千年の歳月の流れは想像を絶する時の流れだ。建設年代は紀元前2000年前後と言う事になる。
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 現在は河原石で小山の様な石塚に成って居るが、原初の姿は直径14メートルの「Henge」で、サークルの中には2つの小さな立石が立っていて、1つのには2つの輪の様な文様が彫り込まれていたと言う。
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 中央に石棺が埋め込まれ、石の蓋には40個余りのカップ・マーク(岩に彫られた浅い穴)が彫り込まれていた。御馴染み?になった「祈りの文様」だ。
 墓地の石棺の蓋に彫り込まれている文様といえば、霊魂や死者の供養と言う事で問題はない。しかし、以前紹介した2つの墳丘墓の何処にも、この文様は発見出来なかった。この墳丘墓が造られたのが一番古い遺跡の可能性が高いと私は感じた。石室の石棺の蓋に彫られた沢山のCUP MARKSが其れを物語っているように思えてならない。

 私が今まで見たこのCUP MARKS紋様は野外の岩山の岩肌に刻み込まれた、同心円の文様が殆どであった。其れが夜空に散らばる星座を連想させたのだが・・・同じ様に見えるCUP & RING MARKSの文様にも、祈ると言う以外に何か他の意味があるのかもしれない。
 この同心円の文様は日本の古墳の中でも発見されている。日本の古墳の場合は石に彫り込まれて居るのではなく、黒い色と朱の色で岩に直接書き込まれた同心円の文様なのである。装飾古墳として名高い九州、福岡県にある日の岡古墳玄室正面の巨石に其れは描かれて居る。
 西の果てのイングランドと、東の日本では時代的にかなりの開きは在るのだが、何と無く不思議な一致を見る思いだ。古代人の思考と言うより、人間の思いは同じと言う事か?
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 この石塚は何時の頃の改装(されていれば)か判らないが、現在は中央の石棺を四角い部屋の様に石を積み上げて囲み、ケアン(埋葬室)にしてある。この石室の作りは頑丈と言う言葉がピッタリで、石室の広さはこの墳丘墓が一番広いが、後世の再現作でない事を信じよう。
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墳丘墓は円墳のように見える。その上にたくさんの丸石の河原石で覆ってある。頂上に穴を開けて現在は出入り口にしてある。

この遺跡群全体に管理人などいるのだろうか?
何処でも其れらしき人には出会わなかったのだが、Historic Scotland辺りが管理しているのだろう。其れにしてもこれだけの遺跡群が、誰でも自由に見学できて、遺跡に触れることも出来る。それでいて悪戯書き1つ無く遺跡が大切に保存されている。社会全体が常識ある大人の世界なのだ。
 誰が見ていなくとも非常識な事はしない良い社会だ。言い忘れたがこの遺跡群は全部、見学無料なのである。やっぱり良い社会なのだ。英国の古代遺跡に対する考え方が判る。
 それに比べて日本は等という様な事はやめよう!
 英国かぶれと言われるのがおちだから・・・

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【どんな人が埋葬された墓なのか?】 

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NO52  NETHER LARGE MID CAIRN 

 ネザー・ラージ・ミッド・ケインと名付けられた石塚で、紀元前3000年以前のものと思われている。直径313メートルぐらいで中央に川原石が山積みに盛ってある。その回りには大小様々なたくさんの岩が、顔を出して埋もれている。南側に石棺が地表に暴かれており、その回りにはかなり大きめの石が無残にも転がっている。この遺跡群の石塚は、塚の縁に石棺を埋め込む形式が良く見られるが、これが当時のこの地方の埋葬様式なのだろか?
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 もう少し北にもう1つの石塚の小山が見える。3つの石塚がほぼ等間隔に一線上に南から北に並んで居る。この石塚が中央の石塚と名付けられているのもその為だ。この石塚が同時代の物ならば、3つの埋葬地は多すぎる。
 何らかの理由に寄る、例えば身分や貧富の差等が、埋葬の違い等になったのだろうか?一族の歴代の埋葬地なのだろうか?
 南の石塚は是より遥かに立派だった。もう1つ最後の石塚に興味が沸いて来る。
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石室と思われるが、剥き出しの状態で見学できる。

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【矩形の石の組み合わせ、幻想的な石室】

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NO51  NETHER LARGE SOUTH CAIRN 

