ある読書会で、レポーターにより、波頭亮 茂木健一郎著『日本人の精神と資本主義の倫理』(幻冬社新書 2007年)が 指定されたので、購入して読んだ。
タイトルはいかにも難しそうな感じがしたが、対談で平易に書かれていたので、読みやすかった。内容について印象深く、共感できた個所をいくつかピックアップする。
〇日本が異常だと思うのは、その価値軸しかないことです。社会正義としてもっとも危険なのはモノカルチャーでしょう。つまり、単一の原理だけで世の中が動く。これが一番危ないことです。売れることは正義だとする価値軸はあってもいいけれど、それと拮抗する強力な軸が別にないといけない。(茂木 48P)
〇日本の大衆は公共性を分担していません。税金を払えば何をしてもいいのではなく、社会の構成員の一人である以上、公共的なもの、社会的なものを皆で作り上げていく責務を負っている。その意識が日本人には稀薄なのです。(波頭 54P)
○反省のない日本、よくいえば桜の文化、駄目なら駄目で、潔く散ればよいとする考え方ですね。そのせいか、科学的な分析を嫌う傾向があります。科学的、論理的なことに対して、嫌悪感とまで言わなくても、あまり善しとしない感覚が社会全体に強い。負けたことをいつまでもネチネチ言うなんて、女の腐ったみたいな奴だと。失敗は忘れ、態勢を立て直して、ぶつかって行こうというのが日本人は好きです。その潔さの最たるものが切腹です。切腹が全ての総括になってしまう。(波頭 84P)
〇現在の日本には残念ながらビジョンが欠けている。政治的なビジョンも、外交的なビジョンも。僕たちは対談の冒頭からハイカルチャーと言い続けているけれど、ビジョンと言い換えてもいいわけです。(茂木 118P)
〇日本には、ITオタクはいるけれど、人間を含め社会を広範に理解して制度設計できる真のプロフェッショナルがいません。人間はよりよい生活を手にいれるために、何をすべきかよく分かっている生き物だから、「知」が価値として見出される時代が必ず到来すると確信しています。そろそろインテリの反撃が始まるわけです。もう始まっているといってもいい。知の卓越性の価値がよみがえる。(茂木 127P)
〇このままでは群れ全体が飢えて滅びることを薄々と知りながら、誰も「最初のペンギン」になろうとしないのが、今の日本人です。仮に「最初のペンギン」として飛び込む人が出たとしても、それはたいていの場合、合理性に欠けた奴が鉄砲弾みたいにリスクの中に飛び込んでいくだけです。だからうまくいかない。これがアメリカなら飛び込む奴の中に少なからず精鋭がいます。精鋭の連中がリスクを取った生き方をしている。日本人は優秀な人ほどリスクを取らない。だから日本人は勝てない。(波頭 162P)
また、茂木さんは自分の社会的な立ち位置について次のように述べておられる。
〇進化生物学の世界に「ホープフルモンスター」なる概念があります。カンブリア大爆発で様々な種が誕生したとき、ご存じのように、奇妙な形態の生物がたくさん生まれました。それらのほとんどは滅びてしまうだけれども、いくつかは残り、メインストリームの生物種になる。
つまり、今は奇妙な怪物だけれども、そのうちメインストリームになるかもしれないと希望を抱いている生物を、ホープフルモンスターと呼ぶわけです。去年、日本のなかで自分はそのホープフルモンスターなのだと思った。(茂木 129P)
ただ、下記にピックアップした記述等読むと、年金生活をしながら、趣味とボランティアと孫の世話に生きがいを見出しつつ、トレンディドラマも大好きな私とは住む世界が違うのだとあらためて自覚させられた。
〇今、格差、格差と、世の中が騒いでいる格差とは、結局は経済的な格差のことでしょう。ワーキングプアのプアは、インテリジェンスがプアなのを問題にしているのではなく、エコノミックな面でのプアを問題だとして述べられている。しかし、エコノミックな観点はどうでもいいとのスタンスを取ることができれば、現在の日本社会のより本質的な問題に、かえって近づけるかもしれません。実際、今の日本の経済的格差の大きさは、先進国の中では最も小さい部類だし、そもそも経済的な格差と豊かさの実感がリンクしない時代が始まっているのですから。(波頭 146P)
〇僕は日本のテレビドラマが観られない。とりわけ「トレンディドラマ」の流れを汲むものなど、一瞬たりとも耐えられない。それはなぜかと自省してみたら、非常に大きい心理的な問題につながっていることに気づいたのです。つまり、僕は現代日本の生活を心の底では認めていない。自分の生活を愛していないという問題に突き当たっているわけです。」(茂木 92P)
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