 ネザー・ラージ・サウス・ケインの見事な石塚の墳丘墓だ。
南の石塚と名付けられているように、この地には南北に3個の石塚が連なっている。他に中央、北と名付けられているが、この石塚が一番大きく見事な物だ。イメージ 2直径40メートルぐらいのこの石塚の石室は、真に見事な石積みだ。決して巨石と言うのでは無いけれど、平板石の積み重ねた石の細やかさに、埋葬塚としての尊厳が感じ取れる遺跡である。死者の霊を弔うと言う信仰への、ひた向きな姿勢が伺える見事な造りだ。
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プロのカメラマンの手に掛かれば、雑誌で見た読者はこの石組みの素晴らしさに眼を奪われる事だろう。私も雑誌でこの遺跡を初めて見た時は、其の迫力に驚いたものだが、残念ながら素人写真でインパクトのある写真を掲載出来ないのが残念です。
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 1メートル幅、4メートルの長さの石室で、天井までの高さは約2メートルぐらいだ。天井の中央に大きな、天窓の様な穴が開いていて、誰でも自由に石室に入り中を見学出来る様になっている。この穴は近年、見学者の為に開けられた穴らしい。
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 天井には剥き出しで、5枚の矩形の巨石が並べられているが発掘後に、考古学者が置いた物だろうか?当時のままとは思えない。多分、土盛りされた円墳が当時の姿に近いと思われる。紀元前3000年以前の物と思われており、埋葬品として紀元前2400年頃の土器が中に残されていたと言う。
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 入口に屏風岩ふうの石を並べ、この蒲鉾型の石室全体を、川原石で覆い囲っていたらしい。北東側に、もう1つ石棺があり、これも巨大な矩形の石蓋が架け立ててある。昔はこの石塚の上に土を盛り、小山の様な土饅頭を造っていたのだろうと想像する。余りにも日本人的な発想だろうか?
 日本の古墳をイメージしている所為かもしれない。

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【寺院と名の付く環状列石】

 
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NO50  TEMPLE WOOD CIRCLE 

 テンプル・ウット・ストーンサークルと言われるこの遺跡も、幾つかの遺跡関係の本で写真を目にする有名な遺跡だ。2つのストーンサークルが並んで居る。南に在る『Southern Circle』と言われる方が、ストーンサークル遺跡としての姿形が美しい。イメージ 2木立の手前の広がるストーンサークル全体が、大小の川原石が置かれて円形上に形作られて居る。ストーンサークル中央に4枚の板石で造られた四角い石棺と思われる物があり、その回りを石で小さな輪を作り、小さな中心のサークルを造ってあるが良く注意して見ないと、周りの石と区別が付かない。
イメージ 3石棺を中心として直径31メートルぐらいの外円上に、現在13個の大きめの石が置かれ2つ目のサークルを造って居る。この置石が美しいストーンサークルを造って居る。
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この石にだけcup&ring の彫り物を発見!何かの意味が込められたに違いないが、其れは謎のままだ。
 
 其の廻りに外周縁とも言える丸いサークルが大小のたくさんの丸い川原石が敷き詰められており、サークル内を川原石が敷き詰めた独特のストーンサークルを形成して居る。完成当時は21石の外円石がサークルを造っていた様であった。外円石を形作って居る1つの置石の側面に、同心円文様が彫られた跡を見つけた。何時の頃に彫られた物なのだろうか?
 紀元前3000年頃から紀元前1200年頃まで、長い間利用された遺跡の例に漏れず、この遺跡もまた長い間に何度も造り替えられた形跡が見られると言う。
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 10メートルぐらい離れて北側に小さ目の、同じ様な小石の敷き詰めた円形のサークルが、『Northern Circle』と言われて居る北のストーンサークルだ。構築年代は同じく紀元前3000年頃と言われている。
 現在は中央に横石が置いてあり、全面に小さ目の丸い川原石が敷き詰められて居る。南のサークルより幾分小さめで、敷石を良く見るとコンクリートで作られた、3種類の違う形が埋め込んであり、このサークルの外周円上に置かれていた石の形が違うことが伺える。
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 前回来た時は詳しい説明版が在ったのだが、今回は無くなっていた。昔の面影をほとんど無くし、南のサークルとは違う用途に用いられた、2つの用途の違うストーンサークルが並んでいるに違いないと推理するのが精一杯だ。真に残念な現存の遺跡の姿だ。
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サークルの中心の焚き火の為の囲炉裏だろうか?四角い石組みが見える。
この四角石組みを囲んで、小さなサークルが見える。

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 遺蹟の回りを見渡せば、300メートル北西の草原上に、にぼんやりと5本の聖地の中心石と思われる『Nether Largie』の立石が望まれる。このストーンサークル遺跡は、遺跡全体から見ると東南に位置する遺跡と言える。小道の道路沿いには、北に250メートル離れた所には『Nether Large South Cairn』ネザーラージ・サウス・ケィンの石塚の小山が見える。

 巨大な新石器時代の古代集落のイメージが湧いてくる。
 日本の縄文古代遺跡、三内丸山の巨大集落の姿とイメージが重なる。
